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にじさんじ衰退論に対する意見

 「にじさんじ衰退論」なる記事をまた目にした。ただ今回の内容は“にじさんじは衰退した”ではなく、“衰退する可能性”について論じていたものであった。この記事を読んで思う所があった故拙い文章ではあるが意見を書いておこうと思う。

にじさんじが他の企業から疎まれている説について

 記事ではにじさんじが他の企業から疎まれ、にじさんじ包囲網が敷かれているとの意見が見られた。

 本当にそうであろうか?

 まずVtuber絡みの企画でにじさんじの面々が大トリを務めたり特別ピックアップされることが少ないとの事だが、大トリの役割はライブなどの構成上大変重要な役割である。しかもライブの場合、大トリに相応しい雰囲気の曲というものがある。仮に歌唱力が申し分なくとも曲調がトリに合わないものであれば最後にはもってこないだろう。そういった意味で、ライブ等の企画で“トリ”を務めるかどうかは不遇な扱いを受けているかどうかにはあまり関係がないように思う。また、記事内では『 コミケplus』という雑誌でホロライブが特別な扱いを受けている様な印象を受けているような文言があったが、これは当然の事のように思える。この時期のホロライブといえば、桐生ココなどの四期生の登場もあり爆発的に人気を伸ばしていた。ファンからの注目度も特別高い時期だったのだ。Vtuberを特集する上で、界隈で1番勢いのある箱を中心とするのは何ら不自然ではない。

にじさんじと他のVtuberのコラボについて

 記事の作成者は、にじさんじは他のVtuberに数字を吸われているとの印象を受けているようだった。

 これは全くの邪推であるように思う。

 まず数字の話をしているはずなのに、具体的な数字がエビデンスとして示されていない。数字が流れているのであればどの程度流れているのか、またそれは本当にコラボによるものであるのか。この部分の証明がされていない。この部分は作者の妄想や杞憂などが多分に含まれているように感じる。

 更に記事作成者は他のVtuberをライバルとして見て、メリットとデメリットを考えた方が良いとの主張をしていた。これを実行に移した場合すぐさまリスナー側には伝わってしまうだろう。「このライバーは損得でコラボを考えているな」とリスナーは思うだろう。メリットとデメリットを考えた結果、今までやっていた人とのコラボをしなくなったらリスナーは察するだろう。今まで『優しい世界』を夢に見てきたリスナーの目にとってこのライバーはどう映るだろうか。間違いなく拒否感が生まれる。結果としては数字も落ちるだろう。記事作成者が主張する方法はこの界隈には合わないのだ。

 そもそも先述したようにコラボで数字が落ちたというエビデンスがない以上デメリットはあまりない。次にメリットだが、大抵のコラボでは一定の需要があるのである。にじさんじが行うコラボで視聴者が0の事などあっただろうか。少なくとも数百〜数千の同時接続数はあるのでわざわざ辞める理由もない。確かに新規の視聴者獲得に繋がらないコラボというものはあるかもしれない。しかしそれも、今いる既存のファンを楽しませ、定着させるというメリットがあるだろう。なので現状のコラボ形態を変える程のリスクを負ってまで得る利益がそれほど大きくないと考える。

企業勢は利益を求めるものであるという固定観念

 記事内では下記の様な事も書かれていた。

 人付き合いをクレバーな視点で考える事は恥ずべき事ではなく、今後も人気商売を続ける上では当たり前の自衛に過ぎない。

 との事だ。確かにライバー活動を“商売”と捉えればこの主張は納得のいくものである。

しかし、にじさんじにおけるライバー活動は必ずしも“商売”とは言えないのではないだろうか。

 まずにじさんじのライバーの中には配信者としては別の職業を持っている人も少なくないし、“配信は趣味”、スパチャを投げられた際に視聴者に落ち着くよう促すなど必ずしも厳格な意味での“仕事”と捉えていない人もいるのだ。勿論、色んなライバーがいるのだから“仕事”や“商売”と捉え、努力しているライバーもいる事だろう。そのような人は先述したメリット、デメリットを考えてコラボや配信を行うといったことはすでにやっているはずである。

つまり、にじさんじではライバー業を必ずしも“仕事”と捉える必要はないし、捉えずとも良い空気感が共有されているのである。

いちから株式会社のホームページには下記の通り書かれている。

魔法のような、新体験を。
僕らは、テクノロジーで、エンタメを変える。
もっと自由で、もっと多彩で、もっとディープなコンテンツを送り出し、
魔法のような新体験を世界に届ける。

この“もっと自由で、もっと多彩で、もっとディープなコンテンツ”という所がポイントだ。“自由で多彩”、にじさんじは特に厳格なルールや配信ノルマなどは設けず、配信スタイルも各ライバーに一任する放任主義だ。当然ライバーという概念を自分の中でどのように位置づけるのか、という事もライバーに任されているだろう。

そう、にじさんじは企業であるからといって必ずしも“利益第一主義”という訳では無いのだ。利益を求めるのであれば、配信頻度が少ないライバーに対して配信ノルマを課すなど様々な手段を講じるだろう。そもそも企業の理念からして数字や人気を第一と考える会社ではないのだ。

にじさんじの海外進出について

 にじさんじが海外進出の輪に入る事が出来ていないとの意見もあった。記事作成者によるとその要因はbilibiliなどの舞台で海外人気の高いVtuberとのコラボを行えないことにあるという。これも全く違うように思う。

海外でコラボしないのはそもそも企業としてにじさんじは海外進出に重きを置いていないからではないだろうか。bilibiliで多く配信を行っている訳ではないし、一応にじさんじにも海外グループが多くいるが、日本と同じく放任主義でライバーの自由な活動に任せている。わざわざ他企業と積極的にコラボをしてまで海外進出を図ろうとしているとは思えない。

そもそも海外進出というのはそこまで重要な事であろうか?エンターテインメントにおいて世界で1番にならなければいけないという事はない。例えばJ-POP。J-POPは世界的に見て人気であるとは言えない。しかし、日本という市場で既に支持を獲得し自らの生存圏を確立しているため、わざわざ世界でシェアで獲得する必要はないのだ。エンタメ業界ではお金を落としてくれる一定数のファンを獲得し、そこでコミュニティを形成する事が出来れば商売としても成り立つのだ。その点にじさんじは既に多くのファンを獲得し、コミュニティを確立している。今更無理な動きをしてまでシェアを取りに行かなくても良いのだ。

犬山たまき

 犬山たまきについても書かれていた。曰く、犬山たまきとは縁を切った方が良いそうだ。こんな事は余計なお世話であると言わざるを得ないであろう。犬山たまきとのぶっちゃけトークなどは危険であるとの主張がなされていたが、これは言われのない批判である。彼のコラボを見てみるとぶっちゃけトークを思わせるサムネであっても、配信内では上手く舵を取りバランスを取っている。こういった配信での何でも言えるというのはあくまで、一定の範囲内の事というのが暗黙の了解である。夢追翔の例が出されていたが、あの発言は犬山たまきとのコラボだから起こった事ではないし、配信上に載せている以上悪いことだと思っていなかったのであろう。それならば誰とコラボしても言っていたように思う。また、彼以外にも様々な個人勢との外部コラボを引き合いに出していたが大変失礼である。何の証拠もなしに一方的な決めつけで名誉を傷つける様な主張な即刻撤回すべきであるように思う。

最後に

 ここまで私なりの反論を述べてきたが、総括としては現状のコラボ形態を変える必要はないというのが、私の一貫した主張である。そもそも誰とコラボをするかなどライバーの勝手であり、メリット、デメリットの話などそれこそ余計な世話焼きである。にじさんじは現状、コナミや集英社などのコラボを受けており、衰退する可能性どころか今まさに人気を伸ばしている時期である。確かに同時接続数などが他企業に負ける事もあるかもしれない。しかしだからなんだという話だ。負けているとは言ってもにじさんじの人気が致命的に落ちたとかそういう事は現状起こっていない。我々は数字を見ているのでは無くライバーを見ているのだ。リスナーが数字について云々言い出し、マネージャーのような顔をしてあれこれアドバイスをするような事はやめた方が良いのではないだろうか。