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考察【まちあるき】(序)

考察【まちあるき】(序)

2011年(平成23年)の
「松江開府400年記念博覧会」を切っ掛けに始まった 松江の "まちあるき"  

来年(2021年) 10年の節目を前に "まちあるき" ついて、振り返りながら "まちあるき" とは!?を考える。

2010.06.19『観光経済新聞』より

https://www.kankokeizai.com/%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%B8%82%E3%80%81%E6%9D%A5%E6%98%A5%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E9%96%8B%E5%BA%9C400%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%8D%9A%E3%80%8D/

元祖「茶谷幸治」さんのHP

http://chatani.upper.jp/

成功する「まちあるき」

http://chatani.upper.jp/machiaruki.html

観光って何だ

http://chatani.upper.jp/pg201.html

「まち歩き」ってなんだ(HPより)

私(茶谷幸治)は「まち歩き」を、観光産業と観光文化の狭間(はざま)に置いています。
産業としてはその集客力(つまり金儲け力)には全く自信がありません。

「長崎さるく博」が延べ1000万人を集客したという実績があり、その事実に引き寄せられて全国の自治体が「まち歩き」に走りましたが、「長崎さるく博」は長崎市が行政生命を賭けて挑んだ大規模イベントであって、だからこそその成果が生まれたものであることを軽視しては困ります。

「まち歩き」を導入したからといって膨大な集客が手に入るものではありません。

「まち歩き」の1回は参加者がせいぜい15人程度で、1万回やっても15万人の集客に過ぎないことを忘れないでください。

 一方、「まち歩き」は文化かというと、これにも自信がありません。

確かに、まちを歩いてさまざまな対象を注目します。
今和次郎さんの考現学ですが、ただまちを歩いて、そこのあるものを見て、なぜそこにあるのかを考える程度のことで、鑑賞するほどのことではありません。

つまり「まち歩き」とは、産業でも文化でもない、もっと自分勝手な自己満足の行為であって、他者や社会には何の役にも立たない時間つぶしです。

ですから、「まち歩き」を観光のジャンルに入れないで下さい。
ましてや観光産業とのかかわりを強調することなどとんでもないことです。
それは、読書や映画やウクレレや囲碁、俳句、ゴルフ(すみません、私のやっていることばかりです)と同じで、好きだからやっているだけの、いわば趣味です。

しかし、「まち歩き」も、読書や映画やウクレレや囲碁、俳句と同じで、奥の深い高度で複雑な知的趣味ですから、面白さは抜群です。
対象は「まち」ですから、地球上どこへ行っても、いつでも、無料で、無資格で、無練習で、自由に楽しめます。しかも歩くのですから、スポーツでもあります。

さらに、「まち歩き」にはもっとすごい効果があることに、最近気づきました。
それは、「ともだちづくり」です。

私は、元来、ともだちとか、仲間とか、絆とか、連帯とかという言葉が好きではありません。
そこになんだかうさん臭いものを感じるのです。
ともだちになると無理やりお付き合いを強制されるのではないかという恐怖心があるのかもしれません。
みんなと一緒に、ということをいままで本能的に拒否してきました。

しかし、いま、齢70を超えると、日々、とにかく寂しさを感じます。
退屈と言ってよいのかも。孤独というほどではないが、ひとぼっちのむなしさをよく感じるようになりました。
所詮、人間は社会的動物なんでしょうね。いまになって「終わりよければすべてよし」といいますが、「人生の終わりは寂しさに包まれていました」というのはあまりにも悲しいと思うようになりました。

ところが「まち歩き」に参加すると、2時間から3時間のほんのひと時ですが、その時限りのともだちができます。「まち歩き」のあとに安い居酒屋で一杯やると数時間、久しぶりのともだち感覚が味わえます。これで数日は寂しくない、というより次に気が向いた「まち歩き」に参加すれば、また誰かともだちと出会えます。

「まち歩き」は、人生でひと仕事を終えた塾齢者が、1500円(「大阪あそ歩」の参加料)で味わえる至福の時間ではないでしょうか。

これはもはや観光産業でなく、観光文化でもなく、社会連帯というのではないでしょうか。

広いまちの片隅で、一瞬につながる連帯が「まち歩き」です。

これが、大阪だけでなく、ニューヨークでもロンドンでも、ダマスカスでも北京でも、まちの片隅で展開されているとしたら、それは地球上の人間連帯でしょう。
言葉でなく行動で示される人間の知恵のように思えます。実際、パレスティナの紛争地帯にもアフリカの貧困問題にも「まち歩き」が試みられています。

「まち歩き」は空間を超えた、人間社会が要求する行動なのに違いありません。

考察【まちあるき】①

考察【まちあるき】②

2020.07.31
2021.05.29. 加筆