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ゲーム遍歴のはなし・中編

はい。
前回の続きです。

今回は、ほとんど任天堂のゲームしかやってこなかった子供が、どうしてこうなってしまったのか、というお話が中心になります。たぶん。
中編なので、まだ前編を読んでいらっしゃらない場合はお先に↓こちらをどうぞ。


突然やってきたサターン

前回、マリオRPG(1996年発売)の話をしましたが、それからおよそ1年後、1997年だったと記憶しています。
父親の海外出張などが重なり(※普通のサラリーマンでした、念の為)、いわゆるマイルが貯まったので、そろそろ何かと交換しよう、と家族で話をしていたのですが、その選択肢の中にセガサターンがあったのです。

何故他にも選択肢があったろうに、わざわざゲーム機であるセガサターンを選んだのかは覚えていません。
(キャンペーンか何かでかなりお得に交換できたのかも?)

とにかく、ほとんど任天堂のゲームしかやってこなかった家庭に、突然セガハードがやってくることになりました。

ちなみに97年のお話なので、後期モデルのいわゆる白サターンです。現物は今も私の部屋にあります。残念ながらケーブルが死んでいるので動きませんが…(DCはなんだかんだで処分してしまったのに何故かサターンは残っているんですよね)

で、当然ですが本体だけもらっても遊べないので、オマケでゲームソフトが3本付属していました。ラインナップがこちら。

・初代バーチャロン
・デイトナUSA
・メジャーリーグの野球ゲーム(タイトルまでは覚えてないです…)

セガを、いやゲームを多少ご存知の方であれば「上2つ神じゃん!!!」ってなりますよね。

ところが、ところがです。
それまでほとんど任天堂のゲームしかやってこなかった当時の私は、上2つの良さが理解できず、ひたすら野球ゲームばっかり遊んでいたのです。
(デイトナUSAはレースゲーム(=ルールがシンプル)だったので多少は遊びましたが、バーチャロンに至ってはほとんど触らなかった記憶)

ガチのセガファンからぶん殴られそうなエピソードですが、本当の話です。
ちなみにこの3本だけではなく、SFCでも遊んでいたボンバーマンとか、当時流行っていたミニ四駆のソフトとかは自分で買って遊んでいましたが、結局サターンでセガのソフトを自分で買うことはありませんでした。

ただこれには別の理由もあって、当時ちょうどポケモンブームが大爆発していたので、GBでポケモンをやっていた、という理由もあります。
(ちなみにGBは弟と2人で遊ぶためにと、それこそポケモンより遥か以前、初期の段階で2台持ち&通信ケーブルまで買ってもらっていたので、兄弟でポケモン交換ができたという当時としてはバケモノじみたアドバンテージがあったのですが…某後藤さん並にぼっちでコミュ障な私がそれを活かせたかというと以下略)

DCとSA1が全てを変えた

さて、サターン時代にはセガの良さをまるで理解できていなかった私ですが、この約2年後、後継機のDCが発売されることになった際、深く考えることもなくサターンからの流れでDCを買うことになります。
さすがにこの頃になるとただ親に買い与えられることはなくなり、少しずつですが自分の意志でソフト選びをするようになってきました。

で、問題はゲームソフトです。
DCの発売自体は98年の11月でしたが、我が家がDCを買ったのが99年の年明けだったと記憶しています。
で、その時DCで一番売れていたソフトが…そう、ソニックアドベンチャー、いわゆるSA1だったのです。
ですので、あまり深く考えることもなくDC本体と同時にSA1を購入。…これが私の運命を大きく狂わせる(?)ことになります。

さて、我が家はWin95でPCが一般家庭に普及しだす以前から父親がPCを触っていたこともあり、かなり早い段階でインターネットへの接続環境が整っていました。
その流れでDCからのネットへの接続も比較的スムーズに行われ、やがてSA1の公式BBS(掲示板)にハマっていくことになりました。
(その過程で当然電話代がとんでもないことになり、両親との間でスーパー電話線大戦が開幕するのですがそれはまた別の話…)

『PSOって、なんだ?』

さて、話は2000年末、初代PSOの発売前後に移ります。
初代PSOは元々当時のソニックチーム、つまりソニックシリーズを制作していたスタッフの一部が「PSO担当」となり、当時開発中だったSA2制作チームと分かれる形で制作を手掛けたという経緯があります(但しスタッフの移動が全くなかった訳ではないです)。例えば酒井さんもSA1ではデザイナーの一人としてスタッフロールにしっかり載っています。
ですので当初は、ソニックチームが手掛ける新たなファンタシースター、みたいな宣伝のされ方をしていました。
当然、SA1の公式BBSの住民は興味を持ちますし、実際の初代PSOのゲームとしての出来の良さ、そしてほとんどの人にとって初めてのオンラインRPGだったが故のファーストインパクトによって、SA1の公式BBSの住人も大半が初代PSOにハマっていくことになります。

しかし私は、当時イマイチピンと来なかったこと、そして上記スーパー電話線大戦中だったこともあり、『気が付いたら周りがみんなPSOとかいうゲームにハマってる!!』という状況になっていました。
これはまずい。ということで、半年ぐらい遅れてようやく初代PSO(もうVer.2になっていましたが)を購入。
しかし、かなり遅れてのスタートだったこと、スーパー電話線大戦、そしてリアルで受験が重なったこともあり、思うようにはできませんでした。

そうこうしているうちにセガはハード事業から撤退。
ソニックシリーズ、及びPSOシリーズはいずれも主戦場を任天堂ハードであるGCに移したため、自然とみんなGCを買う流れになり、私もGCを購入します。
(という流れだったので、実は私64は持ってなかったんですよね。後にバーチャルコンソール等で何作かプレイしましたが…)

憧れと目標

さて、こうして私のメインゲーム機はGCになります。
任天堂ハードでしたが、任天堂のゲームで買ったのは結局スマブラDXだけだった気がします。あとはソニックとPSOばかり…

ただ、この時代になるとネットが定額制が基本になったのでスーパー電話線大戦は収まった…と思いきや、結局やり過ぎる、ということでスーパーモデム大戦になってしまったため、やはり思うようにプレイはできませんでした。
今になって冷静に考えたらただの学生がガチ廃人と渡り合おうなんて無茶もいいところだったのですが、自由にゲームを買って自由に遊べる大人にすごい憧れを抱いていました。

そこで、私はある目標を立てました。
都会の大学に進学して一人暮らしを始めて、思いっきりゲーム(だいたいPSO)をする!!

…動機が極めて不純ではありますが、コミュ障極まった私が働くなんて当時はとても考えられませんでしたし、勉強はある程度(あくまでもある程度)できたのでそれはもう大学進学するしかないよね、と。

という訳で、紆余曲折の末、京都の某私立大学に合格。
(実はこの紆余曲折でちょっと余計に年月を消費してるのですが、それは置いておきます)
念願の一人暮らしを始めるのですが…現実には色々な問題が立ちふさがることになります。


…という訳で、中編はここまで。
最初は2部構成にする予定だったんですがどう考えても収まらないじゃん!という訳で後編に続きます!
下書き自体は済んでいるのでお楽しみに!!

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