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戦争

祖母と私は二人とも
寅年で60年に一度の
丙寅(ひのえとら)という共通点

祖母の爪の手入れをしながら
そんな事をスマホで検索していた
片手間に何かを検索するの好き

8月ということもあって
ふと、祖母が何歳の時に
戦争があったのか確認していたら
昭和元年生まれだったから、
10代の最後が東京に空襲が多かった1年で
石神井に住んでいた祖母が生き残った事は
運が良かったのだと思った

防空壕と防空壕の間に
爆弾が落ちたりがあったと言うので
少し間隔がずれていたら
亡くなっていたんだろう

警報が出ると、父親が作った
家族用の防空壕に入っていたけど
だんだん慣れてしまって、
夜中に防空壕に行くのが面倒くさくて
蚊帳の中で寝ていたら
母親がすっ飛んできた!!と
笑いながら話してくれた

検索していたら、豊島園には
空襲が来た時に気付くための
監視塔があったみたいで、
今じゃレジャー施設なのが
なんだか不思議な気持ちになった

東京大空襲、ひどかったんだね
3月はまだ寒くて、でも火は熱くて

戦争、嫌だな怖い‥と改めて思った

しかし、祖母に人生で一番楽しかった
時期を聞いたら『戦時中!』との回答で
拍子抜けした事がある
青春時代だったんだとは思う

当時の数少ない写真をみていると
皆が暗い顔で写るなか、
祖母1人だけ満面の笑顔で写っていて
おばあちゃんはどんな時も
明るい人だったんだなぁと
素敵な性格だなと思った


写真は夕方と夜の間の空
真っ暗になる直前の色すき

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