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#美術

「ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ」堀 文子さんの言葉 

早朝にたまたまテレビをつけると、堀さん(故)のインタビューをやっていて、堂々と「政府がまた戦争をやりたがってるんではないか」とか「隣組なんてのは、密告組織ですよ」と言った歯に衣着せぬ物言いが新鮮で、標題の本を購入し読んでみました。 感想を一言で言うと、「この人は圧倒的に裕福な階層の人だな」ということ。 若くして夫に先立たれた後は、大磯に土地を買って転居したり、イタリアに3年間住んだり、軽井沢にもアトリエを持ったりと、あまりにも一般庶民とは次元が違う。 表題の書も、堀さんの

持っている作品 ~ 歌川広重「木曽海道六十九次 宮ノ越」

いつ誰が刷ったのか、判りませんが、私の持つ作品の数少ない物の一枚で。非常に気に入っています。 おそらく価値のほぼ無いものなのでしょうが、刷りにはまったく遜色ありません。 作品の良さを伝えるものとして、十分です。 歌川広重の作品でというより、全ての浮世絵の中でも、最高の傑作と思います。 木曽は、その冷涼な気候故、稲などの作物が育たず、生活するには厳しい土地とされていますが、そのような中にあって、かくも温かな家族の様子をイメージした、この作品は本当に素晴らしいものだと思いま

画家としてのゴッホは、伝道師として赴いたベルギーの炭鉱町が出発点だった

フィンセント・ファン・ゴッホが画家として活動を開始する前、書店の店員、語学学校の教師という職を経て「伝道師」を目指した時期がありました。 ゴッホ、23歳くらいの頃です。ブリュッセルの伝道師養成学校で3か月学んだ後、「不適格」の烙印を押されたゴッホでしたが、独自で伝道活動を志し、当時耳にしていた南ベルギーの炭鉱町ボリナージュへと伝道活動に向かいました。 (写真は廃坑となったボリナージュの竪坑やぐら) 当時のボリナージュの炭鉱はかつてゴッホがロンドンで見た貧民街よりもさらに悲

竹久 夢二のライバルと言われた早逝の画家 渡辺 与平

長崎市出身の画家、渡辺 与平。(婿養子に入る前の姓は宮崎)明治22年~明治45年。 資料によって若干の誤差はありますが、22歳で咽頭結核と肺炎の為、死去とあります。 画家としての活動はおおよそ6年ぐらいでありながら、竹久夢二のライバルと言われた画家でした。 「郷土作家」というものに、特別なんら思いは、ない私ですが、それでもこの人の作品は実物をちゃんと見てみたいとずっと思っていました。 13歳にして京都市立美術工芸学校絵画科に入学し、21歳で結婚、2児をもうけ、22歳にし