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第4話 リンパマッサージのサロンのオープン

離婚後に選んだ仕事は、日本生命。
子供が病気になったりしたら会社は休めないし、時間の融通がきくからと誘われてまたお世話になることに。

あんなに楽しかった営業も、2回目は全く違いました。 

保険の外交員は、交通費や、手土産の飴ちゃん1個すら、全て実費です。

給料の割に経費がかかり過ぎる保険の営業の収入だけでは、子供を抱えた生活は何かと出費が重なり難しくてやりくりできませんでした。

独身のころは家(実家)もあって守るものも無かった気楽な時代とは全く違ったのです。
もちろん、飲みに行くなど行けるわけもありません。

子どもを従業員控え室で寝させられる旅館の仲居仕事を見つけ、昼は外交員、夜は仲居のダブルワークを始めました。

仲居の仕事ではハゲヅラをかぶり、宴会隊長をかって出る私。
お客さんを笑わせるのが、めっちゃ好きなのもあってダブルワークのキツさも感じずにがんばれました。

そんな生活をしていた私は、実家にもあまり寄りつかなかったためか、実家の事業に忍び寄る経営難に気づきもしませんでした。
時代の変わり目の影響を大きく受けていたのです。

近くに大きなショッピングセンターが出来、客足はみんなそっちに。

うちだけでなく、あんなに賑わっていた商店街にも閑古鳥が鳴き、周りは倒産。飛ぶ鳥の勢いだった子供服の販売事業も、今にも倒産しそうだったのです。

私を育ててくれ、好き勝手生きさせてくれた両親を支えるために、自ら保証人となり、多額の借金をして背負って頑張ることにしました。

そんな抗いも、時流には勝てず
数年延命出来ただけであっけなく倒産してしまったのです。

残ったのは
両親とともに

『自己破産』

1回目の人生のどん底…。
その後は、息子を育てるため、昼はトラックの運転手、夜は仲居の仕事でお酒を浴びるほど飲み、休む暇などなく働きました。
生きていくのに必死だった私は、あれほど嫌だった寂しい思いを可愛い息子にもさせてしまっていたのです。

そんな時に、ネットワークビジネスの話が舞い込んできたのです。

それなりに友達がいた私は、みんなの協力のおかげで、あっという間に最高タイトルを獲得!

(話すことが好きな私の天職や!!)
順調にネットワークビジネスで収入を頂けるようになりました。
私はネットワークビジネスに偏見もなかったので、生きていく手段として受け入れ、向いていると思っていたのですが、
ある時アップからの
『つくみちゃん今月ポイント足りないよ?』
心ない言葉に、私のギリギリまで来ていた精神力は、限界を超えてしまいました。

実は、
最高タイトルが獲れたからと言っても大した収入もない上に、経費を差し引くと割に合わないネットワークビジネスは、決していいものではなかったのです。
(ただ、忙しいだけで…)

実際に、ネットワークビジネスで最高タイトルを取り、大きなグループを持ちリーダーと呼ばれている人。そして、そのリーダーを目指してビジネスを始める人もたくさんいます。
でも、その裏側を覗くと、ほとんど儲かっていない人達ばかり…

『収入より支出が大きく、時間を費やす無駄な活動が多い』

ことも、ネットワークビジネスの特徴です。(これは、保険の営業に似てますね。)
ネットワークビジネスを活動中、罵倒されたこともあり、私は全てから逃げ出そうと思いました。
本当に人生のどん底でした。
保険の仕事でも、ネットワークビジネスでも、気をつけなくてはいけないことは、

入ってくる収入(売上)-経費・支出=残り(収入)

この残りが黒字で、収入(お給料)になります。
タイトルや、グループ人数に関係なく、収入を増やしていかないと、生活はできません。

『ネットワークビジネスは、手段です』
幸せに生きて行くための手段でしかない。
目的では決してないのです。


多くの人が、自らの幸せになる手段として始めますが、いつしか目的に変わってしまっています。いち早くその事に気付けた私は、全てから逃げました。

副業という手段を失った私に
時を同じくして喫茶店をやらないかという話が舞い込んできました。客商売の得意な私は、『これはいける!』と思い、直ぐに話に乗ったのです。

コーヒーも飲めない私がやる喫茶店。コーヒーの味もわからない私は、トークで勝負したのです。
今で言う、『昼キャバ』(笑)おじちゃんたちの癒しの場となり、毎日笑顔トークでお客さんの心を掴み、大繁盛。
(私の戦略は、大成功したのです。)
この経験で、私は経営の面白さを知ることができました。
でも、この幸せも長くはつづきませんでした。

店を軌道にのせ繁盛一途だったのですが、私に喫茶店の話を持ちかけ、家賃収入がほしかったオーナーが、自分の愛人にやらせたくなったのです。
私は、難癖をつけられ、喫茶店を追い出されました。(後日談ですが、愛人に任せた店は2年も持ちませんでした(笑))
数年後、その愛人が喫茶店を閉じた理由を私のせいであるって吹聴しているのが耳に入っていたので、街でその愛人と出会った時、「そんなわけあるか!」って泣かしたりました。
(ここでも強い私は健在でした。)

何度もどん底を味わった私は、人に振り回されるのが嫌になり、

『雇われの仕事は辞めよう!』

と決心しました。

結局、
自分のことは自分でコントロールしたい私。
密かにリンパマッサージの技術を習得するために時間を割いて学校に通い、無事に資格を取得。息子に「おかえりー」と言ってあげられる環境作りのために、自宅でリンパマッサージのお店を開業することにしました。
この時、息子は小学5年生。


リンパマッサージのサロンは、大繁盛しました。自分で言うのもなんですが、私には親から受け継いだ経営センスがあったんです。
『おとん、見る目あるなあ。間違ってないやん。』
と今では感じています。


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