信者であるお母さん、そしてワタシ
私はバプテスマを受ける前にドロップアウトしている。
信者である母さんは組織の資料から抜粋した記事を、生活の参考になると思って送ってくる。それがたまらなく嫌だった。
「ふざけるな。洗脳された情報を送ってくるな。私を、私自身を見てくれ。」
怒りの底にあるのは、底知れる絶望と悲しみだった。
それが最近は、それがお母さんなりの愛情の表し方なのかもしれないと思うようになった。
少し歪んでいて…それでいて不器用な愛情。
この気づきまですぐに来たわけではない。
小さい頃から心を亡くし、小学生の頃には死にたいと思っていた。
高校の修学旅行でも、乗っている飛行機の中、墜落しないかと心の中で思っていた。
もがいて、苦しんで、死と生のギリギリを生きてきた。
それでも運が良くイマ、生きている。
またいつか死にたくなるか、それは分からない。
ただ、イマこの瞬間は生きている。
肌の感覚がある。呼吸している。コーヒーを味わう味覚がある。
それは事実だ。
JW以外の人と関わる中で、表面上は明るく振る舞っているが、葛藤して一生懸命生きている人がいることも知った。
そんな人が幸せに、そして報われてほしいと思っている。
私もお母さんのために、小さな体で抱えきれないほどのものを背負ってきた。組織を離れても、心理的に呪縛があった。
そろそろ自由になりたい。
ただ、その思いとは裏腹に心の奥底にはこういう気持ちもある。
「お母さん、わたしはお母さんの期待に応えられなかったかな。お母さんの望むような子になれなくてごめんね。
どんなにうち叩かれようと、不器用な愛情で精一杯生きてきたことを知っている。お母さんもがんばってきた。
わたしはお母さんが大好きだ。」
それでいい。
それがワタシの今の素直な気持ちだ。
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