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炭鉱

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昭和30年代まで長崎県内に無数にあり、地域の発展を支えた炭鉱のこと
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2024年5月の記事一覧

炭鉱町に住んだ人々~ヤマの一年

炭鉱が開かれるとともに造られた炭鉱町。その第一の目的は、労働力の確保と労働意欲の増進でした。 そこへ色々な場所からいろいろな人々が集まって生活をしていました。 では、炭鉱町の住人達が、合理的に割り切って生活をしていたかと言うと、そうではありませんでした。 次に示すのは、端島(軍艦島)の一年の中にあった、主な行事などです。 *端島神社山神祭(神輿、奉納踊り、獅子舞、子ども神輿など) *メーデー前夜祭(「家族だ仲間だ歌合戦」「全島演芸大会」) *盆踊り~花火大会 *海水浴(

或る、軍艦島で生まれ育った方のサイトより ~ 「4.爺ちゃんのこぼした話」

*** 哀しい話である。 今、多くの観光客が「軍艦島上陸ツアー」で島を訪れているが、こういう話はまったく耳にしないこと。いや、できないこと。 「日本人に気に入られようと」というくだりが、本当に哀しい。 戦争とは、人の中に眠っている「差別」を、これでもかというくらいに増長させるのである。

坑口は巨大な地下・炭鉱街への入り口

おそらく炭鉱で働いている時に、坑口から先の世界がどうなっているのか、を詳しく喋り続けた炭鉱マンはいなかっただろう・・と思われます。 そうすることは、やたら家族の不安をかきたて、心配させることになってしまうからです・・・・ 今日も満船の状態で向かっているであろう軍艦島ツアー。その特異な島の景観に驚かれる人も多いと思いますが、実は海上の島は、巨大な「地下炭鉱都市」の氷山の一角にすぎません。 端島(軍艦島)鉱では、最深部が940m。最奥が坑口から2~3km。垂直に上下する竪坑道