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提灯、祭りのあと

「祭りのあと」という言葉がある。

楽しい時間が終わった後の静けさ、ちょっとした虚脱感や寂しさを意味する表現だ。

コロナ禍がひと段落つき、僕の住んでいる地域もお祭りが再開されるところが多かった。毎週のように、微妙に異なる区域のお祭りが開催され、そのたびにしっかり盛り上がっていた。「コロナ前もこんなに盛り上がってたっけ?」という気もするが、やはり数年のブランクを埋めようと、各人が地域の活性に一役買っていたのだろう。

そんな祭りだが、終わってしまうと「何もなかった」かのように日常に戻ってくる。ワールドカップ後の渋谷のスクランブル交差点とは違い、地域のお祭りの後は、日常が元通りに帰ってくる。地域の方々が自主的にごみを回収しているのだろう。祭りが行なわれた気配など一切感じない。

祭りの盛り上げを象徴していた提灯も、「祭りのあと」はすぐに取り下げられる。祭りの前は気持ち良さそうに風に揺れていた提灯も、提灯のあった景色を思い出せないほど、もう「何もなかった」ことにされている。まさに「祭りのあと」を象徴する存在のように思う。

このように、年を継ぐように、祭りはしっかりと受け継がれてきた。神輿は街を闊歩し、豊穣が祈られ、みなが「祭り」を楽しむのだ。きっと来年も訪れると信じて。

祭りの余韻を惜しむように過ごす人は、いない。

それが何だか不思議なことのように思うけれど、そういえば僕だって、すっかり祭りの景色は「思い出」に変わっている感がある。もうすでに、日々の喧騒にのまれているのだ。

また来年、また来年。

家族みんなが健やかに過ごしていることを祈って、「今日」に向き合うのだ。

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