前述の「隣人」について

とまあ、小説を書いたわけですが、お目汚し失礼いたします。
もう20年ほど前ですかね、私は某製茶販売会社(本社:長崎県長崎市文教町)の新入社員でした。
大学の卒業式を控えた2週間前、長崎へ研修に行ったのですが・・・これは後から確信したのですが「なぜか私はトレーナーとか直属の上司に目を付けられやすい」と。
研修はまじめにしてます。どんな企業に転職しても。しかし、誰しもが私に対して異物を見るような視線を送る。。。なぜだ???確かに自分は社会不適合者とは思うけれどもそんな目でみることないんでねえの?と。
ああそうか、社会不適合者だからかあーそうだよなあーはははは(真顔)。
私よりも汚い手口で上司に媚びを売って少しでも上に上がろうとするクソのような女がいてもそこは気にしないんだなーと。

そういう経験の出発点がそこの長崎の製茶販売会社だったわけで。
包装とか販売のロールプレイングとか接客用語を叩き込まれてもどうも私は「違うソウジャナイ」系の行動をしていたわけで(自覚なし)
そして私自身、なんか色々間違う・・。どんなに覚えようとしても覚えることができない。後日仕事に慣れたらすごいスピードでこなせるような簡単なことも全然頭がシャットアウトして記憶すらしてくれない・・・なぜだと。
でも、覚えるまで頑張ればいいと自分で自分を励ましていたんですがね、
ある日店頭実習で
「あら、ホロケウさんって左利きなの?」
左手で作業をしていた私にトレーナーは言いました。
「はいー、左利きです。」
大概、左利きに対してかける言葉といえば
「そうなんだ、箸を持ったりするのも左なの?」とか
「左利きって珍しいよねー」とか
よく言われてたりしてたのでその類の会話かと思ったら
「でも、左利きって器用なんじゃないと?」
と。
この言葉は想定してなかったっすわ。「はい?」と思った私に、更に
「私の息子は左利きで器用よ?」
まあ、その時のそのトレーナーの顔、今でも忘れでか。
研修所にいたときからこのトレーナーに目を付けられていたのは分かってたし、人格無視をした言葉を浴びせられてきたのはすごいあるけどこれは仕事をなかなか覚えられない私にも責任があると思って耐えてきたもんですが、この一言で爆発しそうになりました。
「左利きだからって息子さんと私とを一緒に考えないでください」
という苦情が頭に走ったんですが、爆発寸前で抑えました。ありがたく思えよ。
ほんとにね・・・・今は退職金で生計を立てているでしょうが、退職金でウクライナに義援金を贈ったとしても絶対許さねえ・・!!!!!
土下座して地に頭を穿つまで許さねえ!!!!!と思ったもんですが、「この女をいずれ見返してやる」という仕事に対するモチベーションはできましたね。
それ以来まあ、職は転々としてきましたが、心落ち着く場所はどこにもないですね。みんな変な生き物を見るような視線で私を見る・・・。なんでだろー?
その頃は東京の会社の某美容部員として働いていたんですが、やはり私のやることなすことヤリ玉に挙げられて・・・を繰り返す。
赴任した場所でも変な人間変わった人間とみられる。私は私で正常な人間とは・・・?となる。そんな私を受け入れてくれた先輩もいるし、他メーカーの友達もいました。本当に感謝の念でいっぱいです。
しかし、その会社の内勤になってから私は内勤の女性たちの血で血を洗う闘いを目にしてガクガクブルブルするのでした・・・。
内勤はどうにも肌に合わなかったようで、うつ病を発症、そして癲癇も発症、何もかもが嫌になってそして自殺未遂・・・となって、色々あってそして大分へと帰る。
そして現在の場所で働いているのですが、やはり周りに溶け込めない。
レジ操作をすると必ず間違う。サッカーも小物を渡し忘れる・・・。
その頃通っていた心療内科に自分の心理状態を訴えるんですが「んー、どーしたらいいんでしょーねー?」という医者と思えぬ返答。
そして私の癲癇も鬱(パニック)も酷くなってきて別の心療内科に通いました。その先生に自分の状況を話したら「んん-、発達障害の可能性があるねえ」と別の病院を紹介してくれ、癲癇については専門の病院を紹介してくれ。都合病院を3件巡ることになった私ですがね、状況は少しずつとはいえよくなってきていると思いますね。
結局発達障害だったわけですが、この時愕然としたというよりかは安心のほうが強かったかと。謎だった自分の一部が分かったわけなんで。

んで、小説の「隣人」とはその製茶販売業で働いていた時に、あまりのパワハラモラハラに頭にきて、仕事中にピキーンと来たものをそのまま勢いのまま文章にしたためたわけです。
当時にはなかった「パワハラモラハラetc」や「発達障害」といった専門用語ですが、今やもう誰もが聞いても周知されている。でも、だからと言って変わり者に対する社会の態度は一体どうなんだろう?個人の態度はどうなんだろう?
人の意識はあまり変わっていない感じはします。体感としてですね・・。

そんな中、フランスの刑事サスペンスドラマ「アストリッドとラファエル」というドラマ(2期/「魔女の儀式」)を観ていたら、やはり思うことがあったので、彼の作品を掘り起こし、もう一度したためてみた次第です。
にしてもこの刑事ドラマ面白いですよ。
自閉症を抱えるアストリッドや、ADHDを抱える登場人物などが捜査に協力して難事件を解決していくんですよ、「普通の」刑事たちと共に。そして刑事たちも彼らの持っている才能に助け助けられ絆を深めていくという。

発達障害や難病を抱えていて社会を生きるにはとても生きづらい世の中ですが、八紘宇一の弥栄がそこにありますように。

【追記】
そして、思い出した。これを書かなければならなかった。
吸血鬼の事なんですが、作中では未来から来た、ということになっています。
自分の中では「人間の空想上の魔物」まあこれに尽きるんですけれども、その空想上の魔物が人の念によって個性を持ち、そして時代を超えてどの世界にでも行き来できるのではないかと思ってます。現に、今を生きる我々だって彼の事を知っているから。
そして、彼は拉がれた人間、途方に暮れた人間の気持ちがわかる存在ではないかと。これは私の思っているかなり個人的な設定なのでしょうが、彼らでなければ分からないことって実はたくさんあるんだと思うんです。
世の中、昔も今も理不尽極まることが多すぎるから。
実は魔物のほうが優しいのではないかと思わないでもない・・・。


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