フニーと出会って私が得たこと

得たこと

・文字レベルでの中文会話
・日本から台湾にモノを送る方法を習得
・台湾や高雄に詳しくなった
・改めて日本を知れた
・バーチャル世界に入る方法がわかった
・VRやXRの基礎技術がわかった
・科学技術が発展しても使う人の人柄が重要であることを実感

0.台湾華語の勉強をはじめた

2019年、私は台湾華語(台湾の中国語)の勉強をすることにしました。
2019年1月1日は台中にいました。
4月から時間があるときに台中に来て勉強することにしました。
(私は会社員なので、留学とかは無理。
 なお、今は台中では勉強していません。)
日本で中国語を勉強しようとすると、
中国式で学ぶことになってしまいます。
つまり、簡体字・ピンインです。
台湾が好きなのに、
中国のやり方で勉強するのは納得できないし、
日本では繁体字・ボポモフォ(ㄅㄆㄇㄈ)で勉強をする場が
ほとんど無いからです。
4月になるまで待っているだけではもったいないので、
4月になる前に
どうにかボポモフォは理解できるようにしておこうと思いました。
1〜3月はボポモフォの暗記を頑張りました。
が、ボポモフォを暗記したところで
会話ができなければ意味がありません。

1.フニーの動画を発見

より実践的な教材がネット上にないか探したところ、
フニーフレンズにたどり着きました。
「フニーが喋っている会話が理解できるようになりたい」
というのが私の目標となりました。
この「超実用観光用語」を繰り返し観るようになりました。

日本語の字幕がついている動画も繰り返し観るようにしました。
ときどき調べてもよくわからない言葉がありました。
それは台湾語だったということもわかるようになりました。

4月末、フニーは日本の超台灣というイベントに来ていたようですが、
私は台湾に来ていました。

2.太 太妃糖紅茶

私がはじめてTwitterで
フニーにメッセージをを書いたのはこのやりとり。
知っている単語(太、太太、紅茶など)が出てきていて
タピオカミルクティーの注文の仕方をちょっと変えれば
買えるような気がして、
この飲み物に興味を持ちました。

と、フニーに聞いて、実際にお店で試してみました。

こんな感じで、動画を観るだけの学習から、
文字での会話ではあるけれど、
フニーから活きた台湾華語を学ぶような流れになっていきました。
(でも、フニーはこの頃にはビックマックプラネットへと
 旅立つことを決心していたんですね。。。
 だからこそ、この半年の勢いは凄かったのかも。。。)

私自身、日本語でコメントを書いてばかりだったけれど、
台湾華語と日本語の両方で書くようにしていきました。
そうしておけば、間違った表現だったとしても、
もう1つの言語でも書いておけば通じやすくなると思ったので。

3.フニーに誕生日プレゼントを送る

そして、オリスのこのtweetがきっかけで、
フニーの誕生日プレゼントを日本から送る流れとなりました。
オリス的には
水着情報はFacebookに違う情報が載っているよ
ということが言いたかったのでしょうけど、

私はこのFacebookの投稿を知りました。
(実際に目にしたのは7月末の投稿です)

文字による会話練習に付き合ってもらっているし、
日本からプレゼントを送るということも
勉強のひとつだと思いました。

いったい何を送れば喜んでもらえるのか、
過去の動画なども観て、
「これだ!」というモノを探し始めました。

この動画での小空の「東京と大阪どっち行きたい?」という2択の質問に、
「フニーは北海道に行きたい!」と答えていました。

スクリーンショット 2020-01-03 1.21.09

2択の質問だというのに、
あえて北海道と答えているので、
北海道の何かを送ることにしました。

そして、日本から台湾に
北海道の食べ物を送ることにしました。
・検疫にひっかからない
・賞味期限も考慮
・運送中の熱も考慮
・番組収録日までに届くこと
こんなことを意識し、
ハズレにはならないであろう、
「白い恋人」を送ることにしました。

放送時、
ちゃんと届いているのか、
紹介されるのか、
ドキドキしていました。

画像2

ちゃんと届いてよかった!

手紙を入れていなかったし、
チャットルームで返事をしたつもりが、
時間差で気付かれなかったようなので、
YouTubeのコメントでこう伝えました。

画像3

この時点で私は、
・文字レベルでは台湾華語のやりとりはカタコトだがなんとかできる
・日本から台湾へモノを送る
といったスキルが獲得できたということになり、
フニーにも私のことをちゃんと覚えてもらえたのではないかと思いました。

4.プレゼントのお礼、映画鑑賞

9月、フニーから誕生日プレゼントのお礼が届きました。

この夏、
台湾でも日本でも映画『天気の子』が上映されていたので、
私も観に行きました。

映画『HELLO WORLD』も観ました。

台湾・高雄に行ったとき、人気の『返校』を観ました。

事前にこれを観ていたから、内容はなんとなくわかりました。

台湾と日本、今は言葉が違うけれど、
アニメや映画はほとんど同じタイミングで観れるし、
言葉が通じなくても気持ちは通じる。
でも、言葉が通じたほうがもっといい。

と、いっそう思うようになりました。
そして、
中文字幕付きの日本のアニメは勉強になるし、
日本を再発見することができることがわかりました。

5.VRMの可能性

フニーたちの3DデータがVRM形式で公開されました。

これ以前は、
THE SEED ONLINEでの3Dデータが公開されていましたが、
対応するサービス/アプリが少なく、
一般人にとってはまだまだ敷居が高かったです。
が、
VRMファイルとして公開されることで、
2次創作の可能性が一気に拡大されました。
私が最初に投稿したのはこれ。

私なりに試行錯誤していきました。

VRMの凄さは画面の中だけでなく、
3Dプリントにも対応できるという点です。

6.noteに記録を残していく

フニーフレンズの動画がきっかけで、
私は、たどたどしいけれど、文字で会話ができるようになり、
VRMなどのXRの基礎技術を知るきっかけにもなりました。
日本語でフニーのことが書かれている文はそもそも少なく、
あったとしても内容が古すぎて更新が止まっている状態でした。
XR技術についてもまだまだ初心者が介入するには敷居が高いので、
私が知ったことを誰でも読めるように
note(つまり、ここ)にまとめていくことにしました。

石神白夜が百物語を記したことで、
それが後で役に立ちましたから、
記録に残しておくことは大事だと思いました。

7.2020年1月1日

私は高雄の龍虎塔にいたときに、このtweetを見ました。

そもそも、私が高雄にいたのは、
2019年6月にフニーが高雄の観光大使をしていたので、
そのときの情報を元に高雄に観光に来ていました。
私は半年前に2020年1月1日は高雄にいることを決めていました。

過去に何度か高雄に行ったことはありましたが、
6月に高雄の情報が配信されたことにより、
行ってみたい場所が増えました。
1回では全部まわることは無理なので、
高雄へは複数回に分けて渡航することにし、
自分なりにこういう資料を作りました。

9月末、11月末、年末年始と、
3回に分けて高雄に行くことにし、
紹介されていた場所・お店等に行くことができました。

そして私はこの放送を高雄のOK便利商店で観ることになりました。

放送中に画面上では姿が見えないオリスが現れたことも
フニーの人柄あってのことと思いました。

8.そして

私はフニーを知って9か月くらいです。
フニーは2年半ほど台湾でVTuber活動をし、
視聴者だけでなく、
台湾での後輩の育成にも思慮していたことは、
tweetからも見受けられました。

VTuber活動でのバランス感覚はかなり難しいことだと思います。
観るのは簡単ですが、
作る側はかなりの時間や体力を消耗することと思います。
tweetへのいいねが深夜にされるなんてこともよくありました。
個人VTuberではない場合、発言しにくいこともいろいろあるわけで、
でも逆にそれが謎解きゲームのように思え、私は楽しんでいました。
「この写真はどこのお店だろう?」と探してみたり。

バーチャルな技術(VR・XR)はすごい勢いで発展しています。
しかし、人間がその使い方を間違えてしまうと、
終わってしまいます。
お金にならないと運営していくことはできないし、
かといって、お金を目的にしてしまうと、
バランスが崩れてしまう。
このあたりは、フニー自身もYahoo! TVも絶妙だと思います。
日本の事例をよく理解されていて、
同じ轍を踏まないように判断されていると思いました。

2019年の春、台湾の雑誌にプロデューサーは
こんなことを書いていました。

VTuber的核心要素#1: 有愛的聲優
VTuber的核心要素#2: 多元的頻道策略思考
VTuber的核心要素#3: 持續保持創作能量

フニーはこの3つを満たしていたことがよくわかりました。

フニーから最後の波紋を受け取ったあなたは、
今後はどう動きますか?

私は今後も活かしていくし、
チャンスは待つのではなく作ることだと思っています。


チャンネル登録はこちらです。

もくじはこちら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?