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新宿末廣亭11月下席楽日〜神田松鯉・伯山の親子芸を楽しむ

11月30日、新宿末廣亭11月下席の楽日。昼の部終演後間もなく入場したが、1階椅子席最後の1席にありついた。左右の桟敷席はまだ空きがあったが、座敷に座るのは足がつらいのでラッキーである。

この席は、毎年恒例の人間国宝の講釈師、神田松鯉が赤穂義士伝を読む。ネタ出ししているが、今年私が狙ったのは、歌舞伎にもなった「荒川十太夫」である。

前座の立川幸路が「他行(出張)」、続いて講談の神田鯉花。松鯉先生の弟子の二つ目、こうした若手講談師が登場するのも、この芝居ならでは。演じたのは「扇の的」。動物ものまねの江戸家まねき猫の後に上がった柳亭小痴楽、胃炎で体調を崩し数日休んでいたようで、軽く「一目上がり」。

神田阿久鯉が水戸黄門伝から「雁風呂」、ずいぶん奥様ネタが多かったねづっち桂枝太郎の新作「アンケートの行方」と続く。枝太郎、末廣亭の席亭から注意されたNGワード“う◯こ“を口走ってしまい、「あぁ、これでしばらくトリに起用されない」(笑)。

桂南なん「徳ちゃん」、桧山うめ吉が俗曲と踊りで寄席らしさを提供し、中トリの神田伯山へ。マクラで「左甚五郎の話をするけれど、落語に登場する人の良い名人ではありません」と断って演題に入った。

徳川家光が命じた日光陽明門の普請。受け持ったのは大工の栗原遠々江でなかなか進まなかったのだが、甚五郎の助太刀により完成する。甚五郎を妬んだ遠々江、甚五郎を殺めようとする。こうして、話はやや陰惨な展開となり、伯山も「楽日にやる話ではない」としながら、迫力満点の高座を繰り広げる。遠々江の弟子の襲撃により右手を失った甚五郎、それでも腕が衰えなかったことから、“左“甚五郎と呼ばれるようになった。「こんな話があったとか、なかったとか」〜「陽明門の間違い」

中入り後の“くいつき“は、活動弁士の坂本頼光。この日は「岡崎の猫退治」を上演。東海道を旅する弥次さん喜多さんが、岡崎で化け猫退治に臨むという一編。マドンナ役の女優が大山デブコという芸名で、ルックスにピッタリ、ウケ狙いのキャスティングである。後で調べると、1937年大都劇場の制作

赤穂浪士にちなんでか、三遊亭王楽は「七段目」、立川談幸「初天神」、膝がわりのボンボンブラザース(“寄席の宝“ by 長井好弘)が客席を和ませたところで、トリの神田松鯉が登場。「待ってました!」「たっぷり!」の掛け声が掛かる。

前夜の読み物は「義士勢揃い」。「荒川十太夫」は、赤穂義士の吉良邸討ち入りの後日談である。赤穂義士伝は、討ち入りまでの物語“本伝“、義士それぞれのエピソード“銘々伝“、義士以外の人物を描いた“外伝“に分かれるが、「神田松之丞 講談入門」によるとこの話は、“外伝であり本伝“とされている。(松之丞は伯山の前名)

同書によると、<膨大な『義士伝』の中から、宝物のようなこの物語を見つけたのは松之丞の師匠松鯉である>。

泉岳寺に赤穂義士の墓参に来た久松家の重役、中間を連れた物頭姿の男を見ると家中の荒川十太夫。本来の身分を偽っており、重罪に値する。この十太夫、身分は低いが剣術の腕を買われ、討ち入り後に切腹となった赤穂義士の介錯人に抜擢された男であった。介錯の際、堀部安兵衛から身分を問われ、自分のような低い地位のものに介錯されるのは失礼と考え、身分を偽って告げた。以来、義士の墓参の際は、物頭の体で参じていたのだ。

特に派手なドラマはないのだが、赤穂義士伝の流れを汲む、武士の“あるべき“姿を描く作品。松鯉の派手さはないが、優しさを含む語り口でじっくりと読まれると、心に沁みてくる。尾上松緑は、神田松鯉の協力を得て本作を歌舞伎にし上演した。

今月の木挽町歌舞伎座では赤穂義士外伝から松鯉脚本協力の「俵星玄蕃」、正月は歌舞伎版「荒川十太夫」が再演される。ちょっと見に行きなくなった


余談だが、ラジオ「問わず語りの神田伯山」で、白石加代子/伯山で上演した「牡丹灯籠」のパンフレットが大量に残っており、末廣亭で販売すると話されていた。言葉通り、中入り時に、末廣亭には通常ないテーブルを出して販売していた。さらに終演後はテーブルを外に出して販売していた。商魂たくましいー

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