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奇跡の「ウェスト・サイド・ストーリー」〜生まれ変わった名作(その2)

「ウエスト・サイド・ストーリー」は、白人の若者のグループ、“ジェット団“と、移民であるプエルトリコ人の“シャーク団“との間の抗争と、その間に立たされるトニーとマリアという二人の若者を描く。人種間の争いという社会的問題を取り上げたミュージカルとして、60年前に世に出た。

この映画が現在において、全く陳腐化することなく、現在に通じる映画として受け止められることは、皮肉な意味で“奇跡“である。世界は「ウエストサイド物語」が提起した問題を解決するどころか、悪化させてしまっている。

それは人種間のみならず、白人の間、世代間、さらにそうした傾向はアメリカのみならず、世界中に広がり、“分断“という言葉を聞かない日は無い状態になっている。

スピルバーグ版のリメイクは、こうした“奇跡“的な状況の悪化を反映する視点を入れ込み作られている。例えば冒頭のシーン、取り壊されていくNYのウエストサイドの未来は、メトロポリタン歌劇場やコンサートホールなどを含むリンカーン・センターである。移民や貧しい白人の居住地は、彼らが人生をエンジョイする施設へと変貌したのだろうか?

もう一つの“奇跡“は、オリジナル版でシャーク団のボス、ベルナルドの恋人アニータ役を演じ、アカデミー助演女優賞に輝いたリタ・モレノが出演、かつ制作総指揮(Executive Producer)として関与していることである。

リタ・モレノ、現時点では90歳である。彼女は、小さなお店を経営し、トニーの更生をサポートするヴァレンティナ役である。この役の創出が、スピルバーグ版のキモである。

私は、ヴァレンティナは“分断“を解消するための希望の存在だと思う。ヴァレンティナはプエルトリコからの移民だが、彼らが“グリンゴ“と呼ぶ白人と結婚している。そして、トニー始めとして若者を正しい方向に導こうとしている。“分断“の中にも必ず結節点がある。あるいは、対立を解消しようとする人たちがいる。

彼女が歌う“Somewhere“、<どこかに私たちの場所がある>、<いつか私たちの為の時がある>、希望をつなげる感動的なシーンである。

ヴァレンティナは、オリジナル版アニータの未来かもしれない。オリジナル版ースピルバーグ版、同じ時代を写してはいるが、リタ・モレノの存在が、2つの作品をつなげているような気がする。そして、この脚色により、スピルバーグ版は、名作をリメイクしたのみならず、生まれ変わらせたのだと感じる。

「ウエスト・サイド・ストーリー」は、現代にも通じる社会問題と、そこから生まれる悲劇ではあるが、そこに込められているのは希望だ。マリアは前を向いて歩いていく。

なお、名曲の数々の作詞は、スティーブン・ソンドハイムである。互いのイニシャルを取り、スピルバーグはソンドハイムを“SS1“と呼び、自身を“SS2“とした。ソンドハイムは撮影現場を訪れたり、曲のレコーディングに立ち会ったそうだ。残念ながら昨年11月に90歳で逝去したが、生前に作品を観ることができたそうである。これも、一つの“奇跡“のように思える。

「ウエスト・サイド・ストーリー」、若い人にも是非観てもらいたい。そして、その後、オリジナル版「ウエストサイド物語」(WOWOWで放送予定。UーNextなどで配信あり)も観て欲しい。両作の甲乙つけ難い素晴らしさを堪能できると共に、そこに込められたメッセージの深さが感じられると思う


*これを書いた後、スピルバーグがリタ・モレノについて語っているクリップを発見した


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