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藤井風さんなら月の裏側まで照らせるはず

藤井風さんが東京2020オリンピック映画の音楽を担当することが発表されました。私の感想は「よりによって何でオリンピック…」。LASA収録の「それでは、」について“映画のサントラのような曲を作ってみたい”という話もしていた。勿論、彼が映画音楽を担当する作品なら絶対観たい。でも、オリンピックに関する映画なら現在の私は観ないと思う。

現時点で観賞していないし、曲を聞いてもいないのに勝手に何を言っているのだ!と自分でも思う。けれど、この出来事にはかなり気持ちが揺れ動いた。それは、アーティストを応援する気持ちと、アーティストが進んでゆく方向にズレが生じた際の自身の教訓になりそうなので書いてみる。

私は、藤井風さんが「人々がちょっとだけ良い気持ちで過ごせるように音楽を作り、色々ある毎日をみんなが前に進めるようにそっと背中を押してくれる特別な存在」だと思っている。誕生日エピソードにあった「孤独に過ごしている人に寄り添いたいんよ」の言葉はとても象徴的だと思う。

その風さんが、オリンピック映画の音楽を担当するということが信じられなかった。東京2020オリンピックへの思いが人により異なることは承知の上だが、私はテレビから流れるオリンピック報道よりも、その裏で生じているであろう様々な問題の方が気になって仕方なかった。

今回の映画では、SIDE:A、SIDE:Bとしてアスリートと非アスリートに焦点を当てるとのこと。アスリートの懸命さ、支える人々の姿。それは、目に見える太陽と月だ。メインテーマの「The sun and the moon」はその対比を連想させるし、聴けばおそらく太陽も月も関係ない大きな愛を感じるだろう。では、SIDE:A、SIDE:Bとして見る太陽と月は、オリンピックの全ての姿なのだろうか。

人は、接触頻度の高いニュースや情報に目を奪われがちだが、あえて報道を控えられている「裏側にある出来事の想像をしなければいけない」と最近強く感じている。何事も表があれば裏側がある。描かれない月の裏側で大切なものを失った人や、孤独や虚しさを感じていた人が大勢いたように思えてならないのだ。

そんな人々に寄り添うのが、風さんとチーム風だと私は勝手に思っていた。ここが、必要以上に気持ちが揺らいだ大きなポイントだと思う。

様々なプロジェクトに参加し、経験や関係性を深め、自分がやりたいことをやる。風さんには、そんな風に自由に伸び伸びと過ごしてほしい。これは心からの気持ち。アーティストが進む方向を信じて、大きな気持ちで見守り、応援し続けるのが真のファンだと思う。

私は真のファンと言えないかもしれない。心配で堪らなくなった。赤い丸をモチーフにした武道館の写真、“Free”Live2021の「どれだけ人が集っても、誰一人として声を出さず拍手と手拍子だけで盛り上がれる国民性。“思いやり”や“秩序を守る”日本人の精神を世界に発信」という実行委員会一同の言葉。その当時はあまり感じなかったが、政治利用されやすいであろう片鱗がチラチラと見えている。振り返ると、今回のオリンピック映画を引き受けた経緯をぼんやりと感じる。

アーティストが関わる内容と私自身の勝手な思いにギャップが生じた時。「合わないようなので、ここでさようなら」と出来る相手ならそれでもいい。けれど、藤井風さんにそんなことは出来ない。出来るはずがない。

私は藤井風さんを引き続き応援する。「The sun and the moon」も勿論聴く。けれど、映画は観ない。ギャップが生じた時には少し距離を置く。距離を置きながらも応援はする。

風さんは、見える太陽と月だけではなく、月の裏側にいる見えない人までも照らしてくれる存在だと思うからだ。そう感じている自分を信じる。

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