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「わかりにくさ、置いてけぼり、無駄な時間」への憤り…誰一人置き去りにしないとは?

先生に対するあんまりよくない思い出もけっこうあるのに…気がついたら小学校の先生になっていた私…

その原動力は、怒り
憤りでもあるのかも。
そんなびっくり?!事実に勘づいてしまったので。

本日は、「わかりにくさ、置いてけぼり、無駄な時間」3つの憤りについて、子ども時代を振り返って言語化していきます。
振り返ってみて思ったけど…昔の先生…ナカナカだな…。今はこんな先生いない…と思う!

①小1.2年生の頃ーわかりにくさー

「連帯責任」との出会いと、敬語の世界の衝撃、先生の発問のイマイチさへの怒り


1・2年生の時の先生の出会った第一印象は、

「とにかく笑わない先生だな」
ということ。

いつも真顔の先生だった。
「○○(苗字)さん」と、丁寧な言葉遣いで話し、物静かに声を荒げることもなく、常に敬語を崩すことのない、若い女性の先生だった。

幼稚園では、友達にも先生にも「○○ちゃん」とニックネームで呼ばれていて、それがとても好きだった私は、なんとかこの笑わない先生を笑わせて「○○ちゃん」と呼んでくれるくらいまで、仲良くなろう!と、あの手この手をつくした。先生に気に入られるように、お手伝いをしてみたり、優等生っぽく積極的に授業に参加してみたり、休み時間に「先生先生!」と話しかけてみたり。

結局最後まで先生は笑わなかったし、ニックネームでは呼んでくれなかった。
(のちのち、小学校はニックネームで呼んでくれない文化の場所なのだと悟った。そうならそうと、初めに言ってほしかった…と子どもながら思っていた(笑))

給食エプロンをいつもいつも、洗い忘れてくる男の子がいた。

その子がエプロンを洗い忘れると
「連帯責任です。」
といって、もう一週間、わたしのチーム全員が給食当番をすることになった。
なんて、不条理な世界なんだろうと思った。
もちろん、「え??なんでですか??」と食って掛かったけれど、先生の意思は固かった。

授業は、「なぜ○○なのでしょう?わかる人?」という、いわゆる一斉授業型の授業であった。

先生の問いに対して「はい!○○だと思います」
と話していると

「いや、そうじゃなくて…」
と、補足説明とあらたな問いがふりかかる。
え…だったら、最初からそう分かるように聞けばいいのに。
聞き方がわかりにくすぎる!!
勇気を出して発言したのに、「そうじゃなくて…」ってなんだそれ!

始めの頃は、なんでも答えていた私だが、だんだん手を挙げなくなった。
クラスの子も手を挙げなくなった。
発問がイマイチだと、途端に授業が路頭に迷う。
そんな様子を私は、「もっとわかりやすく、答えやすいように聞きなよ」って。淡々と観察していた。

小学校1・2年生だったのに…。そんなこと考えていた。
もし私が先生だったらなんと聞くかな…
将来先生になることもあるかもしれないから、先生の行動をしっかり観察しておこう。

こうして欲しくなかったな、ということは、覚えておこう。わかりやすく話せる人になろう。

そう心に誓った。今思えば、これが先生を目指した最初のきっかけなのかも?!

②小学校4年生の頃―置いてけぼり-
職員室までみんなで泣きながら謝りに行き、学級会はよく迷子になった


小学校4年生の頃の先生は、怒ると顔が真っ赤になる、イラストの上手な、先生1年目の男性だった。「正解」を求めて、試行錯誤している感じがした。隣のクラスのベテランの先生を真似して、いろいろ「熱血指導」をやっていた。

クラスで何か問題が起きると、先生は怒って「もういいです」と、職員室へ行ってしまって、クラスに子どもだけが残された。そんなことが何度かあった。先生に教室に戻ってきてもらうには、どうしたらいいのか…。みんなで途方に暮れた。

みんなで必死に涙を流して(ちょっとウソ泣き)
「もうしません」「ごめんなさい」
ぞろぞろと職員室へ謝りに行った。
内心「なんでこんなことしてるのかな・・・」なんて思いながら。

学級会では、先生が司会をすることもあれば、子どもが司会をすることもあった。
今なんの話をしているのか。なにを決めるのか。
よく迷子になって、時間ばかりがすぎていった。
学級会という時間が、私は苦痛だったし、苦手だった。

物理的にも、精神的にも、「置いてけぼり」を感じたこの時代。
ぁぁ…いくらなんでも置いていくのはよくない。
そして、話が迷子になるのもよくない。交通整理は大事だ…と思った。

③小学校6年生の頃-無駄な時間-
算数の問題を早く解き終わったあと

小学校6年生の頃のクラスは、今でいう「学級崩壊」状態になった。ベテランの、読書家でうんちくの多い、片付けが苦手な男性の先生だった。

絵はこんな風に書きます。必ずこの順番。例外は認めない。
作文はこう書きます。こうしたほうが、コンクールに通る。
○○は禁止です。
こんな6年生初めて見た。去年の2年生は、こんなこと簡単にできた。

ハウツーが多く、トップダウン。他と比較して批判する人だと感じた。
クラスは荒れた。図工の風景画を描く課題では、画用紙に葉っぱを1枚どーんと描いて以上終了。という子が何人もいた。異常な光景だな…と思った。
憤った私は、先生によく「物申し」ていた。

算数の時間には、練習問題を解く時間があったのだけれど、
それを早々に解き終わると手持無沙汰になった。
先生は「待っておきなさい」という指示。

なんて無駄な時間なのだろう…
早く終わったほうが、損…

そんな時。隣の席になったAくんは、われ関せず、そそくさと教科書の他の問題や先の問題をどんどん解いていっていた。驚く私に
「たぶん、今日の宿題ここになると思うから」とのこと。
(後日談。A君は超難関大学に進学した。秀才は時間の使い方が小学校の頃からうまいんだな!)

私は、手持無沙汰な時間、こそこそと、宿題になりそうなところを先取りして取り組むようになった。お陰で、小学校6年生の頃、家で宿題したことはほとんどない。A君、ありがとう。

ちなみに、今でも…


1、わかりにくいこと
(自分の知識にそぐわない専門用語の羅列で話がすすんでいく状態)

2、置いてけぼりにされること
(途中参加の人がいるときに、気にかけずどんどん話が進んでいってしまう状態。わかる人だけでの、こそこそ隠語で話すような閉じた状態)

3、効率の悪い無駄な時間

が、とても苦手だと思う。気になって仕方がなくなる。

私自身なんでも、さっと理解してのみこめるかしこさはなく、
理解できずに、悩む。納得するまでどんどん質問する。
全体像をつかんだり、理解するのにとても時間がかかる。
だからこそ、「わかりやすさ」を大切にしていきたい。
…がしかし。わかりやすい話し方って、ほんとうにもう難しいったらありゃしない。


誰一人置き去りにしない、とは…?

みなさん、どうしてらっしゃるの??

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