雑記219

今日もいつも通り、酔っ払い。

体重が50キロ下回る僕が2リットル近くのビールを飲んだので体の5%くらいビールになったはずだが、全く酔いが回らないのは何故だ。

困ってしまってウイスキーをぐびっと飲んだら頭が痛くなってきた、そりゃそうや。

何事にも適量がある、無理をするとどこかに皺寄せがくる。お金も時間もほんの少しあればいいや。

五十音順に著者の本を読んでいく、リレーのようなものを始めた。僕は色んな本を適当に読むが、大抵好きな方、興味のある本に流れていく。それは不思議なことではない。しかし、あまり読まない人の本も読んでみよう、ということで、取り敢えず五十音順に読むという取り組みを始めた。

初めはもちろん「あ」、まあ、いろはでもよかったのか…、どちでもいいや。

古本屋の棚で「あ」行の列に行き、ぼーっと観ていたが、割と知っている名前がある。芥川龍之介、あさのあつこ、有川浩、赤川次郎…。

読んだことない人、知らない人の本を読むのが目的なのでここら辺はスルー。

そして手に取ったのは青木新門という人の「納棺夫日記」。

富山の葬儀屋で働く男のが、そこで見つめる生や死について書いている私小説である。

あ、またこの男、暗い私小説を選んだなと思ったでしょう。まあ正解なのだけど、これは選んだよりも吸い寄せられた、の方が近いな。タイトルを見て、ふっと手に取っている、暗い私小説を探しているわけではない。

昼に買ってきて、とぼとぼと読んでいるのだけれど、好きな表現があった。

折口信夫や柳田邦夫から始まるわが国の民族学者たちが、各地の風俗習慣や冠婚葬祭の儀礼文化を調べていくと最終的には「ケガレ」と「ハレ」と言うアメーバのような原始的な思想に行き着く。

「納棺夫日記」青木新門

奥さんに「穢らわしい」と言われて拒絶されてから、この穢れという言葉についてくどくどと考えているシーンなのだけれど、「アメーバのような」という表現が、いかにも最後にたどり着く根幹の原子のような例えとしてとてもしっくりきた。

そして、現代でも僕たちの生活の中には、この「ケガレ」と「ハレ」が沢山ある。晴れ姿、晴れ着という時の、はれ、清める時の水や、塩、例をあげればきりがない。

それだけ、日本という島国が培った民族的な思想は根深く、そう簡単に抜けない。

民俗学なんかの面白さはそこにある。考古学などではなく、日本の民俗学はダイレクトに僕たちの生活や思想に入り込んでいる。

僕はやらないが、恵方巻きを食べるとか、「鬼は外」のイベント、あれも出自はその辺りだろう。

ちなみに、日本は八百万の神ということで何でもかんでも神様である。この、「鬼」を神と奉る神社もあるのでびっくりである。

この際の鬼神社のオニの漢字は大抵、上のちょんが付いていない、ツノがないという意味なのだそうだ。

また、頭が痛くなってきた。
退散。

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