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「一緒にやろう」(立浪と森野)

「一緒にやろう」

中日ドラゴンズ、一軍の打撃コーチを務めることになった森野将彦さんが、監督に就任した立浪和義さんから言われたそうだ。

それに対して森野さんは「正直に僕にその言葉をかけてもらえるとは思ってなかったので、正直驚きましたね」「当然嬉しかったですね」と就任会見で語っていた。

本音だろうと思う。

2006年、オープン戦で右手小指を骨折。全治6週間と診断され、掴みかけたレギュラーの座を手放した森野さん。しかし完治後は試合に復帰、ついには当時サードのレギュラーだった立浪さんのポジションを奪ったのだ。

その衝撃の重さは、何よりチーム内に動揺をもたらしたと、鈴木忠平さんの近著『嫌われた監督〜落合博満は中日をどう変えたのか〜』で語られている。

落合監督から何の通告なしにレギュラーを外され、怒りを隠せない立浪さん。

森野さんは森野さんで、立浪さんが積み重ねきた重みを痛感する。試合で「代打・立浪」が告げられるたび、球場全体が最高潮に盛り上がる。「俺じゃなくて立浪さんが期待されている」と感じながら、何とか正気を保ちサードのレギュラーを死守しようとする。

立浪さんと森野さんは、いわば因縁。森野さんがいなければ、立浪さんはもう少し長くレギュラーを務めていただろう。2007年から引退年である2009年まで、ほぼ全ての出場機会が「代打」になった立浪さんの心中を察るのはそれほど難しいことではない。

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交わるはずがない二人が、今秋のキャンプから同じユニフォームに袖を通す。

新庄さんが監督になるほどのニュース性はない。全然ない。

だけど、僕はこの人事に、密かに胸を高鳴らせている。

2022年、プロ野球を湧かせるのは中日ドラゴンズだと確信している。

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