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#ゴッホ

もしもゴッホが日本に来ていたら? ~ 長崎との接点

ゴッホ福岡展、それはそれは天気の悪く、肌寒い、平日に出掛けてきました・・・・が、やはり半分はヒトの頭しか見えませんでした。 福岡展は、太宰府横にある、九州国立博物館にて開かれました。 ニューヨークのMoMAでも、パリのオルセーでも、ゴッホの絵が掛けてある場所を見つけることは容易です。必ず「人だかり」がしている場所がそうだからです・・・ ↓画像は、自画像ですが、左右を反転させてあります。ゴッホの自画像は、鏡を見ながら描いてあるので、実際のゴッホの顔と左右反転されているからです

ヴァン・ゴッホの生前、唯一売れた作品である「赤い葡萄畑」

37歳で自死したヴァン・ゴッホにとって、生前唯一売れたのが、「赤い葡萄畑」という作品。 作品は、有名な「耳切り事件」を起こした1888年の12月のわずか一か月前、11月に描かれた。 つまり、「アルルの黄色い家」でゴーギャンと共同生活をしていた時のものである。 この「赤い葡萄畑」が売れたのは、それから1年後の1889年の暮れである。(つまり、ゴッホが自ら命を絶つ、約半年前) この絵を買ったのは、友人の画家であり、また詩人でもあったベルギー人のウジェーヌ・ボックの実姉アンナ・

画家としてのゴッホは、伝道師として赴いたベルギーの炭鉱町が出発点だった

フィンセント・ファン・ゴッホが画家として活動を開始する前、書店の店員、語学学校の教師という職を経て「伝道師」を目指した時期がありました。 ゴッホ、23歳くらいの頃です。ブリュッセルの伝道師養成学校で3か月学んだ後、「不適格」の烙印を押されたゴッホでしたが、独自で伝道活動を志し、当時耳にしていた南ベルギーの炭鉱町ボリナージュへと伝道活動に向かいました。 (写真は廃坑となったボリナージュの竪坑やぐら) 当時のボリナージュの炭鉱はかつてゴッホがロンドンで見た貧民街よりもさらに悲