化学兵器実験を追う(仮)


自己紹介

どうもほっしーです。高校生をしています。
近現代史に興味があり、週末には戦争遺跡を巡ってみたりしています。
少し探してみると日常の中に
ひっそりと存在している戦跡に魅せられ、戦争末期の構築物を探しながら日々生活しています。

海軍標石を見つけご満悦な筆者


ところで皆さん。毒ガスってご存知ですか?

いわゆる非人道兵器の一つで、軍人・民間人の区別なく攻撃する兵器です。
めっちゃ非日常な感じがしませんか?
「こんな物が身近にあるかもしれない」とってもワクワクしませんか?
このnoteは猿島で行われたかもしれない毒ガス実験について調べた話です。

結論

いきなり結論から入っていってしまうのですが、
猿島で毒ガス実験が行われていたという事は、
 積極的には言えない。
  

が結論です。

それはなぜか、公文書・証言・立地の3つの面から考えていきましょう。
注意:これはあくまで個人の考察であり、必ずしも事実では無いことを
   ご留意ください

公文書

まずは公文書の面から見ていきましょう。
猿島での毒ガス実験に触れられた公文書は

極秘 官房機密第八九六号 昭和二年八月一日 海軍大臣 横須賀鎮守府司令長官殿 海軍艦政本部長殿 化学兵器実験ノ件 横須賀海軍工廠長ヲシテ海軍技術研究所長ト協力シ首題ノ件左記ニ拠リ施行セシムベシ 右訓令ス 記 一、実験ノ目的 各種軍用毒物中弾丸ニ炸薬ト共填シ炸裂セシメタル場合戦剤トシテノ効果最モ大ナルモノヲ選定セントスルニ在リ 一、実験ノ要領 五十口径十四糎砲弾丸並四十五口径十二糎砲弾丸、弾腔内ニ各種軍用毒物及炸薬ヲ装填シ猿島海軍用地内旧弾薬庫@窖内ニ於テ静止破裂ヲ行ヒ瓦斯捕集分析並動物試験等ヲ行ヒ其ノ効力ヲ比較スルモノトス 尚実施ノ詳細ニ関シテハ海軍艦政本部長ヲシテ直接横須賀海軍工廠長ニ通牒セシム 一、実験委員等

「化学兵器実験見学の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04015986700、公文備考 雑件2 巻134(防衛省防衛研究所)


昭和六年三月四日起案 昭和六年三月十一日 次官 陸軍次官宛 官房第七七一号ノ三 見学ニ関スル件回答 二月二十七日普第七五八号御照会首題ノ件異存無之ユ夫 追テ試験期日ハ三月十七日ヨリ三月二十四日迄ニ有之君上了知相成度 (本件通牒先 横鎮参謀長 照会君写号)(終) 両名共化学兵器運用班ノ者ナリ 軍需部見学ノ目的ハ瓦斯弾投射機用火薬化学機械、航空飛行第二数 火薬缶ハ第三数ナリ 陸普第七五八号 見学方ニ関スル件照会 昭和六年二月二十七日 陸軍次官 杉山@ 海軍次官 小林躋造殿 左記ノ者ヲシテ来ル三月中旬横須賀猿島

「官房第771号 6.3.11 見学方に関する件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05021568100、公文備考 E巻2の2 教育.演習.検閲 海軍大臣官房記録 昭和6(防衛省防衛研究所)

上記の2つのみです。
1つ目のものは毒ガスを大砲の弾内に毒ガスを詰めて爆発させた時に一番戦いで役立つものはどの砲弾か選別しようということでした。
この実験を猿島の旧弾薬庫内で行いたいという要望書(?)です。

2つ目は化学兵器の実験を見学するにあたり先立って、投射機械等を陸軍科学研究所の人が軍需部(兵器や燃料など戦争に使う物資を集積する場所)を
見学したいとのことでした。

いずれも要望書という形であり報告書では無いので、
実際に行われていた証明にはなりません。

行われていた場合の報告書はどこにいってしまったのでしょうか?

証言

次は証言の面から見ていきます。
海軍の毒ガスは海軍科学研究所平塚出張所科学研究部第二科にて研究
相模海軍工廠(現神奈川県寒川町)にて生産されていました。

毒ガスが埋まっている事を示す標識 寒川町圏央道高架下にて筆者撮影


平塚中央図書館 筆者撮影

なので、平塚の図書館まで出向いて、毒ガス研究について
触れられた資料を探してみました!!
見つかった資料は
相模海軍工廠本巻
相模海軍工廠追憶
第一海軍火薬廠追想録ふなおか

の3つです。当時それらに勤めていた方のお話をまとめた本になっていました。
それを読んでみましたが、化学兵器に関する記述はいくつかあったものの、
猿島に関するものは皆無でした。

Link!

ここで先程の公文書と証言の両面から猿島の化学兵器実験について、
触れてみましょう。公文書の方には実験内容が記載されているものは

  • フォスゲン(窒息)

  • ジフォスゲン(窒息)

  • クロルピクリン(催涙)

  • ジメチルサルフェート(糜爛)

  • シアン化水素(神経毒)

  • エステル(用途不明)

こちらとなっております!(カッコ内は筆者が用途を推測)
では証言の方にはどう記載されているのでしょうか?
クロロアセトフェノン(催涙)
ジフェニル青化砒素(くしゃみ)
イペリット(糜爛)
ルイサイト(糜爛)
シアン化水素(神経毒)
と書いてある。内容に大きな差異があることが分かる。
しかしながら証言は制式採用されたものを記入しているので、
公文書が書かれた時期よりも少し後の時代になる。
そこで変わった可能性も否めない。

立地

猿島の立地から化学兵器研究について考えてみましょう。
この記事を読んでいる時点で猿島の位置はご存知かと思いますが、
今一度確認していきましょう。

YAHOO!地図より

こちらは化学兵器研究の中心となった
海軍科学研究所平塚出張所から猿島までの直線距離です。
およそ30kmあります。


Yhoo地図より

こちらは海軍科学研究所平塚出張所から
証言にて複数回実験をしたと記述のあった横須賀海軍砲術学校辻堂演習場
までの直線距離です。
およそ9kmです。(地図の縮尺が変わってしまっていて申し訳ないです。)


1/3になっておりますね‼道のり的には平地ですし、
猿島に比べ利便性が向上していると思います。
あくまで個人の考えですが、
化学兵器という性質上取り扱いには細心の注意が必要なはずです。
それらの移送は短距離・安定があった方が良いはずですよね。
それをわざわざ30km、しかも海を跨がないと行けない猿島と、
平地を10kmだと後者の方が圧倒的に楽そうですよね。

しかし利点が無いわけではありません。
猿島はその特性上部外者が立ち入る事は困難で
高い秘匿性があると考えられます。
そして元要塞なのでその弾薬庫を使えば、
無風且つ近距離で実験の観測が可能なんです‼
そうすることで、ガスの飛散に関するより細かく調べる事ができます

もう一回まとめ

報告書が無い。証言と食い違う。研究所との距離がある。
この3つの理由から化学兵器の実験が行われていたとは積極的には言えない
との結論に至りました。
個人的には行われていそうな気がするのですが、
証拠となる史料が全く出てこないのですよね。
もしかしたら史料を残せないような実験をしていたり?(笑)

このワクワク感。ぜひ現地で体験したい…


「なんだ史料も少ないし、微妙な記事だったな」
とお思いになられたのではないでしょうか?
僕もせっかくなら「実験していました!コレです‼」
と、やりたかったです…
しかしながら史料も先行研究もなかったので地味な結果となりました。

しかし! これはまだ大発見の余地を秘めているという事です!
調べつくされている事を調べるよりも、断然ワクワクしますよね!
あなたもぜひ猿島へ上陸してみて、
化学兵器実験の痕跡を探す手助けをしてください!
何か新しい発見があるかもしれません!

編集後記

沢山の史料を当たる中、戦後の処理に関しての資料を多く見かけました。
環境省の資料では、焼却破壊・海中投棄が一番安全とされており、
複数の化学兵器が海中投棄または埋没処分となっております。
相模海軍工廠追憶には横須賀港沖に海中投棄したとの記述もあり、
案外身近な場所にあるんだなぁという感想です。

参考文献

日本海軍の爆弾 兵頭二十八 三光社出版印刷株式会社
化学・生物兵器の歴史 エドワード・M・スピアーズ
           [訳]上原ゆうこ 東洋書林
毒 アンソニー・トゥー 角川新書
相模海軍工廠 追想 東京「相模海軍工廠」刊行会
相模海軍工廠 【本編 】 東京「相模海軍工廠」刊行会 
第一海軍火薬廠 追想録 ふなおか 「ふなおか」刊行会
https://wwwa.cao.go.jp/acw/index.html 
遺棄化学兵器処理担当室
https://www.env.go.jp/chemi/report/h17-07/02_5.pdf 
茨城県神栖町における汚染メカニズム解明のための調査 中間報告書https://www.env.go.jp/chemi/report/h15-02/005.pdf
4.2.2 旧軍毒ガス弾等の廃棄・遺棄状況https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1925/37/9/37_9_507/_pdf

関東地方における旧軍用地の工場地への転用についてhttps://www.env.go.jp/content/900409289.pdf
旧内閣中央航空研究所に係る地歴情報について(案)



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