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勝手に春馬くんを想う曲~いつになったら悲しくなくなる・・『真夏の通り雨』宇多田ヒカル

今日は、朝から雨・・・

こんな日は、この曲を思い出してしまう。
今は真夏じゃないけれど、あの真夏の日と重なって。

2013年8月のお母様藤圭子さんの不慮の死を経て、2016年に宇多田ヒカルさんがリリースしたこの曲。
人間活動に専念する(2010年宣言)として音楽活動休止していた宇多田さんがその後一番最初に書いた曲がこの曲ということで

やっぱり1曲目は、まず母のことを思いっきり、その時の一番強かった気持ちを出さないと、その次に進めない、みたいな感じだった

「宇多田ヒカル 8年間のすべてを語る」『ROCKIN'ON JAPAN』第31巻第10号より

と語っていたことから、ああ、やはり亡くなったお母様を想って書いた曲だったのだな、と思った。

宇多田さんの場合は、お母様という、生まれた時からそれはもうかけがえのない存在を失ったので、私が春馬くんに寄せる想いとは比べ物にならないほどの辛さだったのだと思うが、その歌詞に、メロディーに、どうしても春馬くんを重ねて聴いてしまい、いつもはっと胸をつかれ立ち止まってしまう。

この曲は、日本テレビ系報道番組「NEWS ZERO」のエンディングテーマ曲だったのだが、初めてTVでお披露目されたのが偶然にも2016年4月5日0時、春馬くんのお誕生日だったということ。なんだか少し鳥肌が立つ。

揺れる若葉に手を伸ばし
あなたに想い馳せる時
いつになったら悲しくなくなる
教えて欲しい

「真夏の通り雨」宇多田ヒカル

今日みたいな雨の日は若葉の色が濃厚で、そこにみなぎる生命の希望を感じた反動で、喪失の悲しさがどっと蘇ったりする。

宇多田ヒカルさんは、その後も素晴らしい楽曲を世に送り出しているが、なんだかお母様の死の前後では曲に込められた想いが変わってきている気がする。
その後の曲は、日本語の歌詞が多く、曲の感じも幻想的な感じで・・・

宇多田ヒカルさんが、どうやって最愛のお母様の喪失を解釈して、どう向き合って、どう折り合いをつけて、あんな素晴らしい音楽を生み出しているのか。
そのあたり、なんだかとても知りたくて、最近ずっと宇多田ヒカルさんの曲を聴いている。

私も、月日が経てば春馬くんへの気持ちは薄れてきて、もう考えなくなるのかな、と思っていたけど、
その想いは薄まるどころか濃く深くなり・・・

忘れちゃったら私じゃなくなる

「真夏の通り雨」宇多田ヒカル

私も、もうそんな感じ。

今あなたに聞きたいことがいっぱい
溢れて 溢れて

「真夏の通り雨」宇多田ヒカル

今日みたいな日は、なんとか心の奥に押し隠していた春馬くんに聞きたいことがいっぱい溢れ出てきてしまう。

ネガティブな記事、ごめんなさい。
それも、ずっと降りやまない雨のせい。許して。


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