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“奇跡の寄席“ができて一七周年〜「天満天神繁昌亭」と回想(その1)

往時に比べると減ってはいるが、東京には“定席“、毎日落語を中心とした演芸を楽しめる場所は四箇所ある。上野の鈴本演芸場、池袋演芸場、浅草演芸ホール、新宿末廣亭である。まもなく一旦閉場する、国立演芸場もある。

一方の大阪は、戦争とともに定席はなくなり、 花月や松竹が運営する落語を演じるには大きな会場では、新喜劇や漫才といったものの脇役として落語が演じられるのが通常であった。上方の落語家は、様々な会場で落語会を開催するほかなかったのだ。

そんな状況の中で、2003年に上方落語協会の会長に就任した、六代目桂文枝のリーダーシップにより完成したのが、“奇跡の寄席“「天満天神繁昌亭」、17年前の2006年9月15日のことである。当時の経緯は、繁昌亭のHPに記されている

初代桂春団治が、赤い人力車に乗り寄席をはしごしたという逸話にちなみ、人力車が特別に復元された。繁昌亭の開場時には、上方落語四天王の一人、三代目桂春団治がこの人力車に乗り、文枝が車引きとなり繁昌亭に到着した。

大阪出身の私としては、繁昌亭ができたことを喜んでいたのだが、訪れるチャンスがなかった。それが、開場17年目にして、遂に初体験できたのだ。開場記念日の前日、9月14日、夜は開場記念の興行が予定されていたが、私は昼席に出かけた。

天満天神繁昌亭は、その名の通り、大阪天満宮の裏手にある。そばには、天神橋筋商店街があり、バッテラ発祥の地とする「寿司常」、鰻の老舗「亀の池 浪速」といった、寄席見物の前後を楽しめる場所もある。

天満宮で思い出したエピソードがあるので、記しておこう。大阪で神社は、“〜さん“と親しみを込めて呼ばれる。天満宮は、“天満の天神さん“、戎神社は“えべっさん“、住吉大社は“すみよっさん“である。

“天神さん“は、学問の神様、菅原道真を祀り、受験の神様とも言われる。私の一番の思い出は、中学受験の時である。正月、親と共に合格祈願も兼ねて参詣した。面白半分におみくじを引いたところ、“凶“が出た。縁起が悪いので、再度挑戦。すると、まったく同じ番号で当然にして“凶“。無事に合格したので、“天神さん“には恨みはないが、以来面白半分におみくじを引くことはやめにした。

そうそう、その頃つまり小六の私は、毎週土曜日午後に大阪の繁華街、心斎橋に行っていた。目的は英会話学校だったが、サボっていた。レッスンの時間にみごとにハマっていた、ラジオ番組「パルコ拾圓寄席」の公開収録に通っていたのだ。木戸銭10円を支払い、小さなスタジオの最前列に毎週陣取る小学生は、さぞかし奇妙な存在だったろう。落語3席と漫才などの色物2席。持ち時間は15分と短かったが、当時活躍していた上方の落語家、大御所を含めて多く観ることができた。

50年前、寄席はなかったが、私にとっては心斎橋パルコが“定席“、観客としての“修行“の場だったのだ。

例によって、余計な話になり、前置きが長くなった。明日こそは、本題の天満天神繁昌亭昼席のレポートである


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