ギャル、やっときゃよかったなぁ
ギャルの偉大さには、かねてから興味を持っています。
自分に圧倒的に足りないものを持ち合わせている、と感じたので、備忘録として記しておきます。
ネガティブな反応をされても、「私は私!」と思ってギャルをやってきたので、今、自分がやっていることにちゃんと誇りが持てています。
この記事で「自分受け」というワードも出ていますが、前提、ギャルは自分の意思に忠実でまっすぐなんですよね。
派手なメイクやファッションも、”自分がしたいからする”。
他人の目が気になると、つい「〇〇受け」を考えてしまうけれど、そもそも自分はその状態に納得してるのか、って言われるとドキっとしませんか。
(他者目線を持つことで受け入れてもらえる=承認欲求が満たされる、はあると思うので、ここでの論点には置きません)
他者受けや、他人の目線が気にならないように周囲と合わせる、というのは日本の独特な文化に思うのですが、ギャルもまた独特のポジションを確立しています。
どちらがいいとか悪いとかをここで言うつもりは全く無いけれど、少なくともわたしは10代のうちにギャルやっときゃ良かったな、と思う一人です。
中学まではみんな幼馴染で顔なじみの小さな小さな田舎町出身、進学した都会の高校は校則も厳しく、のびやかではあれど慎ましく10代を送ったため、周囲の様子をうかがいながら成人していった部分がかなりあります。
あまり自覚がありませんでしたが、いま振り返ってみると親に迷惑かけたくないなぁとか、ここで嫌われたくないなぁと、思慮しすぎの癖がついて、随分自分で自分を窮屈にさせていたフシがある。。
そして、一度ついた癖を取っ払うのってなかなか難しいんですよね。
時間もかかるし、努力も必要。
最近、積み重ねてこびりついた「生真面目さ」みたいなものが邪魔をしていて、「真面目、やめたい…」と思っていたところ。
もっと若いうちにいっぱい失敗したり、やりたいことを貫き通したり、自分本位かな?くらいわがままに過ごせばよかったなと後悔があります。
大人になって対峙することの多くは、「自分はどうしたいのか」を言うこと・行動することが大事になる。同時に、ストレス耐性も。
話を戻しますが、ゆえにわたしはギャルの貫く意思はいつだって眩しいし、鋼メンタルも羨ましいし、いい文化だなぁと思うのです。
もしも自分に子どもができることがあれば、女の子ならギャルになってほしいし、男の子ならギャルと付き合ってほしい。
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