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【租税法特講】救うのも 救われるのも みな我が身(その1)

 「どうして結婚せえへんかったんやて訊かれてもなあ・・・アンタは、どうして独身にだけやたらと高っかい税金、何も文句言わんと納めたはるの?」質問に質問で返す冬さん。何か意図がありそうだが、素直に回答する私。「どうしてって訊かれてもなあ・・・ハッキリ言ってしまえば、何となくです。何となく、国の少子化対策に協力できなかった人間に課された罰金だと思って、仕方なく払ってる感覚ですね。」
 「せやねん。何となくやんか。チョンガーも、納税も、まあ文句言うたかてしゃあない思うて、結果的にそうしとるだけのことやんか。まあ、アンタはサラリーマンとして人並みに稼いだはんねんから、そない卑屈にならんと、堂々としとったらええ。ワシなんかなぁ、こないにアホな奴が、結婚してガキ作っても、その子もロクな人間に育たんやろ。せやから、結婚せえへんかったのんと違うて、結婚の資格が無かったんとちゃうかなあ。世の中、誰しも平等に権利はあってもな、“権利”と“資格”は別物やで。
 あんまりにもアホな親からアホなガキばかり産まれてみいな。烏合の衆の人数ばかりが増えて、厄介な社会になるだけや。三人集まったかて、三人ともアホなら、文殊の知恵にはならへん。せやし、少子化対策ゆうたかて、産みたい奴は勝手に産みよるさかい、流れに任せるんが一番なんやて、ほんま。
 『結婚して家庭を持ちたい』『安心して我が子を一人前にしたい』思うやんか。ほな、一生懸命働いてカネを稼ごうとするのが普通の真人間とちゃう?『自分のガキを自分の力で育てられるくらいの経済力は持ってから、ガキを作ろうとしなさい』てェ、こないな常識、それこそガキでも解ることやんか。それをやで、他人様の納めた税金をアテにして、国が人口増やそうゆうんやから、一体どうゆう料簡や。こうゆう政策を一度でもやってまうとなあ、『経済力が無いから、結婚も出来へんし、子育てもようせえへん』って屁理屈を無駄に助長するだけなんやて。結婚するだけの甲斐性を持とうとするさかい、世間様も『結婚してこそ一人前』みたいな雰囲気なんやろ?それがなんや、経済力も無いくせに結婚できた半人前の奴らのために、経済力があるのに結婚できひんかった一人前のアンタが、どういうわけやら税金払い続ける。なんか、腑に落ちひんやろ?これを『独身への罰金やし仕方ない』なんて赦しとったら、そらアンタ、人が良すぎるわ。
 格差社会をどうこう謂うつもりはないけどな、とりあえず自然な形で、出産に所得制限がかけられているような状態のまんまでええねん。優生思想は“権利”の問題やから、判定アウトやけどな、所得制限は“資格”の問題やから、国家権力の恣意が介入せえへん限り、判定セーフ。逆に国家権力が独身者を間接的に抑圧しようとしている現状のほうが判定アウトちゅうもんや。」・・・これは甚だ失礼ながら驚いた。高校卒業後、上京してずっと夜の街を転々とし、病気をきっかけに今宮戎のオンボロアパートで過ごす老後となり、出かけるといえば岸和田競輪か新世界の小便臭い映画館という爺さんが、いま私の目の前で、私が四半世紀前に通っていた大学の法学教授の如き講義を披露している。私は、いつも通りカップ酒片手に彼の持論を拝聴しつつ、“学問”と“学歴”は別物であり、学問に所得や年齢の制限がかけられていない国家の平等を礼賛していた。
 
 「世の中『お金よりも大切なもんがある』ゆうことを軽々しく説教できんのんも、お金のおかげなんやで。カネよりも大切な子供の命を守ろうとすんのやったら、せめてカネくらい自分の財布から何とか工面せえ。その程度の良識も実力も無い奴が無責任に子供を産んでまうさかい、その血を受け継いだ子が大人になったかて、良識も実力もカネも無い親のコピーとして、また無責任に子供を産んでまう。これがまさに『貧困の連鎖』やら『貧乏の遺伝』やら言う現象やろ?子供に恵まれたかて、何でもかんでも“お目出度”言うんは、それこそ能天気にも程があるっちゅう話やで。ほんで、烏合の衆の人数ばかり増えてみぃ。『無責任の連鎖』まで引き起こすよってに、地球の環境問題も食糧問題も一向に解決せえへんのとちゃうか。知らんけど。
 こないに皮肉なこと、そうそう無いで。地球環境の保全のためにもな、食糧供給の安定のためにもな、このまま少子化が進んだほうが好都合なんやて。環境を破壊する人間、食糧を消費する人間の絶対数が減るさかいにな。せやし、ワシらは、ワシらにでも出来る方法で、地球に貢献しとんのや。最も現実的で即効性のある形で、この地球を守っとんのや。堂々としとったらええねん。それがなんや、自分らだけガキをポコポコ産みよって、国も『産めよ増やせよ』てェ其奴らを支援して、そないな奴らに限って『未来の子供たちのために、環境と食糧を守ろう』てェ豪語すんねやから、もう自己矛盾がえげつのうて嗤うてまうわ。『み~んな、自分らのせいやし、将来の環境も食糧も自分らの子孫の問題やろ。ワシらはこないして大人しゅう暮らしとるだけや。』てェ言いたなる。」・・・今宵の冬さんは、カップ酒さえあれば人生何とかなるといった風情のほろ酔い爺さんとはやや趣が異なっていた。私の質問が彼にとって何らかの変化の触媒にでもなったのだろうか。
 「結婚と子育てには、金銭よりも、愛情こそが必須」「金銭を与えるから結婚して子供を産んでくれ、と国が頼んだところで、未婚率が下降するはずもなく、人口が増加するはずもない」といった正論――私は「正論」という言葉をあまり好まないが、極めて疑いの余地の少ない正論――が、傘寿過ぎの独身男から繰り広げられている。いま私の目の前に居る、この薄汚れた年寄りは、“薄汚れたキレイ事”を恥ずかしげも無く標榜する昨今の風潮に接し、激的な試薬を用いて何かを暴こうとしている。老い先短い者の「後世に対する責任感や義務感」といった類のものではない。彼は、寧ろ「私にはどうしても世代間倫理というものを持ち合わせることが出来ません」と潔く宣言してしまうくらいの性格だ。私の価値観も以下同文だ。高級車を乗り回し、エアコンの利いた部屋で、贅沢な食事を平然と残してしまうような利益追求集団の代表格が「持続可能な開発目標」と口にしている姿が滑稽でならない。彼ら金満もまたキレイ事だと分かっていながら仕方なく国際的な採択に賛同しているのだろうが、人間というやつは所詮タバコすら簡単には止めらない生き物なのである。「有益な文明を一度覚えてしまったにもかかわらず、今更これを無益なものをして切り捨てるなんて不可能に近い」と懺悔してしまう生き方のほうが、何処かに根本的な納得感がある。持続不可能だろうと、利便性を優先し、ひたすら浪費する文明に散々加担してきた、私もその一人だ。「人類なんて、ただ生きているだけで地球を汚してしまう存在なのだ」という自覚も無いまま、どうして皆そう易々と中途半端に「サステナブルな社会」とやらを目指そうとすることが出来るのか、私にはその神経が不思議でならない。
 私は自らが独身であるという事情が関連しているか否かは定かでないものの、非婚化・晩婚化・少子化は勿論のこと、環境にも食糧にも大した危機感を抱いていない。但し、「高っかい税金」はいずれ自分にも還ってくるものと飲み込んで納めている。
 
 2本目のカップ酒も空になったので、私は自分で決めた“ルール”に従い、長居せず、オンボロアパートを後にした。だが、この日は、冬さんが珍しく世相に鉄槌を下したせいか、その反芻を肴に、一人で飲み直したくなった。通天閣を見上げる角打ちで3本目のカップ酒に接吻しつつ、爺さんの講義内容の余韻に浸る。そして酒に浸る。冬場はカップごと燗をつけてくれるのが有難い。東京出身の者には馴染みの無い「牛すじ蒟蒻」に心持ち多めの七味を振りかけ、それをお供に躰が温まれば、お次はその躰を冷まそうと、4本目には缶チューハイを選ぶ。こうして“燗”と“缶”を交互に繰り返しているうちにすっかり酔いが回り、私は勘定を済ませると、淡路方面へ向かう地下鉄堺筋線のホームにはそのまま向かわず、近所の公園で休憩することとした。暫し心地良い夜風に当たりたくなったのだ・・・つづく

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