ノート見出し

短編小説「春には真珠の耳飾りを」

――事故、だった。

強い光を感じた時には、手遅れだった。
ガシャンだかズガンだかよくわからない大きな音をたてて、体が宙に舞った。

痛みはよくわからなかった。
夜桜が視界を霞め、「ああ、きれいだなあ」と
自分の身に起きたことなど全く理解もせずに、
のんきに少し早い春を愛でた。

それで、終わり。


〇、蕾

その日、蓮見 風花は浮かれていた。
卒業式を明日に控えた校庭の桜は五分咲きであるが、風花の心は満開である。

というのも、入学当初から憧れていたテニス部の副部長、瀧センパイから「明日、式の後時間ある?」などと声をかけられたからだ。

卒業したら会えなくなると、友人に愚痴をこぼし慰められたのは昨夜のことだったか。
思いもよらないセンパイからの申し出に、風花の心は浮足立っていた。
長い坂道を上る自転車のペダルを漕ぐ足も軽い。

「春がきたァー!」

春期講習という名の予備校による苦行に耐え、明日の卒業式後に待ち構えるであろう春の到来に心を躍らせ、上った坂を一気に下る。

ちょっと冷たい春の夜風が火照った頬に気持ちいい。
下り坂の沿道に咲く五分咲きの桜も、風花の春を祝福してくれているように見えた。

ああ、幸せ!と息を吸い込み、目を閉じた
——のが間違いだった。

強い光を感じた時には、手遅れだった。
ガシャンだかズガンだかよくわからない大きな音をたてて、体が宙に舞った。

痛みはよくわからなかった。
夜桜が視界を掠め、「ああ、きれいだなあ」と
自分の身に起きたことなど全く理解もせずに、
のんきに少し早い春を愛でた。

それで、終わり。


一、開花

事故、だった。

原因は車両の一時停止違反。
犠牲となった女子高生も自転車を運転しており、スピードを出して交差点に進入。一時停止を無視した自動車と衝突する大事故になった。
女子高生は即死。
自動車を運転していた75歳の男性も大怪我を負った。

というのが、その日夕方のトップニュースだった。


✿✿

その事故で犠牲になった女子高生、蓮見 風花は今、大変に困惑していた。

終わり、だと思った。
いや、終わりになるはずだった。
自分は先ほど事故にあったのではなかっただろうか。

体を調べてみるが、怪我や傷などは見当たらない。
宙を舞った時に、足が普段とは真逆の方向に捻じれていたのが見えたのだが、今は朝と同じ状態できちんと収まっている。

そして、何より奇妙なのはこの、目の前に突然現れた青年だった。

「蓮見風花さん、17歳。高校2年生。あってる?」

かろうじて、首を縦に振る。

屈んで目線を合わせてくる青年は、真っ白いスーツに左肩だけマントがついた、なんとも漫画に出てきそうな不思議な出で立ちをしている。
その奇妙な恰好が、より風花の警戒心を強くした。

「あ、大丈夫だよ。はじめまして。僕は君を迎えに来たんだ。」
「いや、王子様かよ。」

しまった。
心の中で突っ込んだはずだったのに、うっかり口をついて出てしまった。
見ず知らずの男の人に王子様なんて言葉、誰がかけるだろうか。

しかしこの人の顔が好みなのが悪いんだ。
あと服!肩マントって!似合う意味が分からん!

独り百面相をしながら、風花は無言で身をよじる。
なんとも奇妙な女子高生には全く動じず、真っ白な青年は笑いながら風花に声をかけた。

「あはは、この恰好だとそう見えるよね。よく言われる。」

でしょうね!と言いたいのをグッと堪えたところで、風花はとても重要なことに気が付いた。

「あれ、私死んだんじゃなかったっけ?」
「そうだよ、僕はプロキオン。君の魂を回収しに来たんだよ。」

魂を回収って、この真っ白イケメンは死神なのか?
ああやっぱり私は死んだんだな。
ウソでしょ明日は卒業式の後センパイにお呼ばれしたのに!
と、一瞬で風花の頭の中を様々な思考が駆け巡る。

やっとの思いで出たのは一文字だった。

「は?」

「君も星にならない?」

さらにもう一文字。

「え?」

「僕はこいぬ座α10番、プロキオン。北の空で魂の回収任務を担当している一等星です。蓮見風花さん、あなたを『星』に推薦します。僕を手伝ってくれないかな?」

真っ白イケメン、もといこいぬ座のプロキオンが笑顔で手を差し出した。
次の記憶は、ここまで。


二、三分咲き

目を覚ますと、そこは天界でした。

「いやマジか。」

むくりと起きて辺りを見渡すと、目の前には教会のような、植物園のような奇妙な光景が広がっている。

豪華なガラスハウスの奥を見ると、先程知った顔がのんびりとアメリカンドッグを齧っていた。

「やあ、起きた?回収したばっかりだったのに無理させちゃってごめんね。」
「ここ、どこですか」
「天界だよ。」

びっくりするほど自分の予想が的中し、風花が頭を抱える。
さっき頭の中によぎった公共交通機関のキャッチフレーズのような言葉を思い返し、いやいやありえないでしょ。と抱えた頭を左右にブンブンと振り回した。

「回収した魂は、『星』になるならないに関わらず、天界に一度連れてくるんだ。これが、僕の仕事。」
「……死神じゃないんですか、それ。」

自分の置かれている状況はさておき、風花はずっと感じていた疑問を口にした。

「あの人たちとは一緒にされたくないなあ!僕らは『星』。魂のめぐりがきちんと行われるようにお手伝いをしているんだよ。」

目の前の青年はアメリカンドッグの棒を振り回しながら憤慨した様子をみせる。
プロキオン曰く、『星』とは現世に未練のある魂が天に従属したものを指す言葉で、いわゆる天使のようなものらしい。

亡くなった人の魂は一度天界へ運ばれ、転生するための準備期間を与えられる。
『星』となる魂は、現世に強い未練があるため、転生するまでに長い準備期間が必要である。その間、魂の回収任務を行いながら現世での人生を振り返る。

この期間を『星辿期』と言う。

魂の準備ができたら『星』は満期となり、新しい魂に転生することができる。その期間は様々で、早ければ1年、長ければ10年程度必要である。

というのが、プロキオンよる熱い説明から得られた『星』についての情報であった。間に大量の雑談が入ったためなかなか的を得られず、風花が何度も聞き返して話が進んだのは、今は横に置いておこう。

「で、私も星に?」
「そう、今こっちの空が手薄でさ。僕だけだと手が回らないから助けて欲しいんだ」
「魂の回収を、ですか?」

うん、と頷くプロキオンを横目に見て、風花は途方にくれた。

魂の回収といえば聞こえはいいが、つまりは人の死を目の当たりにしなければならないということだ。
まだ葬式にも満足に出たことがない年齢の風花には荷が重すぎるのではないかという気がする。

ううん、と腕を組むと視界の端でプロキオンの派手な金色の髪がわさわさと揺れた。

「急にこんなこと言われても困ると思うんだけどさ、そこをなんとかお願いしたいんだ。わからないことは僕がなんでも教えるから!先輩って呼んでよ。ね。」

肩マントをくるくると翻しながら、プロキオンが懇願する。
このイケメンを先輩と呼ぶのは割と魅力的だな、と風花はやや邪な動機を持ちかけた。

そのときである。

「相変わらず要領を得ない子だね、アンタは!」

声がした方に目を向けると、そこには白いハットを目深にかぶり、裾にファーのついたコートを肩からかけた妙齢の女性が仁王立ちしていた。
その姿は女王のような風格さえ感じさせる。

ハットの縁からのぞく鋭い眼光に捉えられ、風花は自分の鼓動が早くなったように思えた。

「アンタが風花かい?」

急に名前を呼ばれ、びくっと肩を竦める。
上目遣いで顔を伺いながら会釈すると、ふわりと頭を撫でられた。
温かく優しい手のひらに少々の安堵を覚える。

「事故、気の毒だったね。でも、相手を恨んじゃいけないよ。」
「え?」
「きちんと死を自覚しないと、先には進めない。目をそらすんじゃないよ、風花。」

その言葉に、思いがけず風花の目から涙がこぼれた。

急に訪れた若すぎる死、わけもわからず連れてこられた知らない場所、自覚のなかった不安が一気に押し寄せてきて、一筋の涙は徐々に嗚咽に変わった。

泣きじゃくる風花を抱きしめ、女性が背中をさする。
風花が泣き止むまで、その手が止まることはなかった。

おろおろと狼狽えるプロキオンに温かいお茶を持ってくるように指示を出し、女性はもう一度風花に語りかけた。

「怖かっただろうね。悪かったね。でも、アンタの力が必要なのは間違いないんだ。私の話を聞いてくれるかい?」

鋭いと感じた目は、母のような温かい眼差しに変わっている。
真っ赤になった目をこすりながら風花はこくこくと頷いた。

「私はカノープス。りゅうこつ座α星FK245と堅苦しい符号が付いているが、特に気にしなくていい。南の空で、天の調整をしている。アンタを呼んだのも、この私さ。」

カノープス、と声に出してみると何故だか不思議な心地よさがあった。
先程感じた恐ろしさは消え、安心感だけが残っている。

プロキオンが申し訳なさそうに差し出したマグカップを両手で包み込むと、あたたかさが沁みた。

「ごめん、僕うまく説明できなくて…」

首をふるふると横に振り、カップに口を付ける。
やわらかなハーブの香りが広がった。

「……おいしい」

「昔、先輩に教えてもらったんだ。落ち着くお茶。なんだっけかな、ええと……カモシカ?」
「カモミールだよ、このバカ犬が。自分の花じゃないか。」

すみません、としょぼくれたプロキオンの頭に垂れた犬の耳を想像して、風花はふふっと笑いをもらす。
カノープスは、まるでお母さんみたいだ。

「さて、風花。あんたどこまで聞いたんだい?」

プロキオンから聞いた情報をカノープスに伝えると、彼女はその情報に補足をしながら詳しく『星』の世界についての説明を始めた。

✿『星』が魂を運ぶのは、地球上の魂の総数を減らさないために必要なこと(化学でいう質量保存の法則のようなものらしい)
✿魂が死神に食べられてしまうと、その魂は消えて転生できなくなってしまうこと
✿天界にきちんと連れて来れば、ちゃんと転生できること
✿『星』が魂を回収するときには、魂は花の形をして現れること
✿天界では人の魂は蝋燭の形をしていること

風花が理解できたのは以上である。
カノープスの説明はとても、とてもわかりやすかった。

「つまり、星は亡くなった人の魂が次の人生で幸せに暮らしていけるように、循環の手伝いをするのが仕事ってことですか?」
「その通りだ。風花、かしこい子だね。」

カノープスに褒められ、風花の顔が綻ぶ。
この人がいるなら大丈夫そうだ。

「それなら、頑張れそうです。」
「ですって、カノープス先生!」

パッと顔を明るくしたプロキオンに、そうか、とほほ笑んだカノープスが続ける。

「すべての魂には幸せになる権利がある。もちろん風花、アンタにもね。しっかりやんな。そして幸せに、生きるんだよ。」
「私はもう、死んだのに?」
「そうさ。そのための星だ。詳しくはまた今度。」

じゃあ後は頼んだとプロキオンに声をかけ、カノープスがコートを翻して去っていく。その背中を見ながら、風花は少し興奮している自分に気が付いた。

もともと好奇心が強く、順応性も高い性格の風花の目に、新しい世界は魅力的に映ったのだろう。

カノープスはどこへ行ったのかと聴けば、南の空に戻って新しい星の名づけの儀式を準備するのだという。
それは、風花のことだ。

「僕らは、星の名前をもらうんだよ。君はどんな星になるんだろうね!」

地学の授業をほとんど睡眠の時間に費やしていた風花には、星の名前と言われてもピンとは来なかったのだが、自分に新しい名前が付くということはなんだか嬉しいことのように思えた。

明日訪れるはずだった春については、まだ少々後ろ髪が引かれる思いではあるが、まあ次の人生にとっておこう。

横でにこにこしているイケメンを『先輩』と呼ぶことにして、風花は心の折り合いをつけた。

「よろしくお願いします。先輩!」

プロキオンの目が大きく開き、あっという間に細くなる。
どうやら大変お気に召したらしい。

小さなつぼみがぽつぽつと花開くような柔らかい笑顔を向けられ、17歳の少女は、見えないように思いっきりガッツポーズを取った。


三、五分咲き

 天は北極星であるポラリスが統治する、現世とは別の世界である。

ポラリスの直轄地である北の空では魂の回収を、カノープスが指揮する南の空では天界の調整任務を行っている。

『星』を管理し、無事に次の人生に送り出すのが務めである南天には、自身は転生を取りやめ、永続的に天に従事する選択をしたものが多い。

眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな顔をして大量の書類に目を通しているアルデバランもまた、転生を希望しない星の一つだった。

アルデバランはおうし座に所属する一等星で、軍人のような風貌をした大男である。見た目通りの堅物であるが、星としてのキャリアはカノープスに次いで長く、この世界を熟知している。

「今度は女か。」

ため息交じりに漏らす声の先では、利発そうな青年が白い布と格闘していた。

「17歳なんですって、とても素直で元気な子だとお師匠様からお聞きしていますよ。」

布の山の向こうから、凛とした声が聞こえる。
声の主は、うみへび座の一等星アルファルド。南天でカノープスの秘書をしながら星の衣装を仕立てる職人である。

片眼鏡がよく似合う端正な顔立ちの青年は、シフォン生地の布を広げて満足げに頷いた。

「軽やかなスカートにしようか、活発な子ならお師匠様と同じようなパンツスタイルにするか、どちらがいいと思います?」
「どちらでも構わん。着用できれば問題ないだろう」
「駄目ですよ。女の子にとって、洋服は重要です。時には武器にもなるんですよ。」

武器、と聞いてアルデバランが姿勢を正す。
なるほど寄越してみろなどと言いながら、先ほどとは似ても似つかない真剣な表情で、デザイン画を物色し始めた。

我が兄弟子ながら、わかりやすい人だなあとアルファルドが苦笑いを浮かべていると、ドアの向こうからけたたましい足音が聞こえてきた。

誰かななどと考える暇もなく、バァン!!というド派手な音とともに執務室のドアが開かれる。

「まだこちらにおいででしたか、マスター・アルデバラン。そろそろ新人が到着するので、南十字までお越しくださいと申し上げたはずですが!!」

よく通る声と仰々しい物言いに驚いて振り返るアルファルドの目に、みなみのうお座に位置する一等星フォーマルハウトが、ずかずかと飛び込んできた。

彼は南天で星の名前を管理する『ガーディアン』という位についている星で、変わり者だが仕事はできるという、良し悪しを判断しにくい評価がついて回る存在である。

「すぐ行く。」

デザイン画から目をあげずに答えるアルデバランの前で、盛大なため息をつき、フォーマルハウトが歌う様に文句を述べる。

なかなか止まないぼやきのさえずりに嫌気がさしてきたのか、眉間の皺をもっと深くしてアルデバランが重い腰を上げた。

「……いってくる。」
「お気をつけて、良い名前が決まりますように。」

渋々出て行った上司を執務室から見送り、布の山に意識を戻す。

星になるということは、現世では満足な人生を送ることができなかったことと等しい。それならばせめて、こちらで身に纏う衣装は満足のいくものを渡してあげたいのだ。

「さ、はじめようかな!」

うみへび座の仕立屋が開店した。

✿✿✿

南の空に位置する南十字星には、新しく星になる人間の魂に、星の名前を授ける場所が存在する。

風花の目の前にそびえたつ、豪華な彫刻が施された巨大な扉が、ゴゴンと音を立てて開いた。

扉の中は、天界に所属する星たちが星座の形を作って輝いており、さながらプラネタリウムのようだった。

「人は死ぬと星になる。」

この昔から言い伝えられていたおとぎ話は実在するのだということを実感し、17歳の高校生、蓮見風花はあんぐりと口をあけた。

「綺麗でしょ?ようこそ、天界へ。」

そういうとプロキオンは、星空の中へ風花を招き入れた。

少しの緊張と興奮を覚えながら、星の中を歩く。
よく見ると、星の下に書いてある名前が、明るか光っているものと暗くなっているものがあることに気付いた。

先に行く背中に質問を投げかけると、
「星の座についている人がいるときは明るいんだよ~」
と間の抜けた声で答えが返ってきた。

おそらく、暗くなっている名前の星は今、天界にはいないのだと解釈して小走りでついていく。

よく見ると、名前が暗い星の方が多い。
手が足りないと言っていたのはそういうことだったのか、と風花は一人で納得した。

ぐるぐると螺旋階段のような回廊を降りていく。
星めぐりの歌のように夜空を歩くのは、純粋に楽しかった。
鼻歌を歌い、あたりを見回しながら進んでいくと、知った名前を見つけた。

「あれ、先輩の名前ですね!」

Procyonという文字が、温かい光を保って輝いている。その文字の上には大きな赤い星が、そしてその隣に小さな星が並んでいるのが見えた。

「そう、あれがこいぬ座だよ。かわいいでしょ。もう一つの星は勝手にアマデウスって呼んでるんだ」
「プロキオンって、確か冬の大三角のひとつですよね!」

初めて出会った星の名前を見つけたことに嬉しくなった風花が、なけなしの天文知識を披露する。

冬の大三角はこいぬ座のプロキオンと、オリオン座のベテルギウス、そしておおいぬ座のシリウスで構成される、冬の北の空に見える1等星の集まりだ。

目の前の夜空で残り2つの星を探すと、オリオン座のベテルギウスは星の輝きがなく、おおいぬ座のシリウスは名前が暗かった。

「いまシリウス、いないんだ……」

このつぶやきを聞いたプロキオンの表情が少し硬くなったことに、風花は気が付かなかった。

せっかく星の名前をもらうのだから先輩と近い所にある星がいいな、おおいぬとこいぬのコンビって可愛いな、でもどちらかと言えばプロキオンの方が大犬じゃね?

などと妄想を膨らめている間に、プラネタリウムの底にたどり着いた。上を見上げると、無数の星たちが瞬いている。
それはまるで、これからこの世界に加わる風花を祝福してくれているように思えた。

プロキオンに促され、中央へ進む。
プラネタリウムの底には、真ん中に天球儀のようなものが置かれている丸い机があり、それを囲むように、弓状の机が配置されていた。

机の真ん中にはカノープスが、そしてその左隣には軍人のような強面の男性、右隣には派手な青年が澄ました顔で座っている。

プロキオンは風花を天球儀の前に立たせ、強面の隣にちょこんと座って風花に『オッケー』のポーズを取った。

姿勢を正して、正面を見据える。

前を向いた風花の顔を見て、カノープスが頷いた。
どうやら儀式が始まるらしい。

「みなみのうお座、FK5-867フォーマルハウト。星の名を管理するガーディアンの名のもとに、新しく天に従事する魂『蓮見風花』の名づけの儀式を執り行います。」

フォーマルハウトの声が、星空に響き渡る。

「お嬢さん、天球をごらんなさい。」

言われるがままに、目の前の球体に目を落とす。
そこには、『星の項』と書かれた条文が並んでいた。

「お読みなさい。」

プロキオンに視線を向けると、『がんばって』と口の形が動いた。
やるしかないようだ。
腹をくくって条文を読み始める。

星は天に従属する
星は魂を運搬する
星は過干渉しない
星は天命に背かない
星は蝋燭に触れない

風花の声に呼応するように、周囲の星が瞬く。

「おめでとう、お嬢さん。君は蓮見風花としての人生を終え、新しく星として生まれ変わった。歓迎しよう、我らが同胞よ。」

芝居がかった動作とセリフに少々面喰いながら、どうもと頭を下げる。

「さて、君の名前を決めようか、お嬢さん。希望はあるのかい?」
満足したように椅子に座りながら、フォーマルハウトが問いかける。

希望の名前か。
せっかくなら、とさっき見つけた星の名前を答えてみることにした。

「じゃあ、シリウスで。」

その名前を風花が口にした途端、その場の空気が凍りついた。

「お前、なぜその名を望む?」
カノープスの左隣に座っている厳つい男から発せられた声は、なんとも形容しがたい硬さを含んでいた。

なぜ、と聞かれても大した理由はないのだ。
プロキオンとお揃いにしてみたかった、ただそれだけの事。

威嚇するのは寄せ、アルデバランとカノープスが牽制してくれたが、彼の視線が風花から外れることはなく、むしろ怒気を孕んでいるようにも思える。その目が、風花の負けん気に火をつけた。

「別に。理由はありません。」

はっきりと言い返すと、アルデバランと呼ばれた大男の顔に、わかりやすく不機嫌の色が浮かんだ。

希望を聞かれたから答えただけなのに、なぜ怒られなければならないのだ。大嫌いな生徒指導の先生に似た彼の物言いが、ますます風花を苛立たせた。

「何か、問題でもあるんですか?」

アルデバランやフォーマルハウトの様子を見るに、シリウスという名前には何か厄介事があるらしい。

「説明できないくらい、大変な事なんですか?」

風花が畳み掛ける。
援護を求めてプロキオンの方を見ると、口を横一文字に結んでうつむいていた。こいぬ座の彼にとっても、その名前は特別な意味があるようだ。

おおいぬ座のシリウス。
全天で最も大きく輝く星で、冬の大三角の一つ。

その星に、どんな背景があるのだろうか。
しんと静まり返った星空は、何の答えも返してくれない。
たっぷりと20秒ほど続いた沈黙を破ったのはカノープスだった。

「いいんじゃないかい、シリウスでも。」

しかし、マスター!といきり立ったフォーマルハウトを制し、カノープスが続ける。

「座は空いているんだろう。ならばなぜ、拒むことがある。前のシリウスのことは、この子は関係ないだろう?いいな。アルデバラン、プロキオン。」
「師匠がそうおっしゃるなら、私には反対できません。」

腕を組み、難色を示したままアルデバランが答える。
隣にいるプロキオンも小さく頷いた。

フォーマルハウトも仕方なく了承したようで、大げさにため息をついて立ち上がり、カノープスと共に風花の前へと進み出た。

カノープスが右手を天球儀にかざし、目を閉じる。

「りゅうこつ座α、カノープスが指揮者の名において命ずる。かの名はシリウス。おおいぬ座α星9番、シリウス。」

天球儀が淡く光り、おおいぬ座の星座が浮かび上がる。その中の最も輝く星が風花に吸い込まれる……

はずであった。

しかし、それは叶わなかった。
風花の胸の前で星座が崩れてしまったのだ。

「どういうことだ……?」

天球儀の向こう側で、カノープスがつぶやく。
先ほどまで顔をしかめて儀式を見ていたアルデバランでさえ、驚きの表情を隠せないでいる。

「中止!中止だ!!」

ヒステリックにフォーマルハウトが叫び、そのままバタバタと姿を消す。
それを追うようにアルデバランが、そしてカノープスがプロキオンに声をかけて去っていく。

星の世界に疎い風花にも、とんでもない事態になっているということだけは理解できた。

南の星たちが去り、夜空に静寂が戻る。
プラネタリウムに輝く星は、何事もなかったかのように静かに瞬き続けている。

宝石をちりばめたような空の中には、半ば呆然として天球儀を見つめるプロキオンと、訳も分からず立ち尽くす風花がぽつんと取り残されていた。


四、七分咲き

ミルキーウェイ。
夏、北の空を流れる天の川の別名である。

新しく星になった魂が最初に過ごすのは、天の川のほとりにある、こと座の館だった。新人の星は館の主から、必要最低限の天界の知識と魂の回収任務の基礎を学ぶ。

とはいえ、星になったばかりの魂はまだ現世への未練が強く、己の運命を嘆いてしまうことが多い。
そんな魂たちを優しく受け止め、癒していくのもこの館の主の仕事であった。

「遅いわねえ、こいぬちゃん何してるのかしら?」

館のバルコニーでゆっくりをお茶をすするのは、こと座の一等星ベガ。
七夕の織姫星として親しまれる星であり、この館の主人である。

柔らかな白髪交じりの髪をゆったりと一つにくくり、物憂げな表情を浮かべてため息をつく。
白雪のような着物を締める帯は、まるで天の川のように長く尾を引いている。

久しぶりに新しい星を迎えることになったからと、はりきって用意したお茶とスコーンはすっかり冷めてしまった。

普段なら、名づけの儀式を終えた魂がアルファルドと衣装の打ち合わせをし、緊張した面持ちでここにやってくるまでに半日もかからないはずだ。

何かあったのかしらねえ、と大きめの独り言をつぶやきながら館の主は3杯目の紅茶をカップに注いだ。

「ベガ先生!」

聞き覚えのある元気な、歳の割には高めの声を耳にし、ベガの口元が綻ぶ。
待ち人が来たようだ。

「すみません、遅くなっちゃって。ちょっといろいろありまして…」

くすんだ金色の髪がぴょこぴょこと揺れる。
こいぬ座という名前が、これ程似合う見た目の人間が他にいるだろうか。

彼が星になった頃、初めてここで会った時は、無理して元気に振る舞っているようだった。

研修中も生前の様子を全く話そうとしない彼を、少々心配しながら送り出したのが、まるで昨日のことのように思い出される。
けれど、北の空で良い仲間に出会い成長をしたのだろう。左肩についたマントが頼もしい。

彼が転生の希望を取り消し、マントをもらってから2年が経つ。
プロキオンが慕っていた先輩が、ある日突然失踪したのが今から2年前。

星がほとんどいなくなってしまった北の空で、それでも笑顔を絶やさずにプロキオンが頑張っていたことを、ベガは知っている。
その歳月が彼を大人にしたのだと考えると、少し切ない気持ちになった。

「ベガ先生?」

しばらく考えに耽っていたベガを、不思議に思ったプロキオンが覗き込む。
ああ、ごめんなさいね!と思考を戻し、ベガは新しい星に意識を向けた。

「その子が、新しい子?」

プロキオンの背中越しに見える少女に声をかける。
5年ほど前に満期を迎え、転生していったオリオン座の女の子によく似た雰囲気を持つ活発そうな子だった。

「はじめまして、私はベガ、こと座の3番。あなたの先生になるのよ。あなたのお名前は?」

星として受け継いだ名を問う。

すると、少女の目に大粒の涙が溢れ出した。
あわあわとプロキオンが慌てだす。
よく見ると、彼女は星の日誌を持っていない。

星は、名前と共に日誌を受け継ぐ。
日誌は『星』として天に従事している証拠のようなものだ。

星として生きた日々を記録し、魂の浄化を行う。
星になった魂が転生を迎えた時には天に返され、また次にその名前をもらう魂に継承される。
それが大昔から繰り返されてきた、この世界のルールだった。

「ねえ、ベカ先生。星が拒否することってありえるんですか?」
不安そうな顔で、プロキオンが尋ねる。

「私、名前もらえなかったんです。」

大きな目を真っ赤に腫らしながら、名無しの星になった少女、蓮見 風花がぽつぽつと話し出した。

✿✿✿

「何なんだ全く!」

南の空の執務室に、荒々しい声がこだまする。
ドスンと大きな音を立てて革張りの椅子に腰かけたのは、先ほどまで名づけの儀式に出席していたアルデバランである。

奥のアトリエで衣装制作に没頭していたアルファルドが、音を聞きつけて顔をのぞかせた。

「どうしたんです?あれ、風花ちゃんは?」

上司の方を見ると、いつも険しい顔がもっと険しくなっていた。
儀式の最中に何かあったのだろう。
アルデバランが1人で帰ってきたのが、まぎれもない証拠である。

アルファルドが作る衣装は、所属する星座のモチーフが取り入れられている。衣装の雰囲気は人によって好みが分かれるため、名前が決まった新しい星と打ち合わせをするのが慣例なのだ。

「……あの小娘、シリウスを希望しおった。」

アルデバランが苦々しい声を出す。

なるほど、それで機嫌が悪いのかとアルファルドは納得した。
冬の大三角は、アルデバランにとって鬼門なのだ。

大三角の一角であったオリオン座のベテルギウスは、彼と同期の重鎮であり、アルファルドの兄弟子でもあった。

そのベテルギウスが大罪を犯し、魂ごと消えてなくなるという罰を受けたのは5年前。
そして、その3年後にはベテルギウスの弟子であった、おおいぬ座のシリウスが謎の失踪を遂げた。

二つの名前からは光が消え、冬の大三角で天界に残るのはプロキオンのみとなった。
あれからずっと、アルデバランの眉間の皺が消えることは無い。

「それで、シリウスになったんですか?」

いや、と話しはじめた内容を聞き、アルファルドの顔に驚愕の色が浮かび上がる。
星になってからもう15年以上経つが、名づけの儀式で星座が崩れたなどという話は聞いたことがなかった。

『シリウス』はいわくつきの星であることは間違いない。
しかし、星が名前の継承を拒否するなどということがあり得るのだろうか?

「……座が空いていない?」

ぽつ、と浮上した仮説を振り払うようにアルデバランが首を振る。
それならば、おおいぬ座の一等星には、名前に光が灯っているはずだ。
シリウスの失踪に、何らかの原因があるのだろうが今はそれを知る術はない。

「あの、バカ犬が。」
絞り出すようにつぶやいた声には、悲しさと悔しさがにじんでいた。

彼が、シリウスを気に入っていたことをアルファルドは知っている。
そして、この場での慰めが何の効力もないことも。
作りかけの衣装に目をやり、ため息をつく。

星に名を拒まれた少女は大丈夫だろうか。


五、かざはな


桜吹雪が舞う。

いっぱいに薄桃色が乱れ、手を伸ばした先を見ることもできない。
視界の隅に、かすかに金色を捉えた。

左肩だけマントがついたジャケット。
声をかけてみるが、反応は無い。
もう一度、今度は名前を呼ぶ。

白布が翻り、花びらを巻き込む。

手袋。

知らない、人だ。

白い縁の眼鏡の奥、表情はわからない。
口元が動いた。
声は聞こえない。

ごめんね、と言われた気がした。


六、八分咲き

柔らかな光をまぶたの裏に感じ、風花が目を開けた。
天井から吊るされたシャンデリアがぼやけて見える。

泣きながら自分の身に起きた出来事を説明し、ベガに慰められながらソファに腰を下ろしたところまでは覚えている。

カラカラになった喉を、温かい紅茶で潤しながら休憩している間に眠ってしまったようだ。

頭の奥が痛い。

ゆっくりと体を起こすと、かかっていたブランケットがはらりと落ちた。
拾い上げて抱きしめる。ふわりと香ったお日様の匂いが、もう帰れない自分の家を思い出させ、風花の目にまた涙が滲んだ。

なんだか胸がざわついている。
さっき見た不思議な夢のせいだろうか。
あの、プロキオンに少し似た知らない人は誰なのだろうか。
もしかして、自分を拒んだ『シリウス』と関係があるのかもしれない。

考えれば考えるほど、頭の中が混乱して涙があふれてきてしまう。
自分がこんなに泣き虫だったなんて知らなかったなぁ、とつぶやきながら膝を抱えた。

ブランケットに顔をうずめていると、カチャリ、と小さな音がして部屋のドアが開いた。

「あら、起きた?」

心配そうな顔をして部屋の中に入ってきたベガが、コップに入った水を差し出す。受け取って一気に飲み干すと、喉を通った冷たさが風花を少し落ち着かせた。

「すみません。」
「いいのよ。ここはあなたの家だもの。敬語もやめましょ!堅苦しいじゃない。気軽におばあちゃんって呼んでちょうだい。」

ふんわりと、ベガの手が風花の手を包み込む。
カノープスの力強い優しさとはまた違った、陽だまりのような暖かさを感じて自然と肩の力が抜けた。

「さて、それじゃ風花ちゃん。あなたの新しいお名前を考えましょ。」
ね、と満面の笑みで首を傾げた可愛らしいおばあちゃんを見て、風花にほんのりと笑顔が戻った。

ふと、周りを見るとプロキオンが見当たらない。
そういえば、風花が眠ってしまう前、ベガと話している間に部屋の外に出ていったような気配がしたのだが、どこに行ったのだろうか。

姿の見えない先輩を探して、ぐるりと辺りを探す。
ここ数時間ですっかり見慣れた金髪を、窓の外に見つけた。

ガラス越しに覗いてみると、プロキオンが胡座をかいたままスヤスヤと眠っている。声をかけようと身を乗り出すと、足元に沢山のメモが散らばっているのが見えた。

バルコニーに出て、いくつかメモを拾い上げる。

アークトゥルス、デネボラ、スピカ、ミザール、カストル、ポルックス……

星の名前のようだ。
あっちにもこっちにも、まるで桜の花びらのように散らばったメモには、たくさんの星の名前が書いてあった。

「先輩、もしかして…」

風花の横にベガがやってきて、メモを覗き込む。

「これ全部、春の星ね。」

アークトゥルスはうしかい座、カストルとポルックスはふたご座の一等星である。

おそらく、新しい星の名前を考えながら風花が起きるのを待っていたら、そのまま昼寝の時間になってしまったのだろう。

安らかな寝息を立てているプロキオンに目をやると、金色の髪にハート形の花弁がくっついているのを見つけた。風花の心に温かいものが広がる。

『シリウス』という名前には未だたくさんの謎が残っているが、それに固執する気持ちはなくなっていた。と同時に、ある疑問が浮かび上がる。

「なんで、春なんだろう」

風花という名前は、冬ある地域に起こる雪が風に舞って花吹雪のように見える現象『かざはな』から付けられたものだ。

あたたかい春の景色とは似て非なるもの。
冬の風景を名に持つ風花には、春の星から次の名前を選ぶのはどことなく違和感があった。

「風花ちゃんは、桜だからだよお」

ふわあ、というあくびに混じった声が後ろから聞こえる。
お目覚めのようだ。

この先輩は、見目も大変麗しく性格も優しくて申し分ないのだが、話す言葉が要領を得ないのがたまにキズだ。
風花ちゃんは桜、の主語がわからず聞き返す。

「君の、魂が。」
プロキオンが、風花の胸のあたりを示しながら答える。

そういえば、カノープスに人の魂は花の形をして現れるということを聞いた。風花の魂は桜の花だということか。

「僕は、カモミール。ベガのおば……じゃない。ベガ先生は菖蒲。」
「カノープスさんは?」

芍薬だよ。との返答に心底納得する。それっぽい。

ベガの補足によると、魂の花がどの種類になるのかは、人の生き方や考え方によって決まるという。まれに、前の魂の花をそのまま受け継ぐこともあるらしい。

思い返してみると、確か自分の一番好きな花は、桜だった。
理由を聞かれるとなんとなくとしか答えられなかったが、魂の形がそれだったからなのかもしれない。
風花はより一層、桜の花が好きになった。

桜は、日本の春を代表する花だ。
それならば、春の星の名をもらってもいいのかもしれない。

「これなんか、ぴったりじゃないかって思うんだ。」

プロキオンがちょうど風花の持っていたメモに書いてある名前を指差す。
そこには、春の星座を代表するおとめ座の中で最も輝く星の名前が書かれていた。

「あらぁ、とっても素敵!」

小柄な老婆が手を叩いて賛成する。
おとめというほどおしとやかな性格ではないが、この二人が言うなら良いのだろう。

星としての、自分の名前。
先輩が選んでくれた名前。

風花は、春の空に輝くおとめ座の一等星を希望することに決めた。


七、満開

「ああーーーーつっっかれたあああァーー!」

再度名付けの儀式を終え、新しい星になった少女がベッドにボフンと倒れこむ。

天井に向かって伸ばした自分の腕が、新品の服に包まれていることを思い出し、少女がいそいそと立ち上がった。

真っ白な星の衣装に身を包んだ姿を窓のガラスに写し、くるっと回る。
軽やかなシフォンのスカートの裾がふんわりと空気を含んで舞い上がった。

「……天才か……。」

衣装の製作者、うみへび座のアルファルドがいる南の空に向かって手を合わせて拝む。

地上にいるときは、シフォンのスカートなど自分のキャラに合わないと思って履いたことはなかったのだが、窓に映った自分を観察してみた限り、大変よく似合っているように見える。

今は研修生(トレーニーと呼ぶらしい)なので、ブラウスとスカートのみ着用しているが、こと座の館での研修を終え、北の空へ正式に配属されるとベストをもらえるらしい。

襟元に、桜の花のピンバッチを着けたいとお願いをして、ここに戻ってきたのが10分ほど前。風花は、やっと星になれたのだ。

2度目の名付けの儀式は、全く滞りなく終了した。

風花がおとめ座の一等星を希望すると、先日と同じようにカノープスがその名を呼称し、天球儀が光って夜空と同じ形のおとめ座が、空中に浮かび上がった。

天球儀から浮かび上がったおとめ座は、今度は崩れることなく、一番明るい星が風花の胸に吸い込まれた。

胸の奥に一瞬冷たさがあり、まるで氷が溶けていくように身体中に透明感が伝わる。

その不思議な感覚が消えたとき、情報として聞いていただけだった天界の様々な知識が、実感を持って体に染み込んでいるのを感じた。

これが『星になる』ということなのだろう。

手元には、自分の名前が書かれた日誌がある。
それをぎゅっと、大切に胸の中に抱えた。

1度目の名づけの儀式の後、天界は少々荒れたらしい。
フォーマルハウトは寝込み、アルデバランは新しい星を迎えることを渋ったようだが、カノープスとベガが関係各所に説教を行い、何とか再度名付けの儀式を迎えることができたのだ。

思えば、死んでからここに至るまでが長かった。
プロキオンに連れられ、この世界に来たのが遠い昔のことのように思える。

わけもわからず希望したおおいぬ座の一等星の名前。
その星になることを拒まれ、散々泣いたけれど、もうその名に未練はない。
風花には、プロキオンが考えてくれた、とっておきの名前が付いたのだから。

コンコン、とノックの音がしてドアが開く。
この館の主人、こと座のベガが、ガラスのポットとカップを銀色のお盆に乗せて立っていた。

ポットの隣には、焼きたてのスコーン。
色とりどりのジャムが添えられている。
少女のお腹がグウと鳴った。

「お腹がすいたでしょう?一緒に食べましょう。」

元気よく頷いてお盆をベガからもらい、部屋に招き入れる。
よく見ると、カップの数が3つ。

ややあって、少女を天界につれてきた金髪の青年が駆けこんできた。
2度目の名付けの儀式が終わった後、姿が見えないと思っていたがどうしていたのだろうか。

「ごめんごめん、ちょっと用があって。」

金髪をワシワシとかきながら、プロキオンが笑う。
彼がいると、その場がパッと明るくなったように感じる。
まるで、お日様みたいだ。

どうぞ、とソファを勧め、カップにお茶を注ぐ。
うす黄色の液体と柔らかな香りが心地いい。
こちらに来て最初に飲んだ、カモミールのハーブティーだった。

「良かったわねえ、その名前よく似合ってる。」
ベガがニコニコと声をかけると、くすぐったそうに新しい星になった少女が微笑んだ。

一時はどうなることかと思ったが無事に星になれて良かった。
これもプロキオンのおかげだ。

「先輩、ありがとうございます。」
素直に感謝を伝えると、プロキオンの顔が蕾が開くような笑顔に変わった。

やはり、この顔に弱い。

敵わないんだよなァと焼きたてのスコーンを口いっぱいに頬張りながら、頼りないようで、とても頼り甲斐のある先輩をじっくり眺めた。

「僕の顔に、何かついてる?」
「なんでもないでふ。」

スコーンをハーブティで流し込む。
やっとお腹が落ち着いた。

「そういえば、先輩どこ行ってたんですか?」
「ああ、えと、ちょっとね」

なんだか歯切れが悪い。
もごもごと口ごもるプロキオンの隣に、ベガが体をくっつけるようにして座った。顔がにやついている。

「早く渡せばいいのに。」
「ねえ!ばあちゃん!!」

仲の良い祖母と孫のように、ベガがプロキオンをからかう。
後輩の前では先生と呼んではいるが、普段は砕けた口調なのだろう。
その様子を新人の星がほほえましく見守る。

ベガに押し出されるようにして、プロキオンが小さな袋を差し出した。

「これ、無事に星になれました記念。……おめでとう、スピカ。」

スピカ、と呼ばれた少女は驚きと照れで顔を真っ赤にし、思いがけないプレゼントを受け取った。

不器用にとめられた犬の足跡型のシールを剥がすと、中からコロンと耳飾りが現れる。

パールと桜色のローズクオーツがあしらわれた、大ぶりのイヤリングだ。

「うっそ……」
「スピカって、真珠星っていうんだって。だから…」
「ありがとうございます!!!すっごいすっごい大事にします!転生しても大事にします!」

プロキオンの言葉を遮り、スピカが目に涙をためながら何度も頭を下げる。
この1日で何度も涙を流したかわからない。
だが、これは今までとは全く違う涙だった。

「つけてみたら?」

ベガの言葉にこくりと頷くと、スピカは真珠のイヤリングを丁寧に両耳に着けた。
もう一度、窓ガラスで自分の姿を確認する。

うん、悪くない。特に、耳元が。

窓ガラスの前で嬉しそうに耳を触る少女に、こいぬ座の一等星プロキオンが笑顔で手を差し出した。

「おとめ座α、67番。スピカ。これから、よろしくね。」

スピカの頬が桜色に染まる。
冬の雪が溶けて春になるように、『かざはな』は桜吹雪に変わった。
地上では、校庭のソメイヨシノが満開を迎えていた。

春の盛りが、やってくる。


おわり

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