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これ一体何なの?〜文藝春秋11月号「財務次官、モノ申す」

現在発売中の文藝春秋11月号に、財務事務次官の矢野康治が「財務次官、モノ申す」というタイトルで寄稿している。トップ記事の扱いである。

この記事を読んで、「これ一体何なの?」と思った。ダウンタウンの浜田的に表現すると、「これ、なんなん?」である。

内容は、日本の長期債務はGDPの2.2倍と先進国でずば抜けて高い。そのような状況で、最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていると危機感を感じる。国民も決してバラマキを望んでいない。消費税引き下げ論も問題だらけ。財政再建に取り組まなければ、日本はとんでもないことになる。国家公務員は「心あるモノ言う犬」であるべきで、率直な意見を述べたという記事である。

日本の財政赤字の許容度については、様々な意見があり、それについて意見を述べるつもりはない。ただ、感覚的には相当ストレッチしており、税負担が軽くなることはないだろうし、政策の自由度が限定さているとは思う。

それよりも、何を言いたいかと言うと、財務事務次官といえば官僚中の官僚。政治に対しても相応の影響力があるポジションだと思っていた。それが、一雑誌にこのような寄稿をする日本という国はどうなっているの?ということである。

こんなことすら行政の中で議論されずに、国が運営されているの? 財務次官として、正面切って政治家にアピールすることができないの? まぁ薄々感じてはいた。政治家から出てくる政策はお金を使うことばかりで、財源の話は出てこない。流石に、バカばかりではないので、そうした議論が出てきたと思うと、腰くだけになる。

財政再建一辺倒で危機を乗り切ることはできない。一方で、使えるお金は有限である。立法府と財務省がしっかり議論して合意する。そんな、お小遣い交渉している子供でも分かることができていない、それを露呈した記事である。

一方的に財務次官を批判するつもりはない。こんな寄稿をするというのは余程のことなのだろう。政治主導と称する、強権的運営が官僚機能の低下をもたらした。その延長線上にあり、総選挙に向けての牽制球にも見える。政治家と同じ土俵に立った議論が封鎖されているのであれば、もっと全面に出て「心あるモノ言う犬』(ひどい表現だとは思うが)として、真実を語って欲しい。それこそが、亡くなった赤木さんが望んでいることではないか。

政治家も、この機構に文句を言うのではなく、官僚のトップにこんな記事を書かせたことを大いに反省し、財務省に対峙して欲しい。そこには、見解の相違もあるだろう。それは日本にとってのリスクであるはずで、それを判断するのが政治であり、国民に説明すべきポイントである。

本論も踏まえ投票します。よろしくお願いします


献立日記(2021/10/13)
キムチ鍋(成城石井の鍋スープ、なかなか美味しかった)

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