見出し画像

亀戸餃子のいさぎよさ〜聖地巡礼の人々

「いさぎよい」:(古くは、きれいで、さっぱりした意)未練がましく我が身の保身にとらわれたりすることなく、事に臨む心構えをいだく様子だ。(新明解国語辞典第八版)

3連休の最終日3月21日、お彼岸ということで義父の墓参に船橋法典に。お昼は、讃岐饂飩の名店「まるは」がコースなのだが、開店の11時過ぎに訪れると店前は入店待ちの人が大勢。いつも混んでいるのだが、連休だけに5割増しである。

このような事態も想定し、Plan Bを持っていた。西船橋経由、総武線で亀戸へ、所要時間30分程度。そして目指すは「亀戸餃子」本店、久方ぶりの訪問である。

餃子の名店は数多くあれど、“聖地“と言うべき場所はここだろう。 「亀戸餃子」は両国などにも支店があるが、私にとっては別物である。なぜなら、本店は餃子一本で勝負、支店はラーメンなどのメニューもある、餃子名物の街中華で、“いさぎよさ”は感じられない。

メニューは餃子のみという“いさぎよさ“が、「亀戸餃子」本店を“聖地“と化し、そこを訪れる客は餃子以外には目もくれない人々である。「亀戸餃子、美味しいんだけど、メニュー餃子しかないんでしょう〜」などとのたまう輩はいない。

さて、11時40分頃に到着すると、入店待ちの巡礼者が20名弱いた。私は最後尾につくが、回転は早い、その理由はいずれ分かる。ストップウォッチを作動させたが、店に呼び込まれるまでの時間は16分7秒だった。

店内はコの字型のカウンターと小上がりの畳席。カウンターの奥行きは狭いので足がつかえる、決して座りごごちは良くないが、“聖地“にそんなものを求めてはいけない。飲み物を聞かれるのでビールの小瓶を注文する。「小瓶でいいの?」と確認されるが、こちらにも計画がある。

食べ物の注文は聞かれない、なぜならメニューは餃子のみだからである。ビールで喉を潤していると、程なく一皿5個の餃子が運ばれてくる。注文されてから焼くなどという悠長なオペレーションではない。次々に入ってくる巡礼者の為に、入口近くにある焼き場では、ひたすら餃子を焼き続けている。

「亀戸餃子」の餃子は、普通サイズよりひと回り小さく、一口にちょうど入る大きさである。野菜の食感もしっかり感じられるジャストサイズが、完璧な焼き加減で出される。小皿につけられた辛子も特徴で、この店で食べて以来、家でも餃子には辛子をつけている。

ビールと餃子のマリアージュを楽しんでいると、残りが0〜1個という絶妙のタイミングで二皿目が置かれ、皿は回転寿司のように重ねられる。デフォルトは二皿なので、ここまでは自動的に供される。

ビールがそろそろ終わりである。「亀戸餃子」は食べ物は餃子のみだが、飲み物はバラエティに富む。ビール、老酒、白酒、五加皮酒、焼酎やデンキブランもある。私は老酒である。カウンター内を動き回るおじさんに頼むと、小さなグラスが置かれ注いでくれる。一杯150円、値段もサーブの仕方も“いさぎよい“。

カウンター内のおじさんは、巡礼者の皿を常にチェックし、あと2個くらいになると、「もう1枚?」と追加注文を聞いてくる。その質問に対する答えは、<Yes? No?どっち?>であって、中途半端な回答は許されない。私は追加をお願いし、老酒も注文する。目前の餃子が無くなるタイミングをはかったように、追加皿が出される。

周りを見ると、カップルの巡礼者もいるが、私のように一人で餃子に対峙するストイックな人も多い。中には、皿が高く積み上がっている猛者もいる。私の隣に来た男性は、座るなり「よしっ」と呟き気合を入れていた。

私は4皿をいただき、ビール小1、老酒4杯を飲み退場した。滞在時間は20分弱であった



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?