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第2話 生い立ち

私の両親は、奈良のとある商店街で、セレブ御用達の赤ちゃん服のメーカーであるファミリア1号店を経営していました。当時、商店街は、活気にあふれていて、お店は大繁盛。

そんな経営者の家庭に生まれました。
私は、兄とは9つ違いで、待望の女の子。
(男の子みたいな女の子でしたが(笑))
周りの人たちからも
『お嬢、お嬢』と
可愛がってもらい、何不自由ない幼少期でした。

ただ、
両親は、お店を休むことなく働いていたので、いつも忙しく、家族旅行でどこかに行った思い出はありません。

はたから見ると羨ましがられる環境だったのですが、心の中では

(遊んでほしい…)
(さみしい…)

と、私は毎日店の片隅で、一人ポツン…と、両親の仕事が終わるのを待っていました。

必死で働いている両親の背中を見ていた私は、幼心にも素直な気持ちを両親に告げることができなかったのです。
そんな言いたいことも言えなかった幼少期を過ごしていたので、今の人に甘えることの出来ない性格が形成されたのでしょうね。

『さみしい…』という感情が心に刻みこまれると、なぜか、さみしい人達を引き寄せてしまうものです。

『あなたも同じ境遇、似たような考えの方と一緒にいるなと感じたことありませんか?』

気づくと、私の周りには、ヤンキーばかりが集まってきた学生時代。そんな友達に囲まれているからか、私もよくヤンキーだと勘違いされてました。

『私は違う!」
と思っていても、誰にも信じてもらえず…。

“いつも気が強いと思われている私”
“本当は小心者で、ガラスのハートの持ち主”

いつしか私は、ヤンキーのレッテルを貼られ、地元の普通校の進学希望を出していたにも関わらず、担任の先生に内申書を書いてもらえず、しかたなく、京都の私立高校へ進学することに。

進学先は、
まるでホテルのような外観のお嬢様学校。

入学した私は、やっと普通の友達に囲まれ、穏やかな生活を取り戻す事ができたのです。

心の中でホッとした気持ちがある反面、楽しい3年間の学園生活だったのですが、子供の頃からのトラウマである“さみしさ”は、高校生になっても拭いさることはできませんでした。
(お嬢様学校特有のうわべの友達付き合いだったからかもしれません…)
高校3年時の進路相談。
両親と私の考えは異なり、対立することになりました。
「お前は商売人の気質がある。家業を継げ。」
父は、私に家業を継いでほしかったようで、物心ついた頃から言われ続けて育ちました。
(兄貴が普通継ぎませんか・・・?)

親の敷いたレールを歩ませられるのが大嫌いな私は、理由もなく反発し、

「進学も就職もしない!2年間だけ、好きなことをさせて欲しい」

と両親に頼みこみ、フリーターの道を選びました。

『自由』に憧れていた私が選んだ道は

『水商売』

水商売とは…
人気稼業のことで客のひいきによって売上に大きな差のでる商売。
芸能人、プロ選手、歌手、飲食店、モデル、ホステス、アーティストなど

この中でも秀でた才能があるわけでもなかったけど人とのおしゃべりが大好きな私は【ホステス】として働くことに。

自分がしゃべってばかりではダメだし、お客様に合わせた知識も必要な世界。

けっこう努力もしたんですよ。(笑)
経営者の親見て育ったからか全然、努力は苦じゃなかったし、むしろ天職で、めちゃくちゃ楽しかった。

自分ではプライド持ちながらも昼夜逆転の生活をしていましたが、時代のせいなのか理解を示さない母親は泣きじゃくり、大騒ぎ。
親の気なんてなんのその、
『自分の人生だからほっといて』と言わんばかりに無視して働き続けました。

約束の2年が経ったある日
両親に土下座され、
「頼むから夜の世界で働くのではなく、昼の仕事についてくれ!」
と言われ、私も
『親は約束どおり2年間好きにさせてくれたし、水商売の世界を充分に楽しんだから、そろそろ昼間の仕事にシフトするか』
と決心をしました。

私が選んだ仕事は、
日本で保険業界最大手の『日本生命』

その会社に就職することになったのは、ド派手な化粧で、夕方になると出て行く私の姿に心を痛めていた両親が、馴染みの保険会社のおばちゃんに「うちの娘をまともな仕事につかせてもらえないか?」とこっそり頼んでいたからです。

いろんな人に会える楽しい仕事だと言葉巧みに勧誘され、人とのおしゃべりが好きな私は、『これもありかな?』
と夜の仕事からは足を洗い、日本生命の営業職として、新しい人生のスタートを切ることに。

『客商売が得意な私には、向いている仕事かも!?』

と思い、営業職へ飛び込んだのです。

私に任された仕事は、ある町の飛び込み営業。気合いと根性だけはあったので、ひたすらピンポンを鳴らし続けました。
時には、ものすごい怖いおっちゃんにでくわすこともありましたが、動じることもなく、ひたすらしゃべり続けた私。
相手が怖ければ怖いほど、なんか燃えてくるんです。
『笑顔にしてやろう』
と。

普通の人ならキツささえ感じる飛び込み営業も、初めての仕事なので楽しかった♪
自分で言うのもなんだけど、人当たりのいい私はいろんな人に可愛がっていただけました。(成績は中の上ぐらいでしたけど…)
時代も良かったせいか、それなりに楽しく外交員生活を楽しみました。


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