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電子辞書を巡る旅(その3)〜最強の電子辞書で遊ぶ(国語辞典編)

(承前)

カシオの電子辞書、プロフェッショナルモデルのXD-SX20000を使うと、どのような発見があるのか。これを面白いと思う人がいるかどうかは分からないが、少し書いてみよう。

電子辞書には、単語を入力し複数の辞書を一括して検索する機能がある。これを使うと、辞書による違いが分かる。

“経済“という言葉を調べてみよう。日常使いするであろう辞書、「新明解国語辞典第七版」は、冒頭に<経国済民、つまり国を治め人民の生活を救う意>とそのオリジンを掲載した上で、<社会生活を営むための、物の生産・売買・消費などの活動>を始めとした語義を掲載している。

同列の「明鏡国語辞典第二版」は、語義を掲載した上で、末尾に<「経国済民」「経世済民」の略から>を置いている。なお、“経済“には<費用・手間がかからないこと>という使い方があり、「明鏡」の用例では、<「共同購入をすると経済だ」>という例文が掲載されている。若い人には通じないだろうか。

「広辞苑第七版」になると、語釈①の前に<[文中子(礼楽)]>という謎の表示がある。続いて、<国を治め人民を救うこと。経国済民。政治。>。“文中子“を電子辞書付属のタッチペンでなぞると、見出し語として検索してくれる。こういう機動性が、電子辞書の利点である。“文中子“とは、中国の書物の名前で、言葉の原典であることが分かる。“礼楽“は収められている巻である。

次の語釈②は、<(economy)人間の共同生活の基礎をなす財・サービスの生産・分配・消費(以下略)>と掲載されている。この“(economy)“というのは、“経済“が“economy“という英語を日本語に訳すためにあてられた言葉であることを示している。

これが、「精選版 日本国語大辞典」になると、さらにボリュームがアップし、上記の「文中子」の一文が掲載されているほか、用例文がいくつか載っている。英語との関係については、語釈の末尾に<補注:明治初期には英語のeconomicsの訳語としては「理財」を用いることが多く、「経済」に落ちつくのは後期になってからのことである>と書かれていた。なるほど。

この例では、やはり大きくなることによる、物量的な優位性が確認できる結果だが、世界はそんなに単純なものではない。

用途を間違うことが多い言葉、“おざなり“を調べてみた。「広辞苑」には、<当座をつくろうこと。その場のがれにいいかげんに物事をする様>とある。「精選 日本国語大辞典」は、用例文があるが、語釈は似たようなものである。ただし、<御座敷の形(なり)>と、語源に触れている。

「新明解国語辞典」もほぼ同じだが、「明鏡国語辞典」にはこだわりがあった。語意は同様だが、<お座敷などでその場の間に合わせにすることの意から>と、語源に丁寧に触れた上で、<注意:「なおざり」は別語>と、よくある間違いに釘を刺している。

そこで、“なおざり(等閑)“を調べてみると、「新明解国語辞典」は、<[言動に心がこもっていないで]することが万事不十分な様子だ>と書かれ、<[近年、「おざなり」と同義に用いる向きもあるが、両者は意味・用法の異なる別語]>と、ソフトな警告を“なおざり“側にのみ記載である。言外には、「あんまりうるさく言うつもりはないよ、大きな声では言えないけど、混同もOKじゃない」という、「新解さん」的な、柔軟な対応のようにも読める。

なお、「広辞苑」「精選 日本国語」は、“俺たちを使う人に、「おざなり」と「なおざり」を混同するような低レベルの輩はいないはず“といった態度で、混同については言及していない。

その点、本件について極めて厳格な態度を取っている「明鏡国語辞典」は、“なおざり“の語釈として<物事を軽くみて、いい加減にしておくこと。おろそか。>と「新解さん」に比べると、キッパリとした意見を示している。そして、<注意:「おざなり」は、形は似ているが、別語>と、こちら側にも記した上で、<「自分の健康を◯なおざりにする/Xおざなりにする」「◯おざなりな謝罪/Xなおざりな謝罪」>と、おざなり/なおざりの混同を撲滅すべく、キメ細いアプローチを徹底している。


日本語は面白い。国語辞典を使うと、さらに楽しくなる。同意するかどうか、その方次第だが、私はこうやって電子辞書で遊んでいる。

折角なので、明日は英和辞典について


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