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根津権現

旅の共に持ってきた、車谷長吉の「金輪際」を読み切ってしまった。短編がいくつかあり、一つだけはなぜかはまらず読まなかったが。
最近よく言われるが、暗く、地味な本ばかり読んでいる、じとじとして、読むだけで気が滅入るような。
このような私小説にハマったきっかけは西村賢太の「暗渠の宿」からだが、よくよく考えると一年以上前に車谷長吉の「赤目四十八滝心中未遂」なる本も読んでいて、今思うと似たような本だった。物書きの男(大抵は著者自身)の地味で暗い貧しい生活がただただ綴られている。
ジャンルは違えど、ガロ時代の漫画家、つげ義春の「貧乏旅行記」なども似たような本だった。これは紀行記だが、つげ義春が一人で鄙びた温泉街を歩くというだけのものだ。
彼が、鄙びた貧しい温泉宿の床に入り、こここそが自分のあるべき場所だと思うシーンがあり、そこに何故か深く共感し、暗く貧しいものへの興味、憧憬なようなものが生まれたのだと思う。
それが今読んでいる暗い本へと繋がっている。
いきなり何故こんな話になったのかというと、「金輪際」の中で根津権現が出てくるのだが、同じ名詞が西村賢太の本にもよく出てくる。彼が傾倒している大正時代の藤澤清造の本で「根津権現裏」というものがあるのだ。文京区にある神社なのだが、似たような本に似たような地名が出てきて、この根津権現というところに興味が湧いてきた。
ちなみに、この藤澤清造という小説家は無名ではないものの、あまり脚光を浴びることなく、精神を病み冬の芝公園にて凍死してしまった人だ。彼は石川の田舎の生まれで、僕が日本海側の地域に抱く暗く重たい印象はこういうものも影響しているかも知れない。

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