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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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2020年11月の記事一覧

竹久 夢二のライバルと言われた早逝の画家 渡辺 与平

長崎市出身の画家、渡辺 与平。(婿養子に入る前の姓は宮崎)明治22年~明治45年。 資料によって若干の誤差はありますが、22歳で咽頭結核と肺炎の為、死去とあります。 画家としての活動はおおよそ6年ぐらいでありながら、竹久夢二のライバルと言われた画家でした。 「郷土作家」というものに、特別なんら思いは、ない私ですが、それでもこの人の作品は実物をちゃんと見てみたいとずっと思っていました。 13歳にして京都市立美術工芸学校絵画科に入学し、21歳で結婚、2児をもうけ、22歳にし

アルミロ・ケルビン・デ・ソウザ(葡)

Almiro Cherubin de Souza  1880 ~ 1921 長崎市生まれで、長崎市に没したポルトガル人です。 お墓は、新坂本国際墓地にあります。 この人を知っている人は、残念ながら長崎市民であっても、ほとんどいないだろうと思います。 しかし、個人的には、大変思い入れのある人物なのです。 今から、約25程前、まだ群馬県に住んでいた頃、長崎に帰ってきては、あちこちを歩いて写真を撮っていました。 その時、新坂本国際墓地に来た時に、彼のお墓を一目見て、なぜか

長崎市最古のRC造(鉄筋コンクリート)・橋梁の名は、「 新橋 」

長崎市大黒町。駅前の大通りから一本入った場所にある新橋。橋の上には店舗や住居の入る建物があり、一見橋とは思えない景観となっていますが、これが市内最古のRC(鉄筋コンクリート)造の橋梁である新橋です。 架設年は、なんと大正4年(1915)。下画像は年間7万人ものツアー客が訪れる軍艦島・最古のRCアパート30号棟ですが、この30号棟の建設が大正5年ですから、これよりも1年古いRC構造物ということになります。 汽水域にあり、30号棟と同じく塩水の影響を受けていると思われ、さすが

再生

長崎の坂段で荷運びをする対州馬と、その生まれ故郷・対馬での様子

私は、坂の街・長崎の坂段を荷物を背負って働いていた対州馬(たいしゅうば)を絶滅の危機から救いたいと活動している一長崎市民です。貴重な在来種である対州馬は2009年に最後の1頭が仕事を引退してから現在県内に30数頭と絶滅寸前まで追いやられています。

高校野球九州秋季大会を制した長崎県立大崎高校のルーツは、小さな島の炭鉱マンを育成した小さな分校

2020年11月6日、高校野球九州大会決勝が行われ、長崎県立大崎高校が、福岡県代表の大濠高校を5-1で下し、優勝しました。 地元が勝ったからうれしいのではありません。表題のごとく、かつて炭鉱で栄えたのだけど、閉山後さびれ、少子高齢化の進んでいた島の県立高校が九州大会を制したことが、まずもって驚きなのです。 大崎高校は、かつて明治期から昭和初期にかけて炭鉱で栄えた、「大島」と「崎戸(島/町)」の頭文字を取って「大崎高校」となっています。全校生徒で118人ですから、大きな高校

十字架山と本原教会 ~ 人の心が見せてくれる景色

「長崎の十字架山(じゅうじかやま)」の所在地を、一体どれくらいの方が知っておられるだろうか?という思いがありますが、そもそも十字架山の存在を知っておられることすらあやしい今日であるかもしれません。 しかし、下図のように昭和30年頃の長崎電気軌道さん(路面電車)の案内図には、かくも堂々と「十字架山」の存在が示されています。 (ちなみに、この頃は運行されていた電鉄バス路線図や、「井樋の口」や「千馬町」といった懐かしい電停、競輪場なども見えます。※以下クリックで拡大) 案内図か

海中に沈んだ幻の炭鉱の島 ~ 三菱横島炭鉱

軍艦島に向かうクルーズ船からも見ることができるのですが、長崎市香焼町、香焼炭鉱の中心地であった安保地区から眼前の海を望むと、ちょうど潜水艦が浮上したような、岩礁が見えます。 この岩礁がある場所こそ、三菱横島炭鉱のあった場所です。下の写真は、貴重な操業時代の横島ですが、あまりにも島の姿が違います。 実は、この島、閉山後、海中に消えた「まぼろし」の島なのです・・・ 明治17年の「西彼杵(にしそのぎ)郡村誌」によると、「横島は、東西330m、南北61mで、人家・耕地なし。松樹疎