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教師と舞台「ヨーイ、ドン」

「何で先生になろうと思ったと?」

コロナの時代になる前に帰省した宮崎で、教師になった友人に聞いた言葉。

「ん~なりたかったから」

「大変やない?」

「大変よー。でも、楽しいか楽しくないかで言われたら、楽しいから俺は恵まれてる方やと思う」

ビールを飲みながら、そんな会話をした記憶がある。

「生徒たちが可愛い時があるとよ。ムカつく時とか理不尽な時もかなり多いっちゃけど」

そうだろうなと思う。想像するしかないが、教師の前に昔から知っている友人である。

小・中・高校と一緒で、帰省すると必ず声を掛けるその友人は、学生時代どちらかと言うと先生達とは対立していた。と言うか怒られてばかりいた。
その友人が先生に説教されている時、先生の後ろ側を通った自分達がふざけてその友人を笑わせると、即座に先生にその友人が殴られたりもしていた。
漫画もよく没収されて怒っていた。遅刻して昼休みに雑巾がげをさせられて怒っていた。一緒にきゃっきゃ騒いでいたらすぐに注意されて怒っていた。
今、思うと逆ギレだが、その時はその怒りは自分たちにとっては正当なものに思えていた。
そんな友人が教師。昔からなりたがっていたが、ほんとになると意外ではある。あの友人が教師かぁと。

何となく、そんな事を思い出したのは、現在4月に出演する劇団PIS★TOLさんの「ヨーイ・ドン」の稽古中だからである。
過去に何回も出演させて頂いていて、作・演出の仲村大輔氏とはもう長い付き合いである。
舞台の事や劇団PIS★TOLさんの事についてはまた書かせて頂くとして、今回の「ヨーイ、ドン」は学校が舞台で教師や生徒、その周囲の人々の群像劇となっている。
自分はその中で教師の役。教師の役は初めてである。
だから、教師の事を考えていたら友人との会話を思い出した。

教師という職業はみんなから「先生」と呼ばれる。
他にも医者や弁護士、漫画家や作家、政治家なども「先生」と呼ばれるが、自分にとっての教師の「先生」は何か違う感じがする。
最初からそう呼ばれることが当たり前の職業と言うのか。
だから大変だとも思う。
「自分より先に生まれた」が原義みたいだが、指導者や教える人の意味合いが強い。

自分は学生時代は先生が苦手な方だった。
あまり接触しないようにしていた事もあり、教師との思い出はあまり覚えていない。
今、思うと歩み寄って来てくれてたんだなと思う事もあるが、自分から遠ざけていた。ビビりの性格で怖かったり、怒られることが恥ずかしいと思っていたのが最大の理由だと思う(怒られる前提なのが少し悲しい)。
怒られたら怒られたで、屁理屈を並べ、もっと近づこうとしなかった。
中学時代なんて野球部の顧問に、キャッチャーから外野にコンバートしたいと意思を表明するのに、毎日練習前にグラウンドの入り口で待ち構えるのだが、結局言えず挨拶だけで終わる日を2か月ほど続けた事もある。
腰痛よりも言わない選択を続けた。
何か自分も含めみんなが従うので(教えを乞いたい、従わなきゃいけない含め)、権力を持っていて、絶対的に正しい人みたいなイメージがあった。

絶対的に正しい人。
聖職者。
助けてくれる人。
間違いを正す人。
怒ってくれる人。

そんなイメージで、後半の二つは学生の自分にとっては有難くなかった。
今、思っても有難いものと有難くないものがある。
絶対的に正しい人なんて怖い。自分が間違ってる事が確定してしまうから。
そんな風に思っていた節があったんだと思う。

今となっては教師も人間だって事は重々分かる。
友人も教師、知り合いにも数名いる。
教師だって「先生」と呼ばれる人だって間違う。
と言うか、基本的に絶対的に正しいと言い切れる事は数少ない。
そんな中でも教師は間違いが許されにくい職業である事は確かだと思う(他の職業もそうではあるが)。
でも、友人が保護者から間違っていると詰め寄られたら、犯罪や間違ってると心から思わなければ友人を擁護すると思う。だって立場が友人側だから。
でも、もし将来自分の子どもが学校に通った時は「先生」には間違えないで欲しい。

わがままである。

そんな事を書いてて思い出した事がある。
小学校高学年の時だった思う。
小学校生活の中での一大イベント、席替えの時。
きっと今回こそは誰々の隣(男子と女子の列が決まっていて、男女が隣になる)で、前後は仲のいい友人で、あわよくば窓際の後ろの方と淡い期待を抱いていた時である。
担任の「先生」が急に
「今回の席替えは、まず○○さんに隣の人と前後を選んでもらって、他のみんなはその後にくじで決めます」と言った。
クラスが一瞬静まり返って、その○○さんを見た。
その○○さんは「先生」から見たらクラスに馴染んでいないように見えたらしい。
その時の○○さんはうつむいて、じっと動かなかった記憶がある。
自分は平等を謳っている絶対者が贔屓かよ思った。まぁ、ずりぃなと心底羨んだ。
その子は長い時間迷って
「前は○○ちゃん、後ろはは○○ちゃん、隣は……○○君」と小声で言った。隣に指名されるんじゃないかと密かにドキドキしてしまった自分が恥ずかしい。
前後に指名された女子はクラスの中では、自分が隣になりたいと思っていた目立っている子達だったように思う。
隣に指名された友人は
「しょうがないな」と言いながら、少し誇らしげだった。
ちなみに自分の席替えの結果は覚えていない。

今思うと、暴動が起きても変じゃない。
だって、誰もが平等で(ちょっとしたズルがあったかもしれないが)真剣勝負で、その結果によっては次の席替えまでの小学校生活の命運が掛かっているのだ。
田舎の小学校のコミュニティはクラス内で完結される事が多いので、誰々と誰々が仲良くなったとか、家に遊びに行ったとかは敏感で、置いて行かれないように必死だった。少なくとも自分は。
その意味で席替えは今までの安定を取れるか、新しいコミュニティに足を踏み入れれるかで重要だったように思う。
でも、当時は「先生」が真剣に言う事は絶対だった。
従ったし、結果その後も特に大きな変化は起こらなかったと思う。
もしかしたら、知らないうちにその子が悩みを抱えて「先生」に相談していたのかもしれないし、親御さんから連絡が行っていたのかもしれない。
自分も含め、その子に何か重大な過ちを犯していたのかもしれない。
しかし、その席を選んだ子も劇的に変化した記憶は無い。
その時の「先生」の行動が正しかったのか、その子を救ったのか、逆に生きずらくなったのかは分からない。
もう、くじで席替えをする行為も正しかったのか分からない(今がどうなのかは知らないが)。

何故か強烈に思い出した。

教師の方々(もちろん他の職場でも)はとても難しい局面も多い中で、限りなく正解に近い言動を目指している方々が多いと思う。
それが自分の学生時代は分からなかった。
もう少し先生達と話してみれば良かったなぁと後悔。

話は戻り、舞台「ヨーイ、ドン」
何が正しいかなんて分かりませんが、自分たちの正しい形を目指して鋭意稽古中です。
ご興味ある方は何卒よろしくお願いします。
以下、詳細です。

劇団PIS★TOL再始動第7回本公演
「ヨーイ、ドン」

作・演出 仲村大輔
2022年4月13日(水)~4月17(日)
@ザ・ポケット(中野)

ある高等学校での物語。
一人の教師が赴任する。
彼は、ある罪を犯し「セカンドチャンス」を与えられ此の学校へとやってきた。
自問自答を繰り返しながら教師としての生活が始まる。

学校という舞台で、教師、生徒、親、それぞれが生きていくことにチャレンジする物語が始まる。ヨーイ、ドン。

公演日時
4/13(水)19:00
4/14(木)19:00
4/15(金)14:00/19:00
4/16(土)13:00/18:00
4/17(日)12:00/16:00

受付開始は開演時間の45分前、受付後すぐ開場させていただきます

上演時間
100分から110分を予定

チケット
一般4,500円(前売り/当日)
U-22割2,500円(22歳以下対象/要身分証)
全席自由席

会場
ザ・ポケット(中野)
〒164-0001東京都中野区中野3-22-8

チケットご予約はこちらから。

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