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マンガど素人の会社員がなぜ「マチネの終わりに」を連載できたのか?②

10月4日。朝4時。

机に向かって、必死にマンガを描いていました。
そう、大見栄きって引き受けた、あの「マチネの終わりに」。

<前回のnoteの続きです。ぜひ、こちらを読んでからこの記事を読んでくださいませ。より絶望が伝わりますよ!>


マチネの終わりには11月1日に映画が公開されることになっており、
コミックスは映画と同時発売を目指していました。

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コミックスは、上下巻で約400ページ。まずは上巻の原稿を仕上げなければいけません。

・オールカラー
・1話8ページ 23話収録 つまり、184ページ
・アシスタントなし(雇える余裕がゼロのため。)
・締め切りは10月上旬(なんとか伸ばしてもらってた)

10月4日。この時点で残り6話のカラーが未着手でした。

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コルクの佐渡島さん、役員の長谷川さんと「今どんな感じ?」というやりとりが1日一回メールで行われて、その度に申し訳ない気持ち。
もしかしたら二人とも、頭の中では諦めているかもしれない。

ネガティブなことを考えると、すぐに身体がふらっとした。

…何時間寝てない?
…35時間?
ペンを持ちながらフラフラしてくる。
10分に一回意識が飛ぶ。
でも線だけは絶対にぶれないように描きたい。
書き直しが1番のタイムロス。

11時。いったん風呂に入って目を覚ましたい。

(あと10ページのカラーを朝の9時までに…だから…1ページ1時間以内で…)

 こんな計算するたびに無能感が頭の中を占めていく。なんでこんなドタバタになってんだ。。。。ひとり反省会が始まる。。。


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第二章 「試練!1ヶ月半で182ページ」

さかのぼること8月中旬。この時点では2話までしかカラーに着手できていませんでした。そう、やはり初心者ホリプーは、結局全然マンガのネームを描く事ができなかったのです。

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16話までのラフはありましたが、もちろん直す前提。

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こういう下書きをした後、本番のペン入れ→カラーで仕上げていきます。

1ヶ月半で184ページの完成原稿を作らなければいけませんでした。

途方もないこの量。なんでもっと早く進めておけなかったのか??
それには3つの理由がありました。

①思っている以上にマンガが描けなかった

本当にこれに尽きます。
まだ僕は当時、自分の好き勝手に上下線のふたりを描いていた程度。しっかりとコマ割りして連載するようなものは初挑戦。

しかも、絵が全然かけませんでした。

これが上巻の序盤の絵。

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これが下巻の終盤の絵。

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見返すと一目瞭然ですが、上巻は顔のアップが多いし、
ポーズも表情も仕草もかたい。背景もほとんど描いていない。

今までイラストを描いてきた時はバストアップで書くことが多く、
全身、背景、さらに、感情の宿った人物をあまり描いてこなかったので
その実力のなさに自分自身で愕然としたのです。

そこで僕は佐渡島さん主宰のコルクラボマンガ専科というマンガの学校に第一期で参加。半年間課題取りくみ、マンガを一から勉強していきました。

マチネの終わりにという最高の文学作品に自分のマンガ力を1mmでも近づけなければいけませんでした。

マンガ専科のことはまたどこかで別途書きたいものですが、Twitterで #コルクラボマンガ専科 をみてみると良いかも!


②デザイナーの仕事と掛け持ちしていた

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アイスメーカーでデザイナーをしていた僕は、商品のパッケージ、CM、WEBなどあらゆることで起案者になっていました。

実際は夏まではプロモーションなどで頭がいっぱいでマチネのことは後回しになってしまっていました。わかっていたんだけど、疲れ切ってしまい、手が動かなかったのです。(今となれば、言い訳なんだけど。)

夏過ぎからは、事情を上司に相談し、実質的に休業の形を取らせていただきました。しかし実際は、夏場の忙しい時期。僕の仕事への向き合い方も問題になってしまっていました。

そりゃそうなのです。副業で忙しいから本業休ませてくれ、ということですから言ってることおかしいです。

そのことも、僕の心の中では焦りや不安になっていました。
このままでいけるのだろうか?
精神的にも、肉体的にももたない気がする。

(悲しくも、その予想はのちにその通りになるのですが。。。)


③クラシックギターについて、何も知らなかった。

ラフで描いた絵ではクラシックギターの形が描けていませんでした。

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有名なクラシックギタリスト・福田進一さんの奥様から、クラシックギターの写真集をいただき、主人公の蒔野が使っているギターはこれですよ、と教えていただきました。

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さらに、コンサートにご招待いただいて生の演奏を聴かせていただきました。

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2話冒頭のこの絵は、生でギターを聴いたときの印象を僕の中で絵にしたもの。まるでオーロラのような波形で自分の体に浴びるようでした。

蒔野の演奏シーンはお二人に教えていただけなければ描く事ができませんでした。
しかしご相談するタイミングが遅くなり、原稿への反映がギリギリになってしまいました。これも大きな反省。。。早くご相談していればもっとネームが進んでいたのは間違いありません…


こんな状態で描いていたので
「これでいいのか?」「原作ファンをがっかりさせないか?」
そんな不安がどんどん膨らんでいくのでした。

10月7日。平野啓一郎さんとの初対面。

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冒頭の絶望から3日後。原稿は、まだ終わっていません。
本当に残り数ページでしたが、一度、映画の試写会を観に行こう、と佐渡島さんに声をかけてもらいました。

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僕が座った関係者席。
そこで僕は、初めて原作者の平野啓一郎さんにお会いしました。
(意外とお会いしないで描いてるものなんだ、と僕自身ビックリした。)

平野さん「楽しみにしています。自由にやってください。」
ホリプー「あっ…ありがとうございまs…」

平野さんと目があった時、びくっとからだが震えて、言葉がひっくり返って、聞き取れないくらい声ちっちゃくなっちゃった。
まじでこれしか会話できませんでした。
緊張が最高潮、100%中の100%。

読めば読むほど、そして、描けば描くほど、マチネの終わりにという作品の感情表現の豊かさを感じる毎日。出来上がる原稿を見つめながら「僕のような奴がマンガを描いていいんですか?」という気持ちでいっぱいだった僕に

「自由にやってください」

という言葉はとてもつもない安心感と勇気をもたらしてくれました。
平野さん、本当にありがとうございました。

映画がまた素晴らしい出来栄えで、早く僕もマンガを描きたくなりました。
福山さんと石田さんが、本当に蒔野と洋子に見えた。

小説を映像化するための編集が僕のマンガの描くシーンと似ていたので、それもちょっと安心。(映画を監督した西谷監督もファンなので余計に嬉しかった。。)

帰り道。

とにかく帰って、早く描こう。
最後まで走りきりたい。

ということを強く実感しました。
動き出さなければ前に進まない。

全て出し切って、いい作品を作るため、
今は作品のことだけを考えてやるしかないのだ。

そして、ようやく。

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その後、なんとか23話ぶんを書き終え
脱稿と同時にebookjapanでの連載も開始。
毎週2話ずつ掲載されました。

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初連載。
単行本用の原稿を書き終えた喜びと相まって、とても嬉しかったです。
書き上げた後、コルクの社員さんから額装されたこの絵をもらえました。

この絵が、一番最初に描いたマチネの終わりにの絵でした。感慨深い。

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終了後はすぐさまマッサージへ。
マッサージを終えた後、オープンテラスで飲んだスターバックスラテがめちゃくちゃうまかった。。

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(その時の写真。顔疲れてる。ディスプレイきたないなあ。笑)


コーヒーを飲みながら、この1ヶ月半を反省。

・とにかく動け
・ちゃんと人に頼れ
・しっかり休め

シンプルだけど、この3つは僕にとって大きな課題になりました。

この宿題は下巻では解決されて、


ゆとりのある連載が…


全然できないんだよね………

人間そう簡単に変わんないんだよなあ…泣


つづく。。。

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次回予告

さてさて、満身創痍で上巻を書き上げたホリプー。
下巻を前に燃え尽きた!?!?
会社をやめて退路を断て!
共に進む仲間「ラッキーズ」との合宿だ!
さあ、週16P連載開始!

頼むからカラダもってくれよ!
次回、怒涛の下巻編!


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余談だよん。 

あまりにも寝ずに描いたので、右手が疲れて買ったハンドマッサージャー。

目が疲れて買ったドクターエアのアイマスク。

最近はストレッチロールを買いました。

30こえて体力の衰えを実感して、健康器具オタクになってしまったよ。


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