写真を撮るということ

私も写真を撮るのが大好きなんですが、一体何故撮影し続けるのかふと考えることがあります。

以前やたらと撮影しまくっていた頃はとにかく街中を歩き回って何気にシャッターを押しまくっていましたが、その中にはもはや今となっては消えてしまった建物や街並みがあります。 代官山の同潤会アパートやタワーマンションが立ち並ぶ前の殺風景な武蔵小杉の空地、などなど今や歴史の資料となりそうなものが「結果として写ってた」、というのがあり、それが後から見ると非常に面白いのです。

被写体を決めて意気込み満タンで、今日はコレを撮るんだ!と張り切った写真はどうも余計な力が入っていて「ヨソイキ」なんですよね。何か自分が撮ったとは思えないんです。

音楽と同じで変に「頑張ってしまう」のは、余りいい結果をもたらさない、と思います。いつもと同じ様に息してればいい。息する様に演奏し、息する様にシャッター押せばいいと。

それが結果として「原寸大」の自分なんじゃないかと思います。

いい写真を撮りたい、皆を感動させたい、と言った「野心」は当然持ち続けたいですが、一度それを捨ててみませんか?緊張した状態は長く続かないし着飾った自分は自分じゃないですから!







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