「ドラゴンボール」で学んだこと
「Dr.スランプ アラレちゃん」、「ドラゴンボール」で知られる漫画家の鳥山明さんが亡くなった。
僕にとって鳥山明さんとは、「ドラゴンボール」の作者である。「ドラゴンボール」は1984年に週刊少年ジャンプで連載がスタート、1984年生まれの僕にとって、初めてのマンガ&アニメ体験の物語だった。
幼稚園に通っていた頃、僕は「ドラゴンボール」をなぞって、園内で“修行”に取り組む日々だった。天下一武道会への出場を希望した孫悟空とクリリンは、武術の達人である亀仙人に弟子入りする。
亀仙人が遠くに投げた石を探したり、重い荷物を運んだり、畑を耕したり。武術の修行とは思えない“修行”にひたすら打ち込み、そして彼らは強くなった。「それならぼくも!」と息巻いて、友人たちと園内を駆け回ったような記憶がある。
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東映アニメーションの公式YouTube「東映アニメーションミュージアムチャンネル」にて、ドラゴンボール 第1話が公開されている。
記念すべき1曲目のオープンニング主題歌は、高橋洋樹さんの「魔訶不思議アドベンチャー!」だ。この歌詞に、「ドラゴンボール」という作品の良さが詰まっていると僕は思う。
ドラゴンボールとは、ラッキーで手に入るものではない。
うじうじ悩んだり、努力せずに落ち込んだりしていても、ドラゴンボールを手に入れることはできない。
「つかもうぜ」「さがそうぜ」
これらは、どこまでも能動的なアクションの言葉だ。
世の中、大変なことばかりだ。20代前半で「Dr.スランプ アラレちゃん」という作品を生み出した鳥山さんも、高校卒業後はなかなか仕事に恵まれず、アルバイトで食いつなぐ日々を送っていたそうだ。
だけど鳥山さんは、「世の中はでっかい宝島であり、冒険に溢れている」という揺るぎない価値観があったのではないだろうか。鳥山さんの信念が、マンガの読者やアニメファンの心を掴み、生きる勇気を与えてくれたように思う。
鳥山明さん、本当にありがとうございました。ゆっくり休まれてください。
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鳥山さんは「ドラゴンボール」の原作者であり、アニメやゲームなど、様々な形で「ドラゴンボール」は生き続けている。2024年秋には新作映画も予定されている。
原作40周年記念作品、ドラゴンボールに影響を受けたひとりとして、必ず映画館で鑑賞したい。
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