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タモリと発信の怖さ。

かつて、若かりし頃にこんな発信をした。

14年前のことなので呆れるよりも笑ってほしいのだが、即、「『夕刊⇔タモリ』のネタはそれはもう何十年も前から言われている」というレスをもらったのだった。

「知らない」ということは強いが、ひとたび「知る」に変換されるとき、恥を伴うことがある。“赤っ恥”という言葉があるが、このときも顔から火が出るほど恥ずかしかった記憶がある。(確か、西武新宿線 高田馬場駅の近辺にいた)

このときのことがトラウマになった……というのは言い過ぎだけど、ある程度、分別をもってSNSに投稿しようというきっかけになったように思う。こうして、毎日noteを更新し続けているが、内心はけっこうビクビクしている。

たまに「これは大発見だぜ!」なんて気持ちになるのだけど、すぐさま、もうひとりの自分が「いやいや、これ14年前の「『夕刊⇔タモリ』現象と同じやで」とブレーキをかける。

14年前にも「発信力」というものが大事になることは理解していた。ダニエル・ピンクが『フリーエージェント社会の到来』という本を著し、会社の看板に頼らない生き方が当たり前になることにワクワクしていた。

だけど、こんなに「発信力」というものが個人の言動を拘束するものになるとは思わなかった。「Xのフォロワーを○○人にする!」なんて目標を掲げるなんて、なかなかシビアな時代である。

のほほんと、「アルティメットねむい」と“ツイート”していた時代が懐かしい。そうやって懐古主義になっていく先輩たちを何人も見てきたけれど、僕もそうなってしまうのか。

……いやはや、どうでもいいnoteだ。

こんな暇があれば早く寝た方が良いんだけど、ところがどっこい、早めに提出しなければならない仕事があるのであーる。

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