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宇都宮高校の同窓会(十年会)に参加した。

地元の栃木県に帰省して、高校の同窓会に参加した。

僕が通っていた宇都宮高校は、2019年に創立140周年を迎えたかなり歴史のある高校だ。そういった学校によくあるように、卒業生による同窓会組織がかなり活発に動いている。

僕の学校では、卒業後10年、20年、30年……の卒業生を対象とした「十年会」というイベントが年に1回開かれている。コロナ禍の影響で3年連続中止、実に4年ぶりの開催だそうだ。(と、ゴールデンウィークに帰省したときに、実家に送られてきた葉書(!!)で知った)

平成15年卒業の僕にとっては2回目となる十年会、前回は欠席。こういったオフィシャルな場は超苦手……。なのだが、「3年間、行きたくても行けなかった」同窓生の気持ちを思うと、行かないとバチがあたるのでは?と考え、出席することにした

なぜか鏡開きが行なわれる同窓会

写真の通り、宇都宮高校は「男子校」である。

かつての旧制中学校で、いまだに男女別学となっているのは、埼玉県、群馬県、栃木県くらいだ。茨城県や宮城県でも共学化の流れが進んでいるし、栃木県内で別学だった高校もいくつかは共学校として生まれ変わっている。

母校も、例外ではない。共学化の声があがることも、しばしばだった。いずれも、卒業生による「反対」が根強く、今もなお別学のまま保たれている。

20年前のクラス写真。僕の顔はハットリによって遮られている

僕はリベラルを志向しているので、基本的には男女が一緒に混ざって勉強した方が良いと考えている。

学習効率というか、何かひとつのものに打ち込むときに男子校が妙なパワーをまとうのは事実だろう。しかし15〜18歳の価値観形成の時期に、異なる性別の友人がいないというのは、やや歪みのようなものを生じかねない。

この日も、とある先輩のスピーチの中で「眉を顰める」ような表現があって、「ああ、こういう男子校のノリが許容される雰囲気は嫌だな」と感じたのも事実だ。

だけど不思議なことに、齢38になって、「『男子校』というフォーマットが続くことの意義もあるのではないか」とも思えるようになってきた。

たぶん鶴の一声のようなものがあれば、別学化→共学化へと進むことは容易いのだろう。しかし、あえてこの時代に、頑なにこれまでの伝統を保ち続けるというのも悪いことばかりではないように思うのだ。(具体的に「何か」というのは思い浮かばないのだけれど)

そんなことをぼんやり考えながら、恩師や友人との旧交を温める2時間だった。なんだかんだ、とっても疲れました。

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10年ごとの代が揃う会ということで、20年先輩の枝野幸男さんも来られていた。2年前の衆院選の時期、新宿で枝野さんの演説に心打たれたことがあったので、勇気を出してご挨拶に。快く写真撮影にも応じていただいた。

こういうとき、健全なミーハー心は有効なのだが、恩師と2ショット撮影するのを忘れたのは痛恨の極み。(すみません)

枝野さん。昭和58年卒を代表したスピーチ、上手すぎ。さすがだった

僕たち平成15年卒業の同窓生の前方には、平成5年卒業の同窓生たちも。

彼らは現在48〜49歳で、僕が次に十年会に参加するとしたら、彼らのような姿形になるのかと思うと感慨深い。

いやそれは、老化というネガティブなことではなく、彼らの表情から成熟味を帯びたような雰囲気があって、「ああ、おれも10年後は、ある程度の実績を積まないと話にならないな」と思った次第だ。

ということで、色々な刺激を受けた十年会でした。久しぶりに食べた駅そばも美味かった。(鳥インフルエンザの影響で、月見そばが食べられなかったのは残念)

部活の帰り道、友人とかなりの頻度で食べていた駅そば

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