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“ビッグスリー“の一角、横田忠義選手の訃報〜日本バレーボール「ミュンヘンへの道」

バレーボール、元日本代表の横田忠義選手の訃報が流れた。1968年のメキシコ五輪で銀メダル獲得。当時、私は7歳になる年で、多少覚えてはいるものの、所詮子供の観戦であった。

4年経過し、1972年はミュンヘン大会。小学校5年生になっていた私は、オリンピック観戦に夢中になった。調べてみると、日本の金メダルは13個、名前を見ると競泳の田口信教(100m平泳ぎ)、青木まゆみ(100mバタフライ)の名前がある。競泳ではアメリカのマーク・スピッツの7個の金メダルは強烈な印象を残した。

男子体操は、団体、加藤沢男の個人総合など4個の金メダル。塚原光男の“月面宙返り“は一世を風靡した。

そして男子バレーボールの金メダルである。

この金メダルは特別だった。それは、アニメ「ミュンヘンへの道」の存在である。1972年4月から、オリンピックに向けて、このドキュメンタリー・アニメが放送された。実写とアニメを組合わせ、日本代表チュームの選手の姿を紹介していった。

監督は松平康隆。司令塔のセッターには猫田勝敏、彼の後を追いかける俊英・嶋岡健治。“ビッグスリー“を陰で支える、ベテラン南将之など、毎回各選手が紹介され、オリンピックに向けて私の準備は着々と進んで行った。

“ビッグスリー“とは、日本のアタッキング・トリオ。日本の誇る大砲、大古誠司。クィック・プレーなど、多彩なテクニックで日本のコンビネーション・バレーを牽引した森田淳悟。私のアイドルは森田、プロレスに例えるなら、大古がジャイアント馬場で、森田がアントニオ猪木というイメージである。この二人に比べると、横田は子供の目には少し地味で、国際プロレスのストロング小林的な存在であった。

今回発見したが、アメリカにバレーボール殿堂というものがあるらしく、大古・森田は殿堂入りしているが、横田は入っていない。

こうして、開会前から大いに盛り上げた男子バレーは、きっと金メダルを取ってくれるだろうと、多くの人が期待した。選手たちへのプレッシャーもさぞかしだったろう。

予選Bグループ全勝、全て3-0で勝ち上がった日本が、準決勝で当たったのはAグループ2位のブルガリア。私を含む多くの人は、ブルガリアを下して決勝で宿敵ソ連との対決を考えていた。

ところが、この準決勝が歴史に残る勝負となった。なんと、ブルガリアが第1・2セットを連取、日本は追い詰められる。それでも第3・4セットを取り返し、最終セット。競り合いの末、日本はなんとか勝利をものにする。

さらに番狂せは、Aグループ首位通過のソ連がBグループ2位の東ドイツに破れる。結果、日本は決勝で東ドイツと対戦。予選グループでは、3−0で勝利している相手である。

そして、日本は決勝3−1で勝利、見事金メダルを獲得する。

勝利の瞬間、歓喜の輪の中でカメラがとらえたのは中心にいた横田選手だった。そのなんとも言えない嬉しそうな表情が、私の頭の中に刻まれている。大古・森田のスターの脇で活躍してきた横田選手が、なんだか主役になったようで、とても素敵な絵柄だったと思う。

あの1972年の興奮を締めくくってくれた横田選手の姿を、私はずっと忘れない。

ご冥福をお祈りします



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