くじら座なごや本番終わりつらつらの回

くじら座なごや「ふぶきのあした」の本番が終わって、そういえばnoteを放置していたなと思い出してしまったので、つらつら最近考えたことを書いてみるの回。

3日ほど前まで、「TRUTH」というアメリカのアクティング・コーチであるスーザン・バトソンが書いた本を読んでいて、そこに書かれていた演技の組み立てかたを面白いなぁと思いながらの読書だったのだけど(僕はすぐこういうの試してみたくなっちゃうから、ちょうど本番中だったくじら座なごや「ふぶきのあした」の吉沢基という役をこの本に書かれている方法で分解してみたりしていた)、その本の終盤、ほとんどオマケと言ってもいいところに、スーザン・バトソンのコーチングを受けている俳優の一人であるジュリエット・ビノシュによる「若い俳優へのアドバイス」というのが載っていて、それがとても良かったので引用してもいいですか?

”私のアドバイスは、決して中途半端にならない、ということです。氷のように冷たくなるか、あるいは燃えるように熱くなること。絶対に、その中間にはならないこと”
"すべてのアートは動きなのです"
「TRUTH[真実]」スーザン・バトソン著 青山治訳 p294,p295

2つ目の引用は文脈を取り除いているのでこれだけ読んでも「はぁ?」かもだけど、個人的にはズバッときた一文だった。そして1つ目の引用部分には励まされたというか、ここ数日考えていたことを後押ししてくれるような言葉だった。
「リスクを負っていない俳優は面白くない」というのがその考えていたことで、こう文章にしてしまうとあまりにも当たり前のことで今更何書いてんだって感じなのだけど、でもなんかここ数日、そのことをことあるごとに考えていた。じゃあ「リスク」とは何なのか?とか。「役にちゃんと自分の存在をベットさせてあげること」という言葉に言い換えたりもしていた。役が何かしら行動をする時は、ちゃんと舞台上にあるものを動かす挑戦をさせてあげること。その挑戦をしていない芝居は、もしかしたら"ナチュラル"に見えるかもしれないけど、面白くはない。

……なんてことをつらつら考えていて、「お前なにさまだよ」って感じだけど、なにさまでもないからこそ色々考えなきゃなと思う最近だったりもする。僕には爆裂な才能なんてないからこそ、考えて努力してってことをし続けなきゃいけないし、それを楽しめないのだったら俳優なんてやめた方がいい。だって天才じゃないんだから。
自分はアル・パチーノやダニエル・デイ・ルイスと同じ仕事をしているんだって最近やっと実感を持って考えられるようになってきた。ここまで来るのに時間がかかり過ぎた。でも自分と天才たちとの間に横たわる、そのあまりのレベルの違いを直視しても潰れないぐらいの、最低限の精神的余裕は今持てている。20代の頃は俳優を続けていくと本気で思えていなかったから、その差を凝視することはなかった。

あとそういえば。
「舞台上にいる時、感情はオマケ」って頭ではそう考えていたけど、実際にはそこを手放すのに正直時間がかかった今回の芝居だった。物語の最深部とも言えるシーンを担っているという、外側からの視点が邪魔をしていたのかもしれない。でも不思議なもので「感情が出てこなかったら別にそれはその時。どうでもいいや」ってちゃんとなってる時ほど、感情が流れるんですね。ただ一度自分のコントロールを手放したら、ズルズルズルーって予想を結構超える大きさのものがどんどん出てきちゃった回があって、個人的には面白かったんだけど、演出の(利藤)早紀ちゃんには「やりすぎです」って言われました。あれを稽古で出来ていたら対策が立てていたんだけど、わりとコンスタントに手放すことが出来始めたのが本番入ってからだったから、もう出るに任せるしかなかった。稽古って大切だなぁ。

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