#4 「とわの庭」小川糸著から想う、母親とは、娘とは
活字離れを危惧して、ランダムに図書館で本を借りるようにしてはや半年。
小技として「予約の多い本」「新しく入った本」のランキングから
なんとなくで選んで予約カートに入れることで、
作家やジャンルが偏らないように意識をした借り方をしている。
となると、忘れたころに予約していた本が届くこともしばしば。
「とわの庭」もそのような感じで、
あれ?いつ予約したかな?というタイミングで私の手元に届いた。
母でもあり娘でもある自分にとって、
印象に残る余韻がながーく残る小説だったと、じんわりと思っていたのだが
タイムリーにNoteの事務局が、 #読書の秋2021 として
読書感想文を募集している期間だったので、
今回私の所感もまとめてみる事にした。
※若干のネタバレ含んでるので、本が気になる人は読まないでくださいね。
念願の女の子を出産した母だった
はじまりは、目の見えない娘を献身的に育てる母
そして、母を誰よりも慕う娘の
美しい母と子の物語、、、
かと思いきや、そこから
じわじわとホラー要素が湧き出てきて
第一部の終盤で母が失踪。
私も読者として、目が見えない主人公の「とわ」に感情移入をしているが
外の世界を知らない、純粋無垢な彼女よりは
当然、現実の世界の諸事情も分かる為、ところどころの描写で
「あ、なんか嫌な予感がする、、、」とは思っていたものの
第二部の序盤で、母が失踪した理由が少しずつ明らかになっていくのだが
まさかここまで酷いとは思っていなかった。
そして、真相が解明された時点で
5歳の娘である今の自分に、アラート音が鳴るような
ぞわっとした感覚を持ったのである。
ママの着せ替え人形では無いのよね
私自身がが長女を出産して5年。
自分の事が何もできない、赤ちゃんの頃から
個人として尊重をしてあげるべしという気持ちはあれど
とにかく手がかかるので、日々お世話をしていると
それに見合った反応が得られるようになってきて
「ママの可愛い〇〇ちゃん」でいて欲しいという所有欲の気持ちが、
自然と芽生えてしまうのも事実。
本人にとっては迷惑な事も承知ながら、5歳になった今も
この気持ちは、まだ健在。
赤ちゃんの頃は、自分好みの可愛い服を着せては、
可愛い!と悶絶し、写真を撮りまくっていた。
それが、いつの間にか本人の好みが出てきて、いつも同じ服しか着なくなり
あの手この手を使って、肥し服を作らないように工夫する必要が出てきて
(とにかく褒めまくる、選択肢を与えるふりをして満遍なく着せる、
洋服に覚えやすい可愛い名前を付けるなど)
そして4歳から5歳になるこの1年は、
私が避けて通りたかったキャラ物ブーム到来。
しかし、そうなってしまったからには
本人が喜ぶ顔が見たいから、夜な夜なオンラインで
好きなキャラクターの洋服がセールしていないか探している自分がいた。
いざ本人にお披露目するときは、喜ぶ顔見たさに
気に入ってもらえるかドキドキして。
もう一度言うが、相手は5歳の女の子(笑)
そのうち、自分で服を買うようになり、
私が理解できない流行りのファッションをまとうようになっても
決して、頭ごなしに否定してはいけないんだろうなと
すでに先を見据えて、ちょっと感傷的になり遠い目になる。
と、洋服にまつわる自分の経験も交えながら、何が言いたかったかというと
母親には、娘を自分の可愛い大切な人形のように愛おしく思う気持ちがあり
それが無意識のうちに「所有」という気持ちに
すり替わる瞬間も十分にあるということ。
但し、実際は子育てはおままごとではないし
相手は子供であっても、自我があり意思を持つ、生身の人間。
言う事を聞いてくれなくなったら
「あ、これも成長の過程なのね」と、
切り替えていける母親がほとんどだし、それがあるべき姿。
当然、母親だって人間だから、過渡期には、寂しさや怒りを感じて、
もろに正面衝突する事もあるのがだろうが(実際は私もそう)
酷いと思いながらも、共感できる母親の気持ち
主人公「とわ」の母親は、
この切り替えが全くうまくできなかったパターン。
というか、そもそも上手く先回りしてコントロールでき過ぎていて、
娘が自己主張することを抑制していた。
娘を自分の人形のように可愛がり、
生活に支障がでてきたら娘が全盲なのを良い事に、
適当な理由で言いくるめて
最終的にはキャパオーバーにより失踪。
無責任にもほどがある、と思うけれども
このポテンシャルは、恐らく娘を持つ母親には誰にでもあると思う。
同時に娘に対する母親の影響力って、
現実世界でも、かなり大きいという事も忘れてはならず
日頃、私の顔色をよく伺う娘に対して、
自分のエゴをむき出しにしていないか
意識しながら接するべきだなと思わされた。
息子は結婚してしまえば、相手の奥さんに取られたも同然というが
娘は結婚してライフステージが変わっても、
付き合いが続くよねとはよく聞く話。
娘とは良好な関係が長い事続けられるように、
お互い窮屈にならないようにしたいよね。
それでも私の母だから
第二部は、母親の呪縛から解かれた、主人公の「とわ」が
周囲のサポートも受けつつ、社会的適応していくという明るい展開。
素敵な友達に恵まれて、ちょっとした恋もして
読者としても第一部の重かった気持ちが、少しずつ軽くなってくる
捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものだ。
人生グラフでいうと、多少のアップダウンもありつつも
右肩上がりにすべく、前に進む姿は素直に応援したくなる。
でも、母親の事を完全に忘れる事はできない主人公の「とわ」
強烈な思い出と共に一緒に記念写真を撮った写真館で
母親と自分が当時、どのような様子だったかと聞いてみたりもする。
「あんなに酷い事をされても、まだ母親に好意的な感情があるの?
え?どこまであなたは優しいの?」
恐らく、出産してなければ私の感想はそこまでだっただろ。
けれど、自分が娘でありながら、娘を持つ母として5年間やってきて
娘としての私が、過去に母親に対して反抗的な態度を取って
怒られたり、悲しい顔をされたときの気持ちが
「あ、今なら当時の母親の気持ちが分かるな」と思う事が増えた。
私も母親になったからそう思えるのだろう。
主人公の「とわ」にも
母親から愛情をたっぷり注いでもらった素敵な時間があり
それを楽しい記憶として持っている。
母との楽しい思い出を大切に取っておいてくれていることには
どこかでホッとするする気持ちがあった。
私自身が娘に対して
「母親の私を、いつまで好きでいて欲しい」という願望を持っているから
本の中でも、母親が許してもらえたことに安心するのだろうな。
総じて、母娘の関係について、深く考えさせられる作品だったので
私のような、娘を持つ母親には一度読んで欲しいと思う。
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