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クリスマス恒例行事@武道館の幕開け〜RCサクセション爆音上映会

1980年大学に入学した僕に、同じクラスの友人が「RCサクセション凄いよ」と言った。私は、驚いた。私の中のRCサクセションは、“僕の好きな先生“で止まっており、フォーク・バンドだった。それが、東京のロック・シーンで話題になっている。

不遇を囲っていたRCは70年代終わりに、ロックのスタイルに転向。1980年1月にシングル“雨上がりの夜空“を発表し、ライブハウス「屋根裏」で伝説的なギグを行う。4月には久保講堂でコンサートを開き、その模様が6月にライブ盤「RHAPSODY」として発売される。今振り返ると、そんな状況を受けての友人コメントだった。

その年の大晦日、京都南座での「除夜の鐘」年越しライブで初めてRCを体験し、その凄さに打ちのめされた。そのRCサクセションが武道館で単独ライブを開いたのが、1981年12月24日。もの凄い勢いで、一つの到達点に達した瞬間である。その模様が改めて映像化され発売されるのを記念し、六本木EX Theaterで「爆音上映会」が開催された。

客入れBGM、“体操しようよ“、“ダーリンミシン“、“トランジスタラジオ“、“モーニングコールをよろしく“、“たとえばこんなラブソング“、死ぬほど聴いたアルバム「PLEASE」からの曲を聴いているだけで、じんと来る。

上映が始まると画面には、今のGee2woが登場、当時の事などを語る。そして、ライブは“よォーこそ“から始まる。当時30歳の若き忌野清志郎は、軽快に動き回り、飛び跳ね、魅力的な歌声を響かせる。 チャボ、ベースのリンコさん、ドラムの新井田耕造、キーボードのGee2wo、一気にスターダムに登っていった若者の姿があった。

ブルーデイホーンズは、梅津和時、片山広明プラス3の五人編成になっており、分厚いホーンの音を聴かせてくれる。

やっぱり、大きな音で聴くのは良い。名曲の数々を聴きながら、清志郎の言語感覚の素晴らしさを改めて感じた。例えば、“ダーリン・ミシン“はこうである;

♫ 別れたりはしない 嘘をついたりしない
上等の果実酒 あったかいストーブ この部屋の中
ダーリン ミシンを踏んでいる
嘘つきだなんて そんな言葉しか見当たらないお前
とても素敵なミシンを持ってる
ダーリン ミシンを踏んでいる
今夜は徹夜で 部屋中が揺れている
ぼくのお正月の赤いコールテンのズボンが出来上がる♫

忌野清志郎の詩集「エリーゼのために」、どこかにあるはずなのだが。見つけだすか、また書い直すか。

このコンサートに行ったのかどうか、記憶が定かではない。しかし、クリスマスの武道館公演は恒例行事となり、その幾つかには参戦した。清志郎が歌った“White Christmas“が頭に残っている。

また、これを踏み台に、西武球場といったスタジアムにも進出、RCは日本のロック界を代表するバンドとなっていった。

昨年5月、清志郎の13回忌で記事を書いていた。やっぱり、彼はもういない



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