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立川談春 芸歴40周年記念興行 3月9日昼(その2)〜見事見事見事「お若伊之助」を現代に

(承前)

3月9日の立川談春「芸歴40周年記念興行〜これから〜」@有楽町朝日ホール、後半の演目は「お若伊之助」。

私は三遊亭圓生古今亭志ん朝の音源を聴いてきたが、この噺がどうもピンとこなかった。したがって、この日は前半の「鰻の幇間」が目当て。しかし、談春の「お若伊之助‘」を体験して、噺に対する印象がガラッと変わった。もちろん良い方向にである。

「圓生百席」の録音冒頭で、圓生は<この噺の難しさは、やはり人物描写>と話している。娘のお若と一中節の師匠伊之助、剣術の先生や門弟と様々な人物が登場、これの演じ分け、中でも典型的な江戸っ子である“に組“の頭、初五郎をポイントに挙げている。

談春も、非常に難しい噺とし、うまく行くかどうか五分五分と話した。

父親が他界、母と暮らすお初は日本橋の商家の一人娘で、評判の美人。一中節を習いたいと話すが、大事な娘に妙な師匠をつけるわけにはいかない。そんな折、出入りの頭、初五郎が伊之助という元武士の師匠を紹介する。頭が薦めるのならと、母親は伊之助に習わせることとし、自宅で稽古が始まる。

ところが、この伊之助も若く男っぷりが良く、いつしか二人は恋仲になる。当時の“常識“では、芸人と大店の一人娘を結ばせるわけにはいかない。手切れ金を渡し、伊之助には身を引いてもらう。そして、お若は根岸という閑静な場所で剣術の道場を開いている叔父、長尾一角のもとに預けられる。しかし、お若は伊之助のことが忘れられず、恋わずらいに。

圓生も志ん朝も、このくだりを話す。ところが談春は、大胆にカットする。いきなり場面は、こうである。

病んだお若のもとに、夜半伊之助が訪ねてくる。家に引き入れるお初、こうして逢引きが始まる。しかも、お若のお腹が少々せり出している。さて、この経緯とは。

そして、逢引きも目撃した長尾一角が、初五郎を呼び寄せ、問いただす場面が展開し、ことの経緯はその後の初五郎の長セリフの中で説明される。

この演出が素晴らしい。聴衆は一気に噺の世界に引きづり込まれると共に、初五郎というメインキャストが、見事に浮かび上がってくる。談春の見事な台詞回しによって、圓生が重要と話した初五郎の造形が、のっけから提示されるのだ。

ここからしばらくは、初五郎の独壇場、男気があって、威勢がよく、ちょっとおっちょこちょいな江戸っ子が、両国と根岸の間を飛び回る。

お初のもとに通ってきていたのは、彼女の心の隙につけ込んだ狸が、伊之助の姿に化けたもの。したがって、お初のお腹の中にいるのは。

<狸の双子だったが死産、根岸御形の松のほとりに埋められた。因果塚の由来の一席>というのが、圓生・志ん朝のサゲなのだが、談春はこれも大胆に手を入れた。

前半のトークだったかマクラだったかで話した、吉野の桜からつながるのだが、桜を登場させる。狸を動かしたのは桜の妖しさであると。さらに、狸の双子を桜の跡に葬り、お若と伊之助を結びつけ、ハッピーエンドに持っていった。

見事見事見事。「お若伊之助」が、談春の手によって、新たな名作落語になった!


なお「Threads」上で、談春は「お若伊之助」について語っている。この演目は<人を愛することと家名を守ること>(Threadsのアカウントtatekawadansyunより、以下同)という、<絶対的な価値観と自我の狭間で悩む娘の苦悩がテーマ>だが、現代女性にはすこぶる評判が悪いとする。

それでも、<腕のみせどころが沢山あって(中略)演じたくなる噺なのです>と書いている。さらに、“惻隠の情“という言葉に触れ、本作の<後味の悪い結末は、こうあってほしい、という私の願いに変えました>とのこと。

“私の願い“は、現代の聴き手の願いでもあり、それに寄り添うことによって、「お若伊之助」は今に通じる大ネタになったように思う。

落語に馴染みのない方は、同じ話を何度も聴いて面白いのだろうかと思われるかもしれない。しかし、同じ演目でも、演者によって、また一演者においても高座によって変化する。落語の醍醐味の一つ、この日もそれを満喫した



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