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輸血を通してわたしが思っていたのは

JWの協議において、輸血ができないというものがある。
それがなぜだったのかは忘れてしまったのだが…汗

めっちゃざっくりいうと、神が血を口にしてはいけないと言ったので、輸血もだめだろうという判断だった記憶がある。(が、あってる!?)


ということで、わたしたちは子供のころから常に、「輸血をしないでください」と書かれたカードを服の下に、はなみはなさずかけされられていた。

つまり、事故等で急遽病院に運ばれた時、勝手に輸血されないようにだ。


子供の頃は、もうそういうものだと教えられていたので、特に疑問もなくつけていたのだが、

(プールの着替え等で友達に見られてそれなに?と聞かれたときは少々めんどくさかったがw)


でも大人になってから、そのカードを肌で感じる感覚、存在を意識するたび、自分ににとって大きな悲しみを生んでいたことに気づいた。


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〈JWの信じる未来〉

JWはJWの神に従えば、永遠の命を約束されているとされている。

なので、例え輸血をせず亡くなる結果となったとしても、命はまた神様により復活し、永遠の命が約束されている。

逆に、故意的に輸血をしてしまうと、神に逆らったということで、命が復活することはない…と。

なので、現世での命を捨ててでも、その先の永遠の命の約束の方が大事ということだ。

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まぁ、もうそんなことはどうでもいい。

JWから離れてシャバの世界で生きるうちに、そんな話は根拠のない夢物語だとうと個人的には感じたからだ。

当時は本当にそう信じていたので、改めて洗脳の怖さを思い知らされる。

(ただ、この話が真実かどうかとか、信じるかどうかなんて話は、個人の自由によるので、それぞれなんだと思う)


なんだか前置きが長くなってしまったけど、今日言いたかったのは(笑)

小さいころ、自分でも表面上は気づいていなかった、奥底にある悲しみに大人になってから気づいた話だ。


もし事故になって、輸血をしてくださいとお医者さんに言われた時、両親(信者)は「しない」だろうということは分かっていた。

それは理解していた。

それは、その先の永遠の命を得るため。

そのようにするように言われているため。

それは分かっていた。

頭では。

頭では。

頭では。


だけど、本能では違うことを考えていた。

「神様よりも何よりも、私を一番にだいじにしてほしい」

神が一番偉い存在、人間は罪深い存在だと教えられていたため、自分が神様ほどの価値が到底ないことは分かっていた。

神様を何事でも優先しなければいけないことも分かっていた。


それでも、

それでも、

本当は、「世の中の何を置いても私を一番に大切に思ってほしかった。守ってほしかった。愛してほしかった。」

いざとなったとき、

「神様なんてどうでもいい、目の前の子供が大事だ。」そう揺らいでほしかった。

そしてそれが、人間の本当の姿なのではないかと思う。(愛をふんだんに与えられて育った人を前提として。機能不全家族で育った場合は難しいかもしれないが。)


ということで、

本当にわたしの気持ちはシンプルだった。

「愛する両親から一番大切にされたい」、「私の命を一番に守ってほしい」、「神よりも何よりも狂おしいほど私を愛してほしい」と。

組織にいた時分だからわかることだけど、そう思うのは難しい人もいることも分かっている。相当、コツコツと洗脳を受けているから。

だから、わたしも輸血をしないという判断を取ってもらっても構わなかった。

ただ、死ぬ間際に、ちょっとでも、ほんの少しでも、「この子が死んでしまう。生きていてほしい。」と、心の揺れ、葛藤が両親にあっただけでも、うれしかったと思う。

そう考えることすら、組織的には罪なので。
真面目な人ならそんな考えさえ持つことに罪悪感を持つはずだ。
だけど、その罪悪感を超えてでも、目の前の命に心が揺らいで欲しかった。


でも、シャバにでていろんな一般の家族を見る機会が増え、当たり前のように子供を大切に思っている人がたくさんいることを知った。

そんな家族を見るたび、そんな家族が存在してくれているんだと思う度、安堵して嬉しくなる。
あぁ、私の感覚は間違ってなかったんだと。


本当にわたしの気持ちはシンプルだったのだ。



「わたしは両親から何よりも大切な存在でいたかった。」
「そして狂おしいほど、愛されたかった。」

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