76年前という「あの日」
1945年8月15日は終戦記念日だ。
今日が、2021年8月15日だから、その日から76年が経ったということになる。
何となしに「その日」と書いた。
僕は1984年生まれだから、1945年8月15日には立ち会っていない。フィジカルな実感として、1945年8月15日のことは「その日」なのだ。
フィジカルな実感。例えば2011年3月11日のことを、僕は「あの日」「あの出来事」と振り返る。10年前、僕はあの日を経験し、とても怖く、悲しく、憤る気持ちを抱え、今も鮮明に記憶しているからだ。2001年9月11日も同様だ。テレビで繰り返し流れた、ニューヨーク、ワールドトレードセンターの崩壊。遠く離れた海の外の出来事を、僕は「あの日」として振り返ることができる。
フィジカルな実感とは、そういったことだ。
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逆に言うと、1945年8月15日のことを、僕はフィジカルな実感を持てずにいる。生まれていないから当然のことだけど、しかし、本当に「当然のこと」として処理して良いのだろうか。大政奉還とか、フランス革命記念日とか、リンカーンのゲティスバーグ演説とか、そういった歴史上の出来事としての認識で良いのだろうか。
じわじわと、確実に、第二次世界大戦の終戦から年月が経っていく。
「その日」から遠ざかっていく。
「その日」以来、日本国内で戦争は起こっていないから、「その日」の教訓が生かされていると言えるかもしれない。(たまたまかもしれない)
僕が小学生の頃、「終戦から50年」という節目を迎えた。記憶が朧げだけど、盛んに「50年」が強調されていた気がする。実際に、当時それはひとつの区切りだったのだろうと思う。
しかし裏を返せば、その節目を迎えるまでは、まだ「戦後」という感覚が強かったのかもしれない。
僕が生まれたとき、終戦から39年しか経っていなかった。
生まれたばかりの記憶はない。両親も戦後の生まれだ。だが僕が生まれた1984年の時点では、戦争を経験した人たちが、日本では過半数を超えていたのだ。(※細かく人口動態は調べていません。ただ論理上39歳以上が戦争経験者だったということになるので、それくらいの割合はいたのではないかと推測しています)
1984年時点では、「その日」ではなく「あの日」と感じていた人が殆どであり、脈々と戦前 / 戦中 / 戦後のことが継承されていた。
今僕たちが口にする「戦争はいけないものだ」と、当時の人たちがフィジカルな実感として語る「戦争はいけないものだ」は、重みが全然違う。
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小学6年生のとき、沖縄県を尋ね、戦争経験した方の話を直接聴く機会に恵まれた。
小柄な女性が、語るトーンの低さと痛切さは、淡々としている分、僕の心にずしんと刺さった。生々しさは、僕に痛みを共有させた。
そのとき、僕は戦時下の出来事を「あの日」として実感することができた。もちろん彼女が経験したような重みで実感することはできなかったけれど、遠い日の出来事でなく、もしかしたらいつか自分の身にも起こるかもしれない、そんな実感として感じることができたのだ。
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僕は、恥ずかしながら、戦時下の出来事のことを殆ど知らない。
学校で勉強したはずなのに、その輪郭はぼやけ、過去に起こった悲しい出来事として認識しているレベルに過ぎない。
だから、ちゃんと勉強しようと思う。
「その日」のことでなく、「あの日」のこととして。
そして「あの日」のことを、きちんと次の世代に継承していかなければならない。
76年前のことを、それより前に起こったことを想像しよう。
悼み、省みる。そして不戦の誓いを。
※「その日」「あの日」という使い分けは、あくまで僕個人の基準に過ぎません。人によっては逆で使う方もいると思いますし、そもそも「その日」「あの日」で使い分けするのが不自然だと感じる方もいるでしょう。特に一般的な定義で用いているわけではありませんので、ご容赦いただけたらと思います
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