「加賀の潜戸」小泉八雲
【はじめに】
加賀の潜戸の話は、講談社学術文庫の180ページから始まります。
(pp.180〜203.)
「髪の毛 三本動かす」だけの風が吹くなら、それだけで加賀行きは禁止となる
と云う書き出しで始まります。
【加賀の潜戸の伝承】
加賀の潜戸鼻は、佐太大神(さだのおおかみ)がお産まれになった処です。
大神がお産まれになろうとしていた時、弓矢がなくなった。
その時、御母である 枳佐加比売命(きさかひめのみこと)は「わたしの生んだ子が 麻須羅神(ますらかみ)の子であるなら、亡くなった弓矢よでてきなさい」と祈願なさいました。
その時、角つのの弓矢が流れ出てきました。
これを見た御母は「これはわたしの弓矢ではない」とおっしゃって投げ捨てられました。
すると今度は黄金の弓矢が流れ出てきました。
御母はそれを手にすると「なんと暗い 窟(いわや)であることか」とおっしゃって金の弓矢で窟を射通されました。
すると、どうしたことだろう。暗い窟が光り輝いたのです。
窟には御母の 枳佐加比売命(きさかひめのみこと)の社が鎮座しています。
今の人はこの窟のあたりを通るとき、必ず大声をとどろかせて行きます。
もし 密ひそかに行こうとすると、神が現れて突風が起こり、行く船は必ず転覆します。
【松江観光協会ホームページより】
【加賀への道のり】
松江市内から加賀へは、約20キロ。
車で およそ25分ぐらいの道のりです。
地名の「加賀」は神話の由来から
「かか」と読みます。
【加賀の潜戸/観光情報】
ジオパーク
加賀の潜戸観光遊覧船
『風土記』によれば、佐太大神(さだのおおかみ)が誕生した場所。
この時、母神の枳佐加比売命(きさかひめのみこと)は、この窟(いわや)に黄金の矢を放ったと言われています。
高さ40メートル 長さ200メートルの大洞窟です。
『解説 出雲国風土記』より
加賀の潜戸の「賽の河原」
仏様の潜戸と呼ばれ、幼くして亡くなった子供たちの魂が集まる場所と言われています。
加賀の潜戸の「賽の河原」について
陸寄りの洞穴は旧潜戸と呼び、入口は幅5.5mぐらいですが、内部は約20mもあり、高さも10m以上です。奥行き約50mで、夭折(よう‐せつ)年が若くて死ぬこと。 若死に(わかじに)した子供がここで石を積むという「賽の河原」の民間伝承から、生前子供が愛用した玩具や着衣、はきものなどを供えては石を積んだといわれます。
それが幾世代にもわたり、風化した上に新しい供え物と石が積み上げられ、薄暗い内部は鬼気迫る雰囲気をかもしています。
『解説 出雲国風土記』より
新潜戸を入ると鳥居があります。
ここは佐太大神(さだのおおかみ)誕生の地であり、鳥居の立つ場所は誕生石と呼ばれています。
解説『出雲国風土記』より
観光遊覧を終え、船から降りたら名物の「サザエご飯」がお薦めです。
お食事処なぎさ
マリンプラザ内にあり、地元でとれた食材を地元の方が調理した、愛情いっぱいの定食を召し上がっていただけます。
地元でとれたサザエをたっぷり使った「サザエご飯定食」や、加賀港で水揚げされた朝どれの魚を使ったお刺身などをお手軽な値段で提供しています。サザエご飯は持ち帰りもできます。
【シェア】夏至の頃 神の潜戸の朝日
ミニチュアちいさん
『知られぬ日本の面影』
原題『Glimpses of Unfamiliar Japan 』小泉八雲が来日後初めて著した作品集
出版は1894年 (明治27年)
『心』『骨董』『怪談』と並ぶ八雲の代表作で、出雲地方と松江でのエピソードを中心に描かれています。
2024.06.09.
文中の出雲国風土記は
『解説 出雲国風土記』島根古代文化センター 編 (今井出版)から引用しました。