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俺の職歴を通して、今までの人生を振り返ります。

1983、工業高校電気科を卒業後、旧立石技術サービス(株)現オムロンフィールドエンジニアリングに就職。大阪支店に勤務。主に交通信号機システムのメンテナンスに従事。TTL回路の基礎、モデムの基礎を学ぶ。電話回線工事のアナログ2種取得。

1984、京都支店に転勤。京都で一人暮らし。京都の交通管制システムのメンテの他にレジスターや、ガソリンスタンドのPOSシステムのメンテに従事。

1987、アムウェイにハマってオムロン退社(笑)がっつりやった割には上手く行かずフェイドアウト。

1988、オムロンの経験を生かし大阪で就職。NTTの窓口出納システムのメンテに従事。しかし給料が安い(´;ω;`)

1989、付き合ってた彼女(現妻)の父親が型枠を材工でやってたので1日だけバイトした後すぐに型枠屋の世界へ。8月1日型枠職人デビュー。

義理の父親が使ってた職人さんに付いて型枠を始めました。毎日メモ取りながら必死で覚えた。2年くらいで一通り覚えたところで義理の父親(以後オヤジ)と共に材料を運んだり、営業、集金等経営側の仕事へスライドして行きました。大工20人くらい毎日動くくらい仕事取ってました。

しかし!奈良でダムを安く請け負ってしまい途中でケツ割って大きく負債を抱える事に。借金人生の始まりでした。仕事の規模を縮小し、少人数で仕事をこなしながら金策に走り回る日々。なかなか借金が減らない上にオヤジがマチ金に手を出し更に悪化。オヤジが持ってた不動産を売却しなんとか返済の目処が立った。

1999、オヤジの元を離れ、堀工務店として独立。少し借金持ったまま。若いコ連れて手間受けメインでやってました。土木建築何でもやってました。兵庫県の信用保証協会から500万の融資を受けて何とか凌いでました。

2001、10回建のマンションを手間受け。寄せ集めの大工で。本気で勝負かけたけど、玉砕(´;ω;`)。500万借金増やして廃業する事に。知り合いの基礎屋で日払いで働きながら借金から逃げ回る事に。信用保証協会の保証人が姉の旦那さんなんで自己破産出来ない。この時36歳。この後2008、43歳で俺が破産、免責になるまでの7年間地獄やった。25歳で建てた家もローンが払えなくなり39歳で取られた。明日食べる米買う金がないって日々でした。昼基礎屋で仕事して夜型枠の加工の拾い出しを夜中までするって事もあった。仕事が少なくて神奈川、富山へ型枠で1年出張も行った。

2008、姉夫婦が事情あって自己破産、免責に。これでやっと俺も破産手続きへ、免責に㊗

2010、行ってた基礎屋がパンク。破産。社長の自殺。

今行ってる武田建設(株)へ。

ここから10年かけて生活の復活へ。

仕事内容も今の多能工へと移行。

そして現在に至ります。

長々となりました。部分的にまたくわしく書いてみようと思います。

次回へ続く。

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