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熟成を待つ。

とても素晴らしい本を読んだり、映画を観たり。

その感想をnoteに書こうと思うけれど、到底、言語化できないことがある。

「言語化できない」と言って諦めていると、いつまで経ってもアウトプットができなくなる。下書きのまま、まるで熟成されずに放置されているテキストがたくさんあって、これらは一生、下書きのままだろう。熱量をしっかりとこめて熟成させることは意志だ。その意志がちゃんと存在するときに書かなければ、そのテキストの魅力は半減する。義務的に書いたテキストなど最悪で、読む人が読めば分かるほどの酷いクオリティに成り下がる。

たぶん、それはテキストの巧拙よりも、タチが悪い。

とは言え、熟成されないままでテキストをアウトプットすることもできない。視点が足りない。視野が狭い。視座が一向に上がらない。

熟成を待つ、時間というのも大切だ。

構成が頑強だったとしても、ロジックが完璧だったとしても、自分の中で納得度が今ひとつだったとしたら、それは不十分なテキストで終わってしまう。

もちろん締め切りがある仕事もあるだろう。

だけど少なくとも僕は、書き手が「このテキストは不十分だな」と思わせる状態で仕事をせっつきたくはない。急いでもらうことでクオリティが無理やりにでも上がるということはあるが、思考が熟成するまでの適切な時間というのはきっとあるはずで。「今日取材した原稿を、明日までに提出して」みたいなことは絶対にやりたくない。速報性よりも大切なことはきっとある。

熟成を待つ。

そんな仕事の仕方は、必ずしもプロとは言えないだろう。だけど読み手は、きっと、熟成されたテキストの方が「美味しい」と感じると思うのだ。

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