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ネット公開「共に在るためのフェミニズム」飯野由里子


ネット公開にいたった理由

 以下の文章(「共に在るためのフェミニズム−−クィアとのつながりに目を向けて」)は、『福音と世界』(新教出版社)1月号の特集「生きるためのフェミニズム」に寄せたものです。まだ発行されてひと月ほどしか経っていませんが、編集部の許可を得ることができましたので、インターネット上で公開させていただきます。

 『福音と世界』の編集者から原稿執筆を依頼されたのは、2018年7月上旬です。フェミニズムとクィアがまったく異なる別個の運動・思想・理論ではなく、切り離し難く結びついている点に焦点をあててほしいというオーダーでした。

 ちょうど同じ頃、お茶の水女子大学がトランスジェンダーの学生の受け入れを決定します。すでにこの頃からツイッターでは、トランス女性が他の女性と同じ更衣室やトイレを使用することを危険視するような声がありました。しかし、わたしがそうした声に対し、インターネット上で批判をしたり、反対の意を表明したりすることはありませんでした。同じ更衣室やトイレを使用することに戸惑いや不安をもつ人はいるでしょうが、そのことのみを理由にトランス女性を女子大学に入学させるべきではないというのは筋の悪い議論です。そのような議論が多くの人に受け入れられるとはその時は思えず、そのうちなくなるだろうと楽観視してしまったのです。

 自分の判断が間違っており、トランス女性に対する懐疑的・攻撃的なまなざしが増していること、またそれがインターネット上に限らないことに気づいたのは秋に入ってからでした。対面で個別のやり取りを重ね、誤解や偏見をほどく努力をする中で、一人のフェミニストとしてこの問題についてパブリックな場で立場表明をしておく必要があると強く感じるようになりました。また、フェミニズムとクィアの関係を考える上で重要な問題でもあるため、ちょうど執筆中だった『福音と世界』の原稿が、その場としてふさわしいと考えました。とはいえ、この時点ですでに原稿の4分の3ほどができあがっており、締め切りも近づいていました。フェミニストによるトランス女性の否定・排除への反対表明が「付け足し」のようになってしまっているのはこのためでもあります。

 また、原稿の中では、ツイッター上で流れていた具体的な言説を直接取り上げることはしませんでした。そこにはいくつかの理由がありますが、この原稿が出版される頃には事態が収束しているかもしれないと考えていたところもあります。しかし実際には原稿が出版された12月上旬前後から、トランスフォビックな言説はより激しさを増していきました。そしてわたしは、自分がまたもや事態を軽く見ていたことに気づかされたのです。同時に、インターネット上でも自分の立ち位置を表明し、差別的な発言が常態化しないよう働きかける必要があると考えるようにもなりました。今回、堀あきこさんの呼びかけに賛同し、この原稿を公開することにしたのはこうした経緯からです。

 最後に、原稿の内容について一点だけ補足させてください。原稿の中でわたしは、「女性だけの空間」からトランス女性を排除することに対し、基本的に反対の意を表明しています。その際、わたしが念頭においていた「女性だけの空間」とは、フェミニズムやレズビアンの運動にかかわる女性たちが特定の目的のもと、特定の関心をもつ人たちに呼びかけて作り出してきた空間(たとえばイベント等)のことであり、現在ツイッター等で焦点があてられているトイレや銭湯等、不特定多数の人の利用を前提とした、より公共性の高い空間のことではありません。

 わたしは、トイレや銭湯については、その性質と目的からして、必要な時に誰もが利用できる空間であるべきで、特定の人の利用をあらかじめ妨げることがあってはならないと考えています。もちろんこれは原則論で、実際には、たとえば安全が確保されていないという理由で、利用できない(=すでに利用を妨げられている)人たちがたくさんいます。こうした不均衡を是正することを目的に、誰かの利用を禁止するという手段がとられることも、場合によってはありうるでしょう。

 しかし、すでに多くの方が指摘しているように、トランス女性や「男性のようにみえる」身体をもつ人の利用を禁止・制限することは有効な手段でないばかりか、有害ですらあります。特定の身体や見た目をもつ人たちが危険なのではなく、特定の身体や見た目をもつ人たちを危険視し、公共空間からあらかじめ排除しておこうとする発想こそが危険なのだということに気づかなければなりません。こうした発想によってこれまで生み出されてきた数々の人権侵害を改めて思い起し、そうしたことを繰り返さない選択をすることが、この問題においても求められているのです。



共に在るためのフェミニズム−−クィアとのつながりに目を向けて

                             飯野 由里子

 フェミニズムとクィアの関係をどう捉えるのかという問いに、一義的な回答を出すことは難しい。それは、その人がいつ、どのようにしてフェミニズムやクィアと出会ったのか、議論の焦点を理論的な関係に置くのか、それとも運動史的な関係に置くのかによって異なってくるだろう(1)。しかし、少なくともわたしにとっては、フェミニズムとクィアは分けることが困難なものであり続けてきた。それは部分的には、わたしとフェミニズムの出会いが、1990年代初頭のクィアの運動を介してだったことに関係している(2)。もちろん、わたしと同世代でなくても、フェミニズムとクィアの間に明確な区分を設けない人はたくさんいる。『男同士の絆』『クローゼットの認識論』の著者として知られるイヴ・コゾフスキー・セジウィックもそのひとりだ。

 2000年10月14日、セジウィックの講演会がお茶ノ水女子大学で開催された(3)。当時、女性学を専攻する大学院生だったわたしが、フェミニズム理論の「スター」のひとりである彼女から直接話を聞くことができるこの機会を逃すはずはなかった。もうずいぶん前のことなのに、あの時の会場の雰囲気、自分が座った席の位置、そこから見えるセジウィックの姿、通訳をしてくれた竹村和子さんや大橋洋一さんの姿を、わたしはいまでもはっきりと思い出すことができる。

 この講演の冒頭でセジウィックは、過去20年にわたり、彼女をフェミニズムやクィアの考え方にコミットさせてきた「要因」について次のように語った。

 振り返ってみますと、フェミニズムやクィア理論の領域にわたしを駆り立てた大きな要因は二つあります。(中略)
 その第一は、〔わたしが〕徹底した非二元論の思考習慣をもってきたということです。Xという概念はYという概念と対立しているというようなことを言われるたびに、わたしは、もう一度立ち戻って考えてみて、「でも、XもYも結局それほど明確に区別できないのではないか」というように思う人間でした。(中略)
 第二の思考習慣は、今の非二元論に密接に関係していることですが、もっと政治的な領域に移し替えたものです。わたしはどのような種類の分離主義にも、我慢がならない質です。このことは、それにわたしが関与してもいいような集団−−たとえばフェミニズムの分離主義やユダヤのナショナリズム−−に対しても、またブラック・ナショナリズムのような、定義上わたしが排除されているような集団に対しても、わたしがつねに感じてきたことです。どのような種類であれ、均質の集団を形成しようとする衝動は、わたしには政治的に退行的なものに、もっと言えば、人を知的に鈍化させるものに思えます(セジウィック 2000: 30)。

 当時のわたしは、セジウィックがあげた第一の思考習慣(非二元論的な思考習慣)とフェミニズム/クィアの関係についてはすんなりと理解できたものの、第二の思考習慣(反分離主義的な思考習慣)については釈然としない思いをもった。感情的な反発を覚えたといってもいいだろう。そのせいか、二つの思考習慣の「密接な関係」についても、うまく理解することができなかった。だが、18年経ってわたしの理解も少しすすみ、これら二つの思考習慣の関係は、フェミニズムとクィアの運動や思想のつながりを示す際の、ひとつの出発点になりうるのではないかと思うようになった。そこで本稿では、フェミニズムにおける二元論批判と分離主義批判の簡単な整理を通して、両者の関係に関する現段階でのわたしの理解を示したい。


二元論批判
 二元論とは、あるものが二つに分けられて、両者の間に確固とした二極的な区分が設けられている状態のことをいう。二元論と聞くと、17世紀の哲学者デカルトが提唱した、精神と身体には根源的な差異があるという考え方(「デカルト的二元論」)を真っ先に思いつく人も多いだろう。その他、理性/感情、文化/自然、客観性/主観性、正常/異常、自立/依存、自己/他者なども二元論に含まれる。

 こうした二元論的思考には、大きく分けて二つの特徴がある。第一に、それは二つの実体の差異を拡張し対立的なものにするという特徴をもつ。セジウィックの表現を借りれば、二元論的思考はそれほど明確に区別することができないXとYの差異を誇張し、対立的なものとして措定する。第二の特徴は、対をヒエラルキーとして序列化することにある。つまり、二元論的思考においては、XとYは「違っているが、同程度の価値がある」とされるのではなく、Xの方がYよりも価値が高いとされる。したがって、Xの価値を維持するためには、Xの中に含まれているはずのYの要素を排除し続けなければならない。逆に、Yが自身の価値を高めるためには、Yは自身の要素を捨て去ってXの要素を積極的に取り込み、Xのようになっていくしかない。

 フェミニズムでは、こうした二元論的思考への批判が重要なテーマであり続けてきた。第一にフェミニズムは、二元論が多様な考え方、多様な人びと、多様な存在様式を固定的な二極に押し込み、わたしたちの間に存在する豊かさや複雑さ、複数性や異種混淆性を切り捨てがちだと批判してきた。第二にフェミニズムは、二元論では、価値が高いとされる側が男性性に、価値が低いとされる側が女性性に結びつけられがちだと批判してきた。たとえば、いまでも理性・客観性・自立といった概念は男性性に、感情・主観性・依存といった概念は女性性に結びつけられがちだ。さらに、そうした思考枠組みが、現実の女性たちが経験する不利益を正当化するために用いられたりもする(たとえば「女性は感情的で客観的ではないので、彼女の言い分は信用に値しない」など)。

 したがって、フェミニズムにとって二元論的な思考方法は、現実の把握の仕方として妥当でないばかりか、中立的で無害な考え方でもない。むしろ二元論は、すでに不平等で差別的な諸関係を前提にしている点で、偏っている可能性が高い。したがって、その無批判な使用は、社会の中にすでに存在している構造的な不均衡を再生産・強化しかねない。こうした認識があるからこそ、フェミニズム理論は、さまざまな二元論に積極的に挑戦し書き換えを試みてきたのだ(4)。

 実は「クィア」の運動や思想、理論も、こうした二元論批判の流れを引き継いでいる。たとえば、現在、クィア理論の授業で多くの学生が一度は触れるミシェル・フーコーの理論は異性愛と同性愛の二元論的な区分を、また、ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』はセックスとジェンダーの二元論的な区分を、それぞれ批判的に検討し、書き換えようとした試みとしても理解できる。とりわけ、後者の二元論批判は、トランスジェンダーの運動や理論によって発展された性別二元論と関連づけて理解されることで、フェミニズムの運動や理論が無批判に前提してきた「女性」カテゴリーに変更を迫るものだった。フェミニズムの中には、それをフェミニズムの運動や思想の「基盤」を掘り崩すものとして受け止め、「クィア」の思想や理論に警戒する向きもある。

 しかしここまで述べてきたように、フェミニズムとは、二元論的思考の無批判な使用によって再生産・強化される構造的不均衡に果敢に挑戦してきた運動・思想でもあったはずだ。このことを思い起こせば、セックス/ジェンダーの二元論及び性別二元論が現実の世界の中で生み出している具体的な被害に目を向け、特定の人びとの生存を困難にしている現状の改善に参加することは、フェミニズムだからこそ、またフェミニズムであるがゆえに、挑戦しなければならない課題だということになる。



分離主義批判

 二元論批判がフェミニズムの基本的なスタンスとして共有されてきた一方で、分離主義とフェミニズムの関係はもっと複雑なものとして存在し続けてきた。フェミニズムの歴史を知っている人の中には、「分離主義」と聞くと真っ先に、ラディカル・フェミニストやレズビアン・フェミニストが実践しようとした分離主義をイメージする人が多いだろう。これは、女性の人生において長期間かつ広範にわたり、身体的、経済的、社会的、感情的・精神的に、男性や男性支配から直接的な影響を受けない(=分離された)生き方を模索しようとしたさまざまな取り組みのことを指す。とりわけ1970年代から1980年代には、女性だけの共同体(コレクティブ)が実際に人気を集めたとされており、そこでは女性の建築業者や女性の印刷業者などに仕事を依頼するといったことが意識的に行われていたという。

 しかし、フェミニズムにおける分離主義はそうしたものだけではない。たとえば、1960年代後半に女性解放運動(第二波フェミニズム)が登場した際には、運動の場で男性が議論の主導権を握り、その場を取り仕切ってしまうのを避けるため、議論や討論の場に関しては男性の参加を断るといったことが広く採用されたといわれている。こうした「議論の場を分ける」という意味での分離主義は、女性解放運動が男性優位・男性主導な運動に抗する新たな運動を展開し、独自の理論や指針、方法論を形成していくために必要な方法だったと理解するのが一般的だ。

 ところが、セジウィックは2000年の講演の中で、分離主義を「均質の集団を形成しようとする衝動」として捉えていた。もちろん、そうした評価を、完全な誤りとして無視することはできない。だが、議論レベルの分離主義の要点は、相対的に発言力の強い側にいる集団(男性)と弱い側にいる集団(女性)の間に存在する構造的不均衡が、議論の場において後者を萎縮させたり、後者の発言を過小評価したりしないようにすることにあったと考えるべきだろう(5)。

 また、フェミニズムの分離主義には、男性(や家父長制)からの分離だけではなく、「主流」のフェミニズムからの分離も含まれるという点を忘れてはならない。たとえば、非白人の女性や労働者階級の女性、障害女性や非異性愛の女性は、「主流」のフェミニズムの中で自分たちの問題がまともに取り上げられず、無視・軽視され続けていると感じたため、「主流」とは別の場を作り出すことで、自分たちの問題に取り組もうとした。こうした実践の中に、「均質の集団を形成しようとする衝動」がまったくなかったとはいえない。だが、それらについても、相対的に発言力の強い側にいる集団(「主流」に位置づくフェミニスト)と弱い側にいる集団(「周縁」に位置づくフェミニスト)との間の構造的不均衡によって、言論の機会が奪われたり、議論の場が歪められたりしてしまわないことに主要な狙いがあったと理解すべきだろう。

 さらに重要なのは、フェミニズムの「周縁」に置かれていると感じた女性たちによる運動と理論によって、フェミニズムの知見が鍛えられ、深められてきた、ということだ。もちろん、セジウィックが「わたしはどのような種類の分離主義にも、我慢がならない」と述べた時、また分離主義の事例のひとつとして「フェミニズムの分離主義」をあげた時、彼女が具体的にどのレベルの分離主義をイメージしていたのかはわからない。しかし、わたしには、どのような分離主義も「政治的に退行的」で「人を知的に鈍化させる」ものであるというセジウィックの批判は、やはり一面的に過ぎるように思える。少なくともフェミニズムにおいては、議論・言論レベルの分離主義は生産的な側面をもっていたはずであり、この点については肯定的な評価がなされてもよいはずだ。わたしが18年前の講演で感じた「釈然としない思い」の正体(の少なくとも一部)は、この点にあった。

 このように、フェミニズムの分離主義に対して、わたしはセジウィックほど批判的な立場をとっていない。だが、フェミニズムの中には、そのようなわたしにとっても賛同できない種類の分離主義があり、近年、その傾向が再燃しているようにも思え、強く懸念している。それは、トランスジェンダーの女性を「女性だけの空間」から分離(=排除)しようとする種類の分離主義だ。もちろん、そうした分離を求める理由の中には、たとえば「過去に性暴力や性被害を受けた女性の中には、同じ空間に『女性的でない(=男性のようにみえる)』身体があるだけで、自分の安全が脅かされているように感じる人がいる」など、場の目的や性質によっては一考の余地を残して置いた方がよいものもありうる。だが、そうした場合でもわたしは、そのことのみを理由に排除という方法を自動的に採用することには慎重であるべきだと考える。なぜなら、トランス女性に対する排除的な思考は、「生まれた時の性別」(6)のみを「正当」なものとみなすような前提を強化する一方で、その他の性別のあり方(たとえば、性自認にもとづく性別)の正当性を掘り崩す効果をもつからだ。したがって、そうした思考は、性別をめぐりわたしたちの間にすでに存在している多様性を結果的に否定してしまっていることになる。

 それだけではない。現在の社会において、トランスジェンダーの人たちが社会的認知という面で、またそのことと深く関連して物質的・経済的にも不安定な位置に置かれやすいことは、多くの調査研究によって明らかにされている。この事実を踏まえると、二元論的思考のもと、「生まれた時の性別」が女性でないことを理由にトランス女性を特定の場から排除することは、その人がすでに経験している不利益や不安定性を増大させる危険性がある。フェミニズムの二元論批判の視点からは、そうしたことは極力避けられなければならないし、少なくとも、排除によって生じる不利益の深刻さが、「同じ空間に『女性的でない』身体があるだけで、自分の安全が脅かされているように感じる」という女性の不安や恐怖と比べた時に、過小に見積もられないようにしなければならない。




 このように考えると、分離主義批判とは二元論批判を「政治的な領域に移し替えたもの」だとするセジウィックの整理が、いまなら腑に落ちるような気がする。社会の中にすでに存在している構造的な不均衡に注意を払わないばかりか、そうした不均衡のさらなる拡大につながるような思考や実践(たとえば、ここでとりあげたような二元論的思考や分離主義的実践はその一例だ)にわたしは批判的だし、その視点がわたしのフェミニズム/クィアの領域に対する(最近ではここにディスアビリティの領域が加わる)コミットメントを支えていると思っている。わたしにとって、フェミニズムとクィアを分けて考えることが難しい理由、あるいは分けて考える必要性をあまり感じていない理由の一端は、どうやらこのあたりにもありそうだ。



(1)わたし自身、フェミニズムとクィアの関係をめぐっては逡巡を重ねてきた。その一端は、拙稿(「『クィアする』とはどういうことなのか?」『女性学』15号、2008年、78-83)にも見ることができる。2008年時と比べると、現在のわたしは、自分の研究スタンスと「クィア」的なスタンスとの間に距離を感じなくなってきている。
(2)より正確に述べると、わたしはレズビアン・アベンジャーズ(The Lesbian Avengers)というグループを通してフェミニズムと出会った。このグループは、1990年代初頭に活躍したクィア・ネーション(Queer Nation)から派生し、「レズビアンの可視化」を目的にさまざまな直接行動を展開したことで知られる。なお、当時の出来事については拙著(『レズビアンである〈わたしたち〉のストーリー』生活書院、2008年)でもごく簡単に触れている。
(3)この時の講演の内容は、後に『現代思想』2000年12月号に掲載された。セジウィック、イヴ・K /竹村和子+大橋洋一訳(2000)「クィア理論をとおして考える」『現代思想』2000年12月号、pp.30-42を参照。
(4)こうした認識にもとづき、フェミニズムに理論でもっとも批判的に議論されてきたのが公私二元論だ。紙面の都合で詳細は省くが、そこでは、公私二元論が男性/女性の二元論に依拠することで、公的領域からの女性の排除に正当化してきたこと(たとえば、Carol Pateman. The Sexual Contract, Cambridge: Polity, 1988)、さらに、人が「自立した個」ではなく互いに依存して生きているという事実を隠蔽してきたこと(たとえば、岡野八代『フェミニズムの政治学−−ケアの倫理をグルーバル社会へ』みすず書房、2012年)などが指摘された。
(5)もちろん、この方法がどれほど有効に機能したのか、またどのような副作用をもたらしたのかについては別途検討する必要がある。
(6)より正確には、「生まれた時に割り当てられた性別」あるいは「生まれた時の外性器の形状をもとに判断される性別」というべきだろう。

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