理系東大生が世界史を本気で勉強してみた件(#3 古代〜中世の中東の歴史が面白すぎたのでまとめてみた)

1日目、ノー勉でセンター世界史解いてみたら衝撃の29点
2日目、まだ教材が届かないのでYoutubeで勉強
3日目、古代〜中世小アジア史が面白かったのでまとめてみた(←今ここ)

まずは記憶の定着チェック

3日目。朝は、2日目の復習として、覚えたことを書き出してみた。
こんな感じ。↓↓↓

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ヨーロッパ史を書き出したところで、2日目に穴埋めシート自作したのを思い出し、中東、インド、中国はそっちでチェックした!

小アジアについて詳しく勉強してみた

小アジア史のチェックしたら結構覚えてないとこあって、なんでかなーと思ったら、王朝の名前だけ覚えようとしてて、関連する事柄を何も覚えようとしてなかったからだと分析。
ていうのと、元々勢力の盛衰について興味があったので(世界史勉強しようと思った理由の一つ)、今度は詳細を調べながら書き出していった。
こんな感じ。↓↓↓

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知識が浅い王朝や興味を持った王朝についてWikipediaで調べた。
その時に、

・「どうして発展したのか」
・「どうして衰退したのか」
・「結局どうして滅びたのか」

を意識してメモしていった。(メモなので汚い)

これを少しきれいに整理したのがこんな感じ。↓↓↓

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最後に、発展と衰退の背景について考察してみた。

発展の背景

古代〜中世の小アジア史から発展の背景を7つ抽出できた。

古代① 肥沃な土地
古代② 製鉄技術

中世① イスラム教
中世② 貨幣制度
中世③ 帝国(地方分権)
中世④ 軍人の個の力
中世⑤ 貿易

古代① 肥沃な土地

文明が発達したのは、肥沃な土地のおかげだ。
これにより穀倉地帯が形成され、国が豊かになった。

例えば、ナイル川流域のエジプト、チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミアだ。

古代② 製鉄技術

次に、アッシリアがオリエントを統一できたのは高度な製鉄技術のおかげだ。
これにより鉄製の武器や戦車を利用でき、敵を圧倒できた。

中世① イスラム教

中世の小アジアの繁栄を語るのにイスラム教は欠かせない。
イスラム教の教えをうまく活用することで、民を治めることができた。
これは小アジアの歴史におけるどの国にも言える。

中世② 貨幣制度

国の財政が安定したのは貨幣制度があったおかげだ。
貨幣制度があったおかげで、税を徴収することができ、文化の発展に当てることができた。

リディアでは金属硬貨を発明し、ムアーウィアが興したウマイヤ朝ではアラブ貨幣を発行した。
これらがアラビア経済圏の発展に貢献した。

中世③ 帝国(地方分権)

帝国とは、
・変更可能な国境
・異なる文化と領土を持った、多数の民族を支配していること
の2つを特徴とする。(『サピエンス全史』より)

特にこの2つ目の特徴を持つことは、小アジアで発展を遂げるのにとても有効だった。
なぜならこの地域は、エジプト、アラビア半島、イラク、イラン、トルコ、イスラエルなど、それぞれ独自の文化を持つ地域が密集しているからだ。

このような小アジアで、多数の地域を支配し大国を築くには、帝国という形がとても有効だった。
つまり、帝国はそれぞれの地域に独自の文化を認めたのだ。

例えば、セルジューク朝(セルジューク帝国とも呼ばれる)やオスマン帝国がいい例だ。
複雑な小アジア世界において大国を築くことができたこれらの国々は、ある程度地方に権利を認めていた。

中世④ 軍人の個の力

軍人一人の個の力が、国の繁栄に寄与することもある。

例えば、セルジューク朝のトゥグリル・ベクはその一人だ。
圧倒的な武力によって現在のイランにあったブワイフ朝を滅ぼし、現在のイラクにあったアッバース朝も庇護下に収めたことで、イランとイラクを合わせた領土を治めた。
その後も戦争をしかけ武力で制圧し領土を拡大した。

また、トゥグリル・ベクは戦争に強いだけではなく、政治もうまかった。
元々トルコ系の遊牧民であったが、イスラム教に改宗したことでうまく国を治めたし、スンナ派という立場を利用してシーア派であるブワイフ朝を討った。

サラディンもまた個の力が優れた軍人の一人だ。
その圧倒的な強さは十字軍の攻撃を撃退する程の強さだった。

また、エジプトの首都機能と商業機能をカイロに集結させ、その後のエジプトの繁栄の礎を築いた。

ティムール朝を成立させたティムールも、個の力で国を繁栄に導いた指導者の一人である。
彼の異名『鬼武者』が示す通り、戦争がとても強かったティムールは、西はオスマン帝国から東はインドと、とにかく戦争をしかけては勝利へと導いた。

オスマン帝国のメフメト2世も当てはまる。
この将軍は、誰も思いつかないような作戦で、難攻不落のコンスタンティノープルを陥落させ、1000年続いたビザンツ帝国を滅亡させた。
コンスタンティノープルは入江に面しており、ビザンツ帝国は、敵がこの入江に侵入しないように入口を太い鎖で封鎖していた。
そこで、メフメト2世はどうしたか。なんと船で山越えをし、入江に侵入したのだ。
つまり、道に丸太を並べ、油をかけてヌルヌルにし、その上に船を載せ、転がして山を登ったのだ。
誰がこんなことを考えるだろうか。

中世⑤ 貿易

貿易によって財を為し、国を繁栄させた例も多い。

エジプトは言わずもがな。
特にインドと地中海を結ぶ貿易の要衝として古くから栄えた。

アナトリア(現在のトルコのあたり)に国を築いたルーム・セルジューク朝も、貿易によって得た財で国を安定させた例の一つだ。
セルジューク朝(セルジューク帝国)の地方政権の一つであったルーム・セルジューク朝は、アナトリアを制したことで、南は地中海、北は黒海に港を構えることができた。
これによって貿易で栄え、他のセルジューク帝国の地方政権が衰退していく中で唯一繁栄した。

衰退の背景

古代〜中世小アジア史から見えてきたのは、国が衰退する理由はだいたい内戦か財政難であるということだ。

後継者争いから内戦になることもあるし、
国民に不満が募り、新しい勢力が現れて内戦になることもあるし、
外国との戦争で財政難になることもあるし、
単純に政策がよくなくて財政難になることもある。

もちろん、外国との戦争に負け、衰退以前に滅亡してしまうケースもある。

まとめ

衰退しないように気をつけるべきことは、

・内部で争わないようにすること
・財政難にならないようにすること
・競合に目を光らせておくこと

その上で、

資源、技術、思想、システム、個の力、商売

を効果的に活用できると繁栄する。
と考えられるかもしれない。


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