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政治的立場の「右」「左」の分類の話

 私たちは政治や思想の話をする時に、普通に「右」「左」という言葉を使います。例えば「右翼」というと、かなり活動的で、街宣車に乗って大声で演説しているようなイメージがあり、「右派」というともう少し一般的な感じになるように思われます。
 この「右」「左」というコトバの具体的な定義は、どう考えれば良いでしょうか。人によっていろいろな捉え方があると思いますが、まず語源がフランス革命の時代にさかのぼるという話は割と知られています。フランス革命の時に、国民議会の席の右側に君主制に肯定的な側が座り、左側に急進的な革命派が座って、そこから政治的立場の分類で「右」「左」の呼称が用いられるようになったとか。

 この記事をわざわざ読んでいる人なら、「右」「左」の分類について、いわゆる「ポリティカル・コンパス」という手法を知っている人も多いでしょう。
 これは「経済」と「政治」という2つの軸を使って政治的立場を分類する米国由来の手法で、論者により多少の違いはありますが、概ね図1のような感じになっています。「経済」では市場の自由競争を重視するのが「右派」、規制や公的な介入で再分配などを思考するのが「左派」。一方「政治」では、伝統とか共同体を重視するのが「右派」、個人主義志向なのが「左派」とされるのが一般的です。

 米国でいえば、図1のA領域(政治右派・経済左派)がリンドン・ジョンソン、B領域がレーガン、C領域がケネディやルーズヴェルトとされているようです。
 
 それでは日本の場合はどうでしょうか。ある論者の分類では、安倍総理や中曽根康弘氏はB領域、小泉純一郎氏がD領域、宮沢喜一氏や大平正芳氏(要するに自民党の宏池会系)が社民党の福島瑞穂氏や土井たか子氏、さらに共産党と同じC領域(もちろん同じ領域の中でもそれぞれ位置に違いあり)とされていました。 
 今の時点ではこういう米国型の分類の仕方が割と普通に受け入れられているのかも知れませんが、青少年期に昭和時代の政治を見て育った世代の私としては、自民党宏池会と旧社会党や共産党が同じ領域に入るというのは、ちょっと違和感があります。そもそも戦後の日本でいう「右派・左派」は、もう少し違うニュアンスを帯びていたのではないでしょうか。

 ということでいろいろ考えて、私なりの「戦後日本型ポリティカル・コンパス」を作ってみました。これが図2です。さきほどの図1と比べてみて下さい。

 まず「経済」の軸では、「市場重視か、国家介入か」ではなく「企業優先か、労働者優先か」に変えました。なぜこういう分類にしたのかというと、戦後長い間、おおむね1990年ころまでは、日本では「経済に国家が大いに介入し調整するのは当たり前」という認識が立場を問わず共有されていて、そのうえで企業経営を優先するか、労働者の生活改善を優先するかというのが論点になっていたからです。「市場か、国家介入か」ではなく「国家が介入するとして、何を優先するか」が、戦後の日本の経済政策にとって重要だったということです。(ここでは立ち入る余裕はありませんが、マルクス主義とか共産主義の思想が戦後長く有力だったことも関係しています。)そもそも市場競争を優先すべきだと主張する論者は、1990年代まではかなり珍しい存在でした。
 なおBとCの部分にだけ色がついているのは、AとDにあたる立場の人が極めて少ない(少なかった)と思われるからです。

 次に「政治」の軸では、「大日本帝国に好意的か、批判的か」を分類基準としました。露骨にいえば、大日本帝国というか戦前の日本的なものにどの程度好意的か批判的かというのが、戦後の日本政治思想では重要だったと思います。「共同体重視か」とか「権威主義か」とかでは曖昧すぎて、日本特有の状況を捉えることができません。例えば安倍総理は「戦後レジームからの脱却」を唱えましたが、これは大日本帝国の全肯定とはいかないまでも、どちらかといえば好意的な方向に傾いていることは明らかでしょう。逆に日本国憲法を守ることを主張する立場は、当然、大日本帝国に批判的ですから、図2の下の方になるわけです。
 
 なおここでは戦後日本の「政治」の左右の分類基準を「大日本帝国」に好意的かどうかという点に求めましたが、別な基準にすることも可能でしょう。例えば「自衛隊に好意的かどうか」とか「皇室に好意的かどうか」というのでも戦後日本の政治思想の左右の分類に使えると思います。
 まとめてはっきり言ってしまえば、戦後日本では、政治面では「大日本帝国」「皇室」「自衛隊」に対して好意的なほど「右」であり、その逆が「左」だったのです。(最近はこういう観点では割り切れない考え方の人々が増えてきているとはいえ、今もまだこの名残があって、議論をややこしくしていると言えるでしょう。)
 もちろん「大日本帝国」「皇室」「自衛隊」の3要素に対する好意的/批判的という態度のあり方が常に一致するとは限らないはずなのですが、おおむね方向性としてはまとまっていることが多かったと思います。
 そして、この意味での「右」「左」の基準は、当然のことながら日本にしか存在しないものであり、欧米の「右」「左」とはまったく違う観点でした。このことについても改めてまた触れてみたいと思います。

 現在の日本の状況としては、戦後長く続いてきた図2の観点をまだ根強く残しつつも、欧米的な図1の観点が次第に大きく混ざってきているという感じでしょうか(終わり)

#政治

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