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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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2020年8月の記事一覧

再生

世界三大夜景の一つである長崎の夜景の礎は対州馬と人がつくった

3分ちょっとです。曲の尺に合わせたので、早くてテロップが読みづらいんですが、よかったら観てみて下さい。 MUSIC:Great thank for usng. Nettson-BeMyself(NCS) 対州馬は現在、ほぼ絶滅の超危機的状況に追いやられています。現在の頭数では「遅かれ早かれ絶滅は免れない」とまで研究者は述べています。 長崎県対馬原産の対州馬は小柄な割に足が強く、粗食に耐えます。また何より性質が人懐こく、「馬」というよりは「犬?」のような動物に感じる人も少なくありません。また動じない一面も持つことから、かつて坂段の続く長崎市の街で、人々の住宅や暮らしの為に重い荷物を背負って頑張っている姿は市民に親しまれていました。その能力が逆手に取られ、昭和までは、北九州に点在した炭鉱の坑道内で酷使され、劣悪な環境の中で多くの馬が早死にしていきました。 長崎市においても手間のかかる馬搬は少しづつ敬遠され、2009年を最後に途絶えてしまいました。と同時に対州馬の数も激減し、いまではもう指折り数えることができるほどまでに追い込まれています。 この素晴らしい遺産とも言うべき馬を後世に残すためには、何としても今、保存とPR活動を行う必要があります。残念ながら対州馬ひん太は2019年夏に亡くなってしましました。今、このひん太の想いを絶やさないためにも新たに「長崎の坂道を歩く対州馬をPRするPR馬の誕生を考えています。個人で馬を所有・飼養することは、様々なリスクや制限を伴いますが、複数でそれを行うことにより、より負担も軽減され、なにより活動・支援の幅が広がります。 今、その共同所有者及び飼育者を探し求めています。興味のある方は、まずお便りください。どうぞよろしくお願い致します。

『 ながさき弁カルタ 』

【い】いっちょんすかん! ばってんなしか ほっとかれんとさ 「全然好きじゃない! でも何故か 放っておけないんだよね」 【か】かっちぇてくれんね  「仲間に入れてよ」 【う】うちとおうち、他人ばってん 気の合うもんね 「私とあんた、他人だけど 気が合うよね」 【と】とっとっと? とっとっと! (席を)取っているの? 取っているよ! 【へ】へんなか~ そげん格好で 外に出なさんな 「おかしい~ そんな格好で 外に出ないの」 【み】みたんなかことばせんと!

長崎/大黒恵美須市場の夏

長崎市住吉に今も残る井戸。ここは原爆投下まで三菱兵器住吉・女子寮のあった場所。爆風と熱線に襲われたこの地では、井戸は特別な存在だっただろう。

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対州馬ものがたり ~長崎と対州馬のフシギな因縁とは?

長崎県産の在来馬・対州馬と長崎は、歴史上や土地柄において不思議とも言える因縁で結ばれています。そのキーワードは「炭鉱」「坂段」「カトリック」です。

ポルトガル人とカトリック信徒が礎を築いた天然の要塞都市「長崎」に来てみませんか!?①

近代的な長崎の街のもとが形成されたのは、武将たちが武力で領地争いを繰り返していた戦国時代のことです。 詳しい歴史は割愛しますが、当時の「長崎」はキリシタン大名であった大村純忠(大村藩)の家臣でもあった長崎甚左衛門が領主としておさめる小さな寒村にすぎませんでした。 (画像は、長崎氏の居城があった桜馬場中学校周辺) 桜馬場中学校の裏手にはポルトガル人宣教師、ルイス・デ・アルメイダが1567年に渡来し、布教したことを記念したプレートがあります。 スペイン人宣教師コスメ・デ・トーレ

日本軍参謀本部は原爆投下情報を事前につかんでいた~NHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」の紹介

長崎市に生まれ育ち、かつて教鞭をとっていた者として、この日ぐらいは原爆について書いてみたいと思います。 2011年10月29日(土)にNHKで「原爆投下 活かされなかった極秘情報」というドキュメンタリーが放送されました。今回、この番組を紹介したいと思いまして、同番組がどこかのサイトで閲覧することができるのであればそのサイトを紹介したいと思いました。 しかし、残念ながら有料かDVDでしか存在せず、結局それでは閲覧する人はかなり少ないと思いましたので、ここにそのダイジェストを

長崎でド・ロ様と敬愛されるド・ロ神父の遺したオルガンを弾き続けられた、橋口ハセ シスター

関東に住んでいた若い頃、帰省した折に、ふと足を運びたくなったのが、外海地方にある「ド・ロ神父記念館」だった。 海岸から山の手に上がった山間に建つ同記念館。いつも誰もいなくて、無音の空間。 その静寂に浸っていると、背後で古めかしいオルガンの音が流れ出す。 人がやってきたことを察した橋口シスターがいつの間にかやってきて讃美歌を歌ってくれるのだ。 だんだんお年を召されてからは、オルガンの演奏だけになったが、教師時代に心が荒んだ時も、この場所で何度も癒されたものだった。 そ

キリシタン流刑という弾圧を受けながらも千人近い棄児を養育した 岩永マキと十字修道会の女性たち(長崎のカトリック史)

岩永 マキ(1849~1920)の肖像。 写真すらほとんど残っていませんが、見る限り凛とした美しい表情をした人であることがわかります。 強さの中に秘めた優しさ、或いは優しさの中に秘めた強さ。そういうものを感じます。 上の写真の集合写真です。マキは前でも中央でもなく写っています。見る限り、文献にあるような大柄には見えません。 こちらの写真でも、手は細く小さく、体つきも華奢に見えます。 岩永マキに関する文献は、ほとんど見つけることができません。 聖母の騎士社刊「お告げのマリ